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【#一分小説】適音《第二十三話》

 自分が何を大事にしているか。ということを如何に悟られずに過ごして行くかの楽しみもあっていいんです。

 まっさらな気持ちを常に持ち続け、思うがままに生きていくというのは、穿った見方をすれば、社会との断絶とも受け取られかねない訳ですが、その社会があるからこそ、自分というものが自然と縁取られていくのですから、社会あっての自分なのです。

 だからこそ、その縁取りのみに気をとられ、いつしか自分と社会の両方に胡座をかいてしまう危機感を抱くのもまた、楽しみであるし、広がりと受け取ってもらえるのです。

 何も、てめぇのサディズムで行動してるんじゃねえよ。
(つづく)

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