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ラグタイムとスコット・ジョプリン


こんにちは!山野です!


東京は日比谷の日生劇場で9/9に初日を迎えたミュージカル『ラグタイム』は、2週目に入ります。

連日たくさんのご来場にとても嬉しい気持ちなのと、さまざまな方面から「圧倒された」などの好意的な感想が聞こえてきてこれもまた喜ばしく思います。


台本的にも音楽的にも、また演出や振り付け的にもさまざまな読み解きが可能な作品なので、ご覧になったみなさまもそれぞれに異なった心の動きで受け止めてくださったと思います。

僕自身は俳優という仕事をしつつも、高校大学からみっちりと音楽の専門教育を受けてきたというバックボーンがありますので、今日は少し『ラグタイム』の音楽の面について、思いつくままに書いてみたいと思います。


すこし読みづらい部分も出てくるかと思いますが、その辺は飛ばしながら、ゆるりと楽しんでいただければと思います。


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「ラグタイム」という音楽ジャンル

ミュージカルの題名となっている「ラグタイム」とは19世紀末から20世紀初頭のアメリカで流行した音楽のいちジャンルです。

定義としては「マーチ的な二拍子の伴奏に、シンコペーションを多用して二拍子から強拍をずらしたメロディが組み合わさっている」というのがラグタイムの特徴だとされています。

代表的な作曲家としてはスコット・ジョプリンが挙げられますが、彼以外にも当時は数多の作曲家がこぞってラグタイムの形式で曲をつくりました。


このラグタイム、なにが画期的だったのかを音楽研究の視点から指摘すると「西洋の白人的な文化(マーチの二拍子)と、アメリカの黒人文化(シンコペーションを多用したメロディ)が組み合わさっていること」が重要だとされます。

これが画期的だったと指摘されるのはもちろん、それ以前にはあまり、そういう形の音楽が流行してなかったから、という理由があります。

全くそういう音楽がなかった、とは言い切れませんが、クラブや劇場での演奏、楽譜の販売、あるいはレコードでのセールスなどを考えると、やはり歴史的にも初めての出来事でした。

この音楽ジャンル名を表題にしている『ラグタイム』というミュージカルも、白人・黒人・移民ユダヤ人といった異なる人種の人々や家族が、どうやって共に手を携えて未来を生きていけばいいのかをテーマにしているので、ラグタイムという音楽自体が持っている「異なる人種の文化が混じり合っている」という成り立ちが、強く象徴的に機能します。


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スコット・ジョプリンってどんな人?

ところで、この「ラグタイム」という音楽ジャンルを大成させた代表人物のスコット・ジョプリンですが、なかなかに波瀾万丈な人生を送っています。

ジョプリンは1868〜1870年頃に、元奴隷黒人の父親と自由黒人の母親のあいだに産まれました。リンカーンが奴隷解放宣言をした1862年以降の生まれ、ということです。

両親ともにヴァイオリンやピアノ、バンジョーなどの素養があり、その影響でジョプリン自身も幼い頃からピアノに慣れ親しんだとされています。

ジョプリンが10数歳のときに父親が家を出て母子家庭となりますが、母親はジョプリンの才能を伸ばすために音楽教育を受けさせます。ここでいう「音楽教育」というのは西洋音楽の基礎、ということです。

11歳から16歳までジョプリンが師事したのはユリウス・ワイスというドイツ系ユダヤ人の音楽教師で、ジョプリンは彼からクラシック音楽やオペラのエッセンスを学んだと推測されます。

その後、旅回りのミュージシャンとして活動を開始し、ピアノやコルネットなどの演奏をします。1893年に開催されたシカゴ万博にも参加し、演奏をしたという記録もあります。

ジョプリンの作曲作品が初めて出版されたのは1895年。また、ラグタイム史上最大のヒットソングとなった「メイプルリーフ・ラグ」が出版されたのは1899年です。

流行曲の演奏会・作曲家としてのキャリアは十分なように思えますが、ジョプリン自身はポピュラー音楽の分野での成功よりもクラシック音楽への志向を強めていきます。

これは歴史家のなかでも議論がありますが一説によると、1895年には黒人大学であるジョージ・R・スミス大学に入学し、そこでクラシック音楽のピアニスト・作曲家になるために、西洋古典音楽の専門教育を受けたとされます。

ユリウス・ワイスによる基礎教育、さらには大学での専門的な学習のなかでジョプリンは、クラシック音楽の文脈上に自身のルーツである黒人のリズムを取り入れた音楽を作るための試行錯誤をします。

その末に生まれたのが「ラグタイム」というスタイルの音楽である、というのがひとつの通説です。


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権威主義とどう向き合うか

いまの日本に暮らしているとそこまで感じないかもしれませんが、クラシック音楽というのはひとつの大きな権威です。

古代ギリシアでピタゴラスが発見した音律をひとつの起源とし、キリスト教で用いられる聖歌が発展していく中で理論を複雑化させ、王侯貴族や資産家などとの繋がりの中で連綿とその営みを豊かに編み上げていきました。

ある時代の王族や貴族は自らの権威を示すためにお抱えの作曲家に新しい曲を書き下ろさせ、また文化人や知識人にとって最前線の作曲家と親交があることはステータスのひとつでした。

