「いまここで」の秘密。
ミュージカル「GHOST」は最終地大阪にて、絶賛公演中でございます。
新歌舞伎座は舞台と客席の距離がとても近く感じられ、親密な空気の中で進む物語は大千穐楽を前にさらに加熱してきたように思います。
さて、公演終了間近ですが、今日はこの作品の音楽のとある仕掛けについて書いてみようと思います。
ネタバレも含みますので、見たくないという方はご注意ください!
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まずは、この短い音源を聴いてみてください!
ミュージカル「GHOST」をご覧になったみなさまはきっと、このシンプルなメロディから、あの歌詞を連想されるんじゃないでしょうか。
動画①
そうです。劇の冒頭の
いまここで
という歌詞が、このメロディで歌われるのですね。英語版だと"Here right now"という歌詞です。
ところでみなさんは、西洋音楽の世界にたくさんある和音の種類の中で、最も基本的で、最も安定感があるとされている和音がどんな和音か、ご存知でしょうか。
きっと多くの方が聞いたことあると思います。
そうです、「ドミソの三和音」です。じっさいに聞いてみましょう。
動画②
この「ドミソ」の和音は、ちょっと専門的にいうと「長三和音」という名前がついています。明るい響きがする、とされている和音です。
動画②では最初に「ドミソ」の音を同時に弾き、次にひとつの音ずつ「ソ→ミ→ド」の順で弾き、最後にもういちど「ドミソ」の音を同時に弾いてみました。
気づかれましたでしょうか?
動画①で聞いてみた「いまここで」のメロディと、動画②で聞いてみた「ソ→ミ→ド」のフレーズは、音の高さは違いますが、同じメロディになっていることが。
これはト長調で書かれている「いまここで」のメロディを、ハ長調に移調した、という言い方ができますが、まあこれはややこしい話なので、とりあえず「いまここで」を全部「ドミソ」の和音に変形させてみた、と理解してみてください。
その上で、何を言いたいのかというと。
ミュージカル「GHOST」の冒頭で歌われる「いまここで」というメロディの一発目は、非常にシンプルで安定感のある「ドミソ」の和音を、高い音から分散させてひとつずつ鳴らしてみた「ソ→ミ→ド」のフレーズとおんなじだ、ということです。
これ、めっちゃ凄くないですか!?!?!?!?!笑
何がすごいのか、僕なりの考えを解説しますね。
モリーとサムは、新しい生活のために、ブルックリンに部屋を買いました。モリーは駆け出しの芸術家ですが意欲に満ち溢れています。サムは銀行マンとして堅実に働いています。ふたりの生活は順風満帆です。
その輝かしさと、「部屋を持った」という生活の基盤が安定した事実、それに伴う気持ちの高揚感、その自分たちの現在の「いま」と「ここ」を希望を持って肯定したい気持ち。
これが「ソ→ミ→ド」の、安定感のある、明るい響きの和音によって表されているのではないでしょうか。
ハ長調の曲の中で最も重要で主役になる音は「ド」の音です。
ソからミを経由してドにたどり着くフレーズは、なんとなくなんですが、自分の人差し指で「ド」に向かって「ここだ!」と強く指し示すような感覚があります。「いま」「ここ」が「ド」。
たぶんこのメロディの「ド」の音が、小節の頭に置かれているのもその「指で指し示してる感」を強めている要因だと思います。
モリーは、非常にシンプルで力強いメロディでもって、自分たちの現在を肯定します。 "Here right now" 「いま、ここで」と。
でも、世界は無情です。ふたりの未来には波乱が待っています。この作品の音楽も、その波乱の未来を暗示します。
冒頭の楽曲の中でモリーは何度も「いまここで」というメロディを歌います。なのに、そのメロディが綺麗な「ソ→ミ→ド」の形を取るのは一度きりです。
歌い出しの「いまここで」は「ソ→ミ→ド」ですが、その次はこんな音の並びになります。
動画③
これは「ソ→ミ→シ」です。わずかに不安定さが増した感じがしませんか?
そのあとはこんな形にも変形します。
動画④
今度は「ソ→ミ→ラ」です。少しだけ暗さを感じる展開になりました。
どちらにしても「ソ→ミ→ド」の明るさや輝かしさ、そして安定感と比べると、ずいぶん落ち着かない響きに聞こえることでしょう。
サムはというと、一度も「ソ→ミ→ド」を歌わせてもらえません。動画③や動画④で聞いた変形バージョンか、モリーのメロディのハモリとしてのもっと変形した音を歌います。
綺麗な「ソ→ミ→ド」のかたちでモリーが「いまここで」と歌うのは、歌い出しの1回しかありません。
といいつつ、実はこの曲の最後の方にもう一度だけ「ソ→ミ→ド」のメロディが登場します。ですがそのときには伴奏で当てられているコードが違います。
曲の歌い出しの「ソ→ミ→ド」には「Cメジャー」のコードが与えられています。非常に安定していて、明るい響きのする和音です。聞いてみましょう。
動画⑤
違和感のない、ストレスのない展開ですよね!
それが、曲の終わりの、最後から二つ目の「いまここで」だとこうなります。
動画⑥
メロディは「ソ→ミ→ド」なのに、綺麗に着地しません。実はコードが「Fメジャー」になっているのです。Fメジャーのコードは「ファラド」で出来ているので、確かにこのメロディに使うことができますが、Cメジャーを使った時とは印象が違いますね。
安定、というよりは「次はどこにいくの……?」って感じ。
ミュージカル「GHOST」を観たあとに「ソ→ミ→ド」のメロディを聞くと、10人中8人は「あ!いまここで、だ!」と思うはずなのに、そのメロディが綺麗にモリーに歌われるのは一度だけで、サムに至っては一度も歌っていないという事実。
これ、音楽的なドラマを感じませんか?
もっと劇的な読み解きをすると、さらに見えてくることがあります。
モリーが歌う綺麗な「ソ→ミ→ド」の「いまここで」は一度しかありませんが、主役の二人以上に「ソ→ミ→ド」を歌う人物がいます。
カールです。
2幕の途中、失意に沈むモリーに対して、サムのシャツを着た状態で「人生は続くよ」と歌うあの場面。あの曲の中でカールは何度も何度も「いまここで」という言葉を「ソ→ミ→ド」のメロディで繰り返すのです。
モリーとサムが手に入れることができなかった輝かしく安定した未来を象徴するメロディを、こともあろうにカールが、モリーを口説きながら歌う。
ああ、なんと残酷な音楽描写……。
(ちなみにあの場面、僕はシェイクスピアの「リチャード三世」で、自分が殺したエドワードの妻だったアンを、リチャードが口説くシーンの香りをうっすらと感じます。)
ダンスシーンも笑いのシーンも、キュンとするロマンスのシーンもたっぷりで、エンタメとしても非常に楽しめるミュージカル「GHOST」ですが、同時に、音楽作品としても非常に上質な構造を持っていることも特徴です。
その一端が「いまここで」の分析からも見えてくるんじゃないでしょうか。
気になったらぜひ、原曲も聞いてみてくださいね👻
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