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【#一分小説】適音《第二十四話》

勿来信也「そこいくと、結局テレビがいちばん『あたらしい』ということにどう計算してもなるんで。」
すじたぎいち「あ、そう。」
勿来「例えば、スポーツでも、音楽でも、芝居でも、お笑いでも、アニメでもなんだって、その分野の『横』っていうのは切っても切り離せないもんで。所謂コネとか柵とかの。」
すじた「うん。」
勿来「その『横』を残酷なまでにぶったぎって『あたらしい』ことを常に肯定し続ける。だって今しか映さないんだから。これが、ネット(動画)になると話が別で、アレなんか、まさに『横』そのもの、ソレの延長みたいなもんで。
すじた「へぇー。」
勿来「そうよ。観る方の都合に自在に合わせられる。それは一見観る方にはそれでいいのかもしれない。だけどその実は、作り手の『横』の論理に合わせているに過ぎない。そこには時間というものは全くない。全くの無風。やっぱりテレビですよ。残念ながら。テレビしか『今』を映さないんですよ。『あたらしい』ものを受け入れないものが我が物顔で出歩ける文明は、未来がそう長くないわけですよ」
すじた「ほぉー、そんなもんかねー。」
(東部放送「純米酒造Presents すじたぎいち 飲まずに話してッ!」2018/11/19)

(つづく)

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