教養主義とも強く結びつき、モーツァルトやベートーヴェンを理解し、ヴェルディやワーグナーのオペラを楽しめることが、社交界でも重要な振る舞いでもありました。


その権威のど真ん中であるクラシック音楽と対比した、民衆による世俗音楽はどの時代も、ふしだらで堕落した音楽であるというような捉え方がされています。(もちろんこれは、権力者から見た構図ですが)

19世紀末のアメリカでもこの図式は保存されており、黒人労働者階級出身のスコット・ジョプリンにとっては自身の得意な「音楽」こそが、白人と同等の地位にたどり着くための黄金の切符のように見えたのかもしれません。

じっさいにジョプリンは旅回りの音楽家として売春宿やクラブで演奏する生活に辟易し、自身の作る音楽を「クラシック音楽の一形態である」と主張したこともあったようです。

曲芸のような早い速度で自身の曲が演奏されるのも嫌い、のちのジャズにつながるような即興的な演奏が施されることも否定的に見ていました。


「ラグタイム」の作曲家として商業的に成功したあとジョプリンは、2つのオペラを作曲しましたがどちらも不評に終わりました。

一度目のオペラでの失敗を経験したあともなお、新しいオペラに取り組もうとした真意はどこにあるのでしょうか。

オペラはクラシック音楽のなかでも「総合芸術」と呼ばれる地位を確立しています。音楽だけでなく、台本、演技、衣装、舞台美術など、ありとあらゆる芸術要素を統合することで生まれる大掛かりな表現形態だからです。

また、オペラそのものの発生の起源を辿るとギリシャ悲劇にたどり着きます。古代ギリシアの文明や文化は一度失われますが、その後再発見された際には西洋キリスト教文化に大きな影響を与えます。西洋文化にとって、"失われた理想の都市国家"としての憧れの対象となるのです。

再発見されたいくつかのギリシャ悲劇の戯曲を元に、なんとか当時のような洗練された舞台芸術を作り出せないかという試行錯誤の結果生まれたのが、オペラの原型です。

その後も長い歴史の期間オペラは、権威と教養主義の中心に君臨しました。もしかしたらジョプリンも、オペラのそのような権威性に憧れと執着を持ったのかもしれません。

またなにより、オペラが上演される劇場に足を運ぶのは中流階級以上の白人が主でした。ラグタイムが演奏されるような酒場や芝居小屋には、ありとあらゆる階級の人々が入り混じりますが、オペラ劇場は別でした。

オペラ劇場で自身の作品が上演されることはすなわち、当時の(そしていまの)社会勢力図の中心を占めている上流階級白人からの承認を意味したことでしょう。


ジョプリンの作曲した「メイプルリーフ・ラグ」の楽譜は累計で100万部以上売れ、キャリアの途中からはそこから得られる印税だけでも生活ができました。

それだけでなく、彼が作り出したヒット曲は他のピアニストや作曲家に影響を与え、2020年代を生きる僕たちの身の回りにある音楽からも彼の残したスタイルの片鱗を見つけ出すことができます。

しかし、彼が晩年にかけて強く欲求したオペラやクラシック音楽の分野での仕事は、芳しい成果を上げることはできませんでした。

2つ目のオペラが失敗に終わったあと、以前から発症していた梅毒の悪化と、認知症の発現により入退院の繰り返される生活を余儀なくされたジョプリンは、1917年にその生涯を閉じます。


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文化と文化の架け橋

ジョプリンの遺した功績は、ひとくちに「偉大だった」と言っても表しきれないほどの重要なものです。

マーチのリズムと黒人文化由来のシンコペーションという異なる文化の要素を、音楽の中で統合したからです。

これは、ラグタイムという音楽ジャンルを生み出したという価値だけでなく、アメリカの音楽家たちを強く刺激し、のちのさまざまな音楽スタイルを生み出すきっかけとなりました。

マーチは西洋古典音楽由来の、権威性の強い文脈から生み出された音楽です。かたや黒人音楽は、被差別人種の生活の中から生み出されたとされている音楽です。

「メイプルリーフ・ラグ」をはじめとしたラグタイム・スタイルの音楽が音楽ホールで演奏され、レコードとして各地で再生されるたびに、社会の中心を独占していた白人文化はその音の響きに影響を受けます。

そのズレたようなチグハグの響きにはじめは毛嫌いした人もいたかもしれませんが、大衆人気に下支えされたラグタイムは否が応でも、街に家の中に響き渡ります。

そのうちにズレた「ラグ」のリズムは白人の社会にも染み通っていき、その後のジャズやブルース、R&Bなどが受け入れられる下地をつくっていったのかもしれません。


「ラグタイム」自体は1917年のジョプリンの死のあたりを境に急激に人気が下火になります。そして、次々と新しい音楽がアメリカの各地から花開いていきます。

ラグタイムはある種の、時代の徒花であったかもしれません。しかし、ラグタイムのなかった世界は考えられません。21世紀を生きる僕たちの生活の中にもスコット・ジョプリンをはじめとしたラグタイム作曲家の仕事と生き様は、しっかりと編み込まれているのです。


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黒人由来の音楽……?

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