ミュージカルの中で「日本語」を歌うために。
この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
これは、谷川俊太郎さんの「春に」という詩の冒頭です。
おそらく多くの方が同名の「春に」という合唱曲の歌詞として知っているんじゃないかなと思います。
この合唱曲は、木下牧子さんという作曲家によって作曲されています。木下牧子さんは東京芸大出身で(学生時代から抜きん出て優秀だったという噂をよく聞く)、日本を代表する現代作曲家です。
20代の頃はオーケストラや吹奏楽に現代音楽を書いてらっしゃいましたが、のちに合唱や歌曲の分野でたくさんの名曲を生み出してらっしゃいます。
ちなみに、高校生の頃吹奏楽をやっていた僕なんかは、2005年の吹奏楽コンクールの課題曲Ⅲだった「パルセイション」という曲を演奏したこともあります。
木下さんはこのごろ日本歌曲のコンクールの審査員を務められることも多く、このあいだこんなツイートをされていました。
これ、日本歌曲を歌うクラシックの声楽家だけでなく、日本語で歌うミュージカルに出演する俳優にも非常に参考になる指摘だと思うのです。
木下さん曰く、日本語の歌詞で歌う時に重要なのは
漫然と気持ちを込めるのはNG
で、気をつけるべきは
文節の頭のシラブルをいかに持ち上げるか
ということ。さらに、
「叩く」のではなく、「持ち上げる」のだ
と念を押されています。
ま!さ!に!
僕的に重要な指摘だなと思うのは「(ある言葉/シラブルを強調したいときには)叩くのではなく持ち上げる」という点。
普段多くの人が耳にしているであろうロックやJ-popの場合、ある言葉や、あるいはあるメロディを強調するときに多くの歌手が「(その言葉や音を)叩く」アプローチをとっています。
「叩く」アプローチで歌うとその瞬間何が起きているのかというと
・吐く息の量が増えている
・吐く息のスピードが速くなっている
・発音された音が「前に」投げられる感覚を伴っている
みたいなことだと推測します。(明確な分析ができなくてすいません)
「叩く」アプローチではなく「持ち上げる」ためにはどうしたらいいのかというと
・子音と母音を十分に分離させる
・分離させた子音と母音が
滑らかに続くように聞こえるようなブレスコントロールをする
・高次倍音を含む発音を心がける
みたいなことなんだと思います。(これも明確に言えなくてすみません)
「叩く」アプローチで起きている現象を、セリフに置き換えてみると「怒鳴る」とか「語気を強める」とか「叫ぶ」といった音声に近い状態だと思うのです。
でも歌っているときに「言葉を強調したいな」と思う瞬間って、そういう怒鳴ったり語気を強めたりする、攻撃的な場面だけじゃないじゃないですか。
愛を語らったり、悲しみをぽつりと呟いたり、憧れに恍惚としたり、そういう場面や歌詞でも「言葉を強調したい」というポイントが現れます。
そのときに、言葉を強調する方法として「叩く」アプローチしか持っていないとすると、表現したい内容と、表現の方法が一致していないということになるわけで。
あくまでも僕の耳で聴いている感想では、「持ち上げる」アプローチをうまく習得できていないミュージカルの俳優さん、けっこういる印象です。
ちなみにこの話ってさらに進めていくと
ミュージカルの中での歌は、どんな風に歌われるべきか
というトピックになっていくと思います。
「ミュージカルの歌はセリフだ」とか「芝居歌」とか、まことしやかに言われていますが、じゃあ実際に「セリフのように歌う」っていうのはどういうことなのか、「芝居歌」って具体的にはどんな技術によって生まれているのか、みたいな話。
それをここで論じ始めると大変なことになるので一旦置いておくとして。
日本語の歌唱の中で文節のシラブルを持ち上げる方法は、実や歌舞伎や能の発音方にヒントがあるのではないかと僕は考えています。
あと、ある時代までの日本人歌手は「持ち上げる」アプローチをうまく習得・利用していました。美空ひばりさんなんかを聞くと、よくよくわかるんじゃないかなぁ。
歌い出し「髪の乱れに」の「か」とか、「赤い蹴出しが風に舞う」の「かぜ」とか。かなり参考になると、個人的には思います。
あとは、クラシック系の歌手たちの日本語歌唱も参考になります。
これはアメリカの名ソプラノ、キャスリーン・バトルの歌う日本歌曲ですが、1曲目の「初恋」の歌い出し、「砂山の砂に腹這い」の「す・な・や」なんて、物凄い技術だと思います。
下の動画は、先日来日してヴォータンを歌ったミハエル・クプファー=ラデツキーの歌う「花」です。
歌い出し「春のうららの」の「は」の音の「H」子音から「a」母音の移行とか、「隅田川」の「す」の音の「S」子音から「u」母音とか、本当に素晴らしい。
「ながめを何に・たとうべき」の「た」と「と」なんて、何も考えずに歌うと「叩く」アプローチになってしまいがちな部分も、絶品な持ち上げ具合です。
全身全霊をかけて、魂の叫びのように歌うことも、ミュージカル歌唱の大きな魅力のひとつですが、どんな場面/どんな曲でもそれでいいということでは決してないため、こういう、「日本語をどう歌うか」という技術についても考えていきたいなぁと思いました。
読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。