この頃のnoteについて考えたこと。
何を書くとするか。それがなかなか難しくて、今日まできてしまいました。
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調べてみると僕は、2016年の11月にnoteのアカウントを作ったようです。
これまでに公開した記事は636。これが637個目の記事です。
noteを主たる書き物の公開場所として使い始める前は、Bloggerを使っていました。その前は多分、高校大学とmixiで長文を書き殴っていたんだとおもう。
noteの気に入っているところは、文章を書くときの「ストレス」が限りなく少ないサイトデザイン。文字間、行間、段落の距離、PCのブラウザで見たときのレイアウト、などなど。文字への装飾もごく限られているのもいい。(Mediumとよく似ている)
僕は文章を書くのが好きで、それもキーボードを叩いて書くのが好きで、だから自分にとって「書きやすいサービス」が見つけられることは、とてもありがたいことなのです。いまはその筆頭がnote、ということになっている。
結論から言えば、僕は今日以降もnoteを使い続けようと考えています。いつまでかはわからないけれど、とりあえずしばらくは。
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いまでも忘れないのだけど、お世話になっているnoteのディレクターさんとたぶん初めてお会いしたとき。
今の本社の前の、渋谷にあったオフィスの、縦長な会議室で彼は
「noteのメンバーはnoteが大好きで、めちゃめちゃnote読むんですよ!
で、社内チャットでオススメし合ったりしてるんです!」
と、ワクワクがほとばしるような表情でそう語ったのでした。
noteを使って記事を書いている人を応援したい!バックアップしたい!という気持ちがビシバシ伝わってきて、僕に対しても「こんな記事どうですか?」「こんな切り口どうでしょう?」といろいろな提案をしてくれました。
けっきょくそれらの提案は、僕が書きたい文章の体温を、少し手放さなければかけないタイプのものだったから、「そういうものは書きたくないんですよー」と答えたら「なるほど、そういうのも大事ですよね、うんうん」と。
でもなんにせよ、目の前にいるこの人は、本当にnoteというサービスが好きで、そこに集まるクリエイターのことも大切に思っているんだなーということは伝わってきました。その頃はまだ「note株式会社」ではなく「株式会社ピースオブケイク」だった。
そのうちに、オフィスが移転になり、外苑前にクールなイベントスペースも有した大きなフロアを本社とし、いろんな企業との資本業務提携が始まり、「note pro」がスタートし、ドメインが「.com」になり、運営の社名が「note」になりました。
そして、続けざまにいくつかの不祥事が起きました。
8月にセキュリティの問題としてIPアドレスの流出。
そして10、11、12月と立て続けにcakesの編集部の倫理観が疑われる事象が。
それらによってnoteから離れたユーザーもたくさんいるようです。
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僕は使い勝手がよかったのでずーっとnoteを使っていますが、不満がないかといえばそんなことはなくて、たとえばこれは何人もの方が指摘されていますが、記事のエクスポート機能が公式には無いこと。
noteで書いた記事をどこか別のサービスで引き継ごうとしても、できないんですよね。これはちょっと不便。
でも、振り返って考えてみれば、mixiに書いた長文たちも、Bloggerで書いてた文章たちも、そのまま残してきちゃってるから、よっぽどな何かが起きないかぎり、ここに書いている文章もそのままでいいような気もします。
といいつつも、エクスポートができないということは、(ひとつずつ手作業でコピペしない限り)バックアップがとれないということでもあるので、なんらかのきっかけで突然noteがサービス停止になったら、これまで書いてきた記事は全部、インターネットの塵芥になるわけですね。
あと、僕自身もその恩恵を受けている上でこういうことを言うのもなんなんですが、有料マガジンのサービスが非常に利用しやすいために、質の悪い情報商材を得ることで稼ごうとするような人たちも常時たくさん参入してくるところとかも、ちょっと困っちゃいます。
でも、noteはいわば「道具」だと思っているので、その道具を使ってどんなことをするのかはその人次第っていうのもありますよね。
包丁を使って人を傷つけることもできるけど、美味しい料理を作って人を癒すことだってできる。僕はできるだけ、美味しい料理を作る側の人間でいたいと思っています。
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こうしたネットサービスも、いわば「道具」ですよね。
しかし、「道具だから使う人の裁量に任せればいいじゃん」と軽く言うことができないのは、note株式会社の提供するサービスが単なる道具というだけでなく「メディア」の機能も含んでいるから。
車は移動するための便利な道具ですが、人を傷つける凶器にもなります。そういう類いのものを世に提供するメーカーは、自分たちの作り出した「道具」の品質に対する社会的責任を負います。暴走する可能性のある車を売ることは、道義的に許されるべきではないのです。
殊に「メディア」という分野を生業とする企業は、どんな情報を発信するのか、どんな編集のポリシーを持っているのか、非常に注意深く考えてほしいなと思うのが、この社会に属する一個人としての僕の感想です。
もちろん僕もひとりの大人として、受け取る情報についてはその正誤や妥当性、その情報の裏にある文脈などについて自分の頭でしっかり考えようと思っていますが、むやみやたらにフェイクニュースを撒き散らしたり、配慮もポリシーもない言説を垂れ流すようなメディアにはぜひ情報発信者の立場からご退場いただきたいと思います。
僕自身は自分のnoteを書くばかりで、noteで仕切りに開催されるコンテストに応募することもなければ、cakesに至ってはこれまでほとんど利用したこともないので、noteやcakesの編集部がどのような文章をこの世界に放っていたのかはわかりません。
が、少なくとも自分も利用しているサービスの内側で、思想もヴィジョンも思いやりも想像力も哲学もないような編集体制による文章が多数醸造され続け、またそのような体制をとってしまう編集部による対応によって心のやわらかで大切な部分を傷つけられるクリエイターが増えていくのであれば、その事実は僕自身も不快な気持ちにさせます。
人によって「許せる/許せない」のラインはさまざまだと思いますが、僕はこの頃のnote株式会社の不祥事については許すとかそういうことでなしに、「絶対に忘れないからね」というスタンスで向き合っていこうと思っています。
今後も「自分たちはあくまでもプラットフォームだから」と言い続けるのか、「メディア」としての機能を持ってしまっていることをきちんと真正面から受け止めて最善を尽くそうとし続けるのか。どうなっていくのかを気にかけようと思います。
あと、それに加えて「炎上」という現象についても冷静に考えていきたいと思います。SNS上で飛び交う批判たちは単なる非難に終止していないか。スケープゴートに対して石を投げ続けるゲームになってやしないか。そこもきちんと見ていきたい。
でも、その心無い石塊たちのなかに、きちんとした批判がたしかに存在していることも見逃したくないですよね。
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どうやら世界は刻々と姿を変えます。
例えどれだけ人が集まる大きな川であっても、一夜にしてその水が枯れ果てたり、あるいは大きく流れを変えるようなことが、インターネットの世界では特に起こるようです。
そのときにどのような行動を取るのかも、僕らの自由です。
でもその行動は、自分が自分の自由によって選び取ったと思っているその行動は、本当に「自らの自由」だったのかどうか。これも考えれば考えるほど難しい問いのようです。
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