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ミュージカル「GHOST」終演のご報告。


ミュージカル「GHOST」全31公演が無事に終演いたしました。

ご来場くださいましたすべての皆様はもちろんのこと、会場に来られずとも応援をくださいました皆様にも、心からの御礼を伝えたいです。本当にありがとうございました。

どの業界も難しい状況下のなかで、お客様も含めて誰ひとりとして感染者が出ることなく大千穐楽の日までたどり着けたことに安堵し、感謝しております。殊にお客様におかれましては感染対策のご協力を賜りましたこと、あらためて御礼申し上げます。


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再演の作品に途中から参加するのは、初めてのことでした。

これまでも何度か書きましたが、正直最初は不安な気持ちの方が大きかったです。すでに出来上がっているところに合流するからには、決められたルートを辿ることしか許されないのではないか、と。

けれど、蓋を開けてみれば全然そんなことはなく。

演出のダレン、共同演出の桜木さんをはじめ、すべてのスタッフさん、共演者のみなさんがチャレンジをすることを受け入れてくださいました。

なぜ、そのような空気感が成立していたかといえば、初演から携わっていらした皆さんにこそ「初演を超えるチャレンジをしたい」という強い気持ちがあり、じっさいに新しい表現を模索されていたからだと思います。


本作で僕は、8役を演じました。

ウォール街のビジネスパーソン
サムの死体
ロングコートのゴースト
地下鉄のバスケウェアの男
ビーダーマン警部
地下鉄のゴミ箱に執着するゴースト
ウィリー・ロペスの死体
オダ・メイの取り巻きのバトラー

硬軟取り合わせた、なかなか振り幅の大きな配役です。笑

冷静に見ると、1/4が死体。笑

どれも愛おしく、毎公演挑戦し甲斐のある人物(…?)たちでした。

可能な限り、「キレイにしない」ように演じようと思っていました。というか、ニューヨークという土地に生きる(あるいは滞留する)彼らが、つるりとキレイなはずがそもそもないので、彼らの人生を想像していけばしていくほど、ざらざらとしたものが見えてくるのでした。


地下鉄のゴーストからサムが物を動かすやり方を教わるシーンにいた、キャップを被っているゴーストについて、お客様からや共演者の何人かから質問をいただきました。

どうして彼はあそこまで、ゴミ箱に執着するのか、と。そこにはどんなバックグラウンドがあるのかと。

その質問に対する素直な返答にはならないのですが、少し僕の思いを書いてみます。


この1年で、世界の状況はガラリと変わりました。

たくさんの人々の生活が不安に包まれ、あるいは直接的な生命の危機をすぐそこに感じるような状況になりました。職業が奪われたり、生活の糧を失ったりする人もたくさんいました。いまもそういう方々がたくさんいます。

その中で、演劇は「不要不急のもの」と名指しされました。

たしかに、必要最低限の生命維持のために演劇は必要ありません。僕も、その意見にはある程度賛成します。

そして、必要最低限の生命維持すらもままならない人々がこの1年で格段に増えたということも理解します。本当に胸が痛い現実です。


ただ、同時に、果たして我々は必要最低限のもののみによって人間としての人間らしい生活ができるのか、という疑問もあります。

僕はやはり、文化や芸術や美味しい食や美しい自然などがある生活こそ、自らの望む人生だと感じます。

その上で。

想像してみてください。もしあなたの日々の生活の中で、路上やあるいは駅のホームでゴミ箱に抱きつく人物に出くわしたらどう感じるか、を。

僕だったら、これを言うのは少し恥ずかしいけれど、なるべく関わり合いにならないように距離をとって、なるべくそちらの方を見ないようにして、通り過ぎてしまうと思う。

けれど、舞台上にゴミ箱に抱きつく男がいたとすると、「あの人はどんな人生をおくってきたんだろう」と思いを馳せたくなる気持ちが生まれてくることがどうやらあるようなのです。

僕は、これこそが、演劇がこの世に存在する価値のうちの、非常に重要なひとつだと感じています。


ウィリーは大きな罪を犯しました。でも、そうならざるを得なかった理由がもしかしたら彼にもあるかもしれません。

カールも許されざる罪を犯しました。けれど、あんなに善良そうなカールが何故あのような愚かな行為に身を落としてしまったのでしょうか。

なぜ(西川大貴くん演じる)地下鉄のゴーストはあれほどまでの怒りを以って、あの場所に居続けるのでしょうか。

それらの答えは、実は台本のどこにも書いてありません。

その答えは、舞台を見てくださった皆さんの、頭と心の中にあるはずなのです。

現実で出会ったときにはもしかしたら目を逸らしてしまうような、ショッキングな光景や辛く悲しい状況も、演劇の場ではあるいは、少しだけ勇気を持って直視することができるのかもしれない。

演劇の場でそれを受け止めることができたら、現実の社会に戻ったときに私たちは、それまでの自分よりも少しだけ人に対して寛容に、優しく、想像力を以って向き合えるようになっているのかもしれない。

そんな演劇の力を信じて、僕はあのゴーストを演じていました。

きっと、「どうしてあの人は」という質問をしてくださった方には、その力が届いていたんじゃないかなと思っています。


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まだまだ大変な状況は続くようです。

僕らはなんとか何事もなく大千穐楽までの日程をクリアすることができましたが、それは結果論であって、いつなんどき公演が止まってしまうかはわからないという危機感と常に隣り合わせの3ヶ月間でした。

けれども、これでまたひとつ「完走できた」という事実が積み重なりました。

これは、小さいけれども、大いなる希望です。

いま日本ではいくつものカンパニーが演劇作品を上演しています。ミュージカルに限らず、です。そしてそのなかの少なくないカンパニーが、それぞれに最大限の感染対策をとりながら千穐楽の日を迎えています。

これらひとつひとつが、大いなる希望なんだと思います。

この希望の光が積み重なっていくことで、再び僕らにとっての「演劇を観にいくことが当たり前の日々」が取り戻されていくのではないかなと思います。

もちろんですが、感染があったことが悪、ということではないのです。最善を尽くしても防ぎきれないことはあります。僕らが完走できたのは、ある意味、たまたまだったとも言えるのです。

しかしながらそんな状況の中でも、有効な感染対策の方法を蓄積し、それをすべての舞台人や演劇ラヴァーが共有することで、不幸な公演中止が起こる確率を下げていくことは可能なんだと思います。

4月11日にミュージカル「GHOST」が大阪の地で大千穐楽を迎えられたことは、これからの演劇界の盛り上がりにとっての、ひとつの貢献だったろうと、僕は感じています。


そして何より、想いを寄せてくださったすべての方に感謝いたします。

例えば僕の両親は、今回の舞台を観にくるのを断念しました。同居する祖母が高齢だからです。

きっと、それに近しい状況に身を置かれてらっしゃって、観劇が叶わなかったという方もたくさんいたことでしょう。それでも、その中で心を寄せてくださった。本当に感謝いたします。

そして、さまざまな思いを抱えた上で、ご来場いただいた皆様にも、同じく感謝の気持ちを伝えたく思います。

まさに「有り難し」。この言葉の重みをひしひしと受け止めています。


明日からも、皆様の健やかな日々が続きますことをお祈りしております。

ミュージカル「GHOST」への応援、そして山野靖博への応援、本当にありがとうございました。




読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。