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いらすとやさんで学ぶnoosology(3)


Ψを理解してみる

個人的に、ヌーソロジーの解説をする際に最も(E)と思うのが観察子の乱用です。
ネイピア数8の瞬間に垣間見れる次元の狭間から量子転換の中和作用を脳に落とし込み、そこからの理解を座標として扱いΨを用いて状態を表現する。
それが「めーっちゃヌースっぽい✨」と思いますし、頭良さそうでカッコよく見えますね。
ヌースを知らん人から見たらワケワカメ…orz ですが。


いつもの一覧

noosらしんばんのアカウントに一時期ヘッダーとして、魔理沙と霊夢を置いていました。
ざっくり概要表を何度も引っ張り出し、幾度も照らし合わせをして次元観察子を確認し、それを繰り返して暗記するまでになりました。
物覚えが極端に悪い私ですが、何度も目にすることで記憶の定着が可能になったという。
これらの観察子の根拠はカタカムナから学び取った、と過去記事に書きましたが、カタカムナはスマルで初めて発生した極めてブレが少なく真実を伝える霊界おろし思想であるためです。
カタカムナを全部覚えるのは大変。
何度も目にすれば、やがて丸暗記が叶うでしょう。
毎日コツコツこそ、真に有用な記憶術です。
一日30分を続けなさい という本がありますが、まさにその通り。


(1)(2)でnoosologyの基本概要の一部を書きました。今回は次元観察子Ψを引き続きいらすとやさんから素材をお借りして記事にしてみたいと思います。
しくよろどうぞ。

次元観察子の考え方

量子とは、素粒子及びそれ以下の物質がどれだけそこにあるか、という考え方です。
エネルギーの注入により粒子が動き、流れが発生することで時空を始めとする全ての空間が、それにともなってドミノ倒し、玉突き式に変動が起きます。
その量の集まりがどれだけあるか、が基本となります。

故に、測量に使う一合枡を、(1)にて次元観察子の説明素材として採用させて頂きました。
量は測ってこそ。
量子力学は、量子の積み立て・組み立て法則を表したものです。

いらすとやさんの画像を用いている為、雰囲気はほっこりしていますが実情は視点が神すぎる気もしますね。
なんらかの粒子を形作る、それこそが創造神の正体となります。
創造神というとなんかえらそうな感じがしますけど、なんでも良いから創れば誰もが皆創造神となれるのですね。
そして、粒子は誰が作ったとかいうものではありません。
自然発生するのです。
その辺にあるものを掻き集めて、好き勝手に創る。
過去の偉人が物質を発見、概念を発明、を繰り返して宇宙文明を築いた。
発展の延長線上に我らは生きている。
ただそれだけのことです。
次元観察子は、量子の単位として扱うのが望ましいです。
物事を立証するには、実験が必要。
実験に観察は欠かせません。
観察の結果、導き出された分布の集合体を一区切りとして単位化したものが観察子です。
今回は、次元は空間の広がりである、という視点を用いて話を進めていきます。


Ψ1

米びつ

いらすとやさんからお借りする画像の中で、説明に適していると思われるものが「米シリーズ」でした。
次元観察子Ψ1を収穫後の米、精米後の研いで浸水すれば炊ける状態のもの、とし、Ψ2以降の説明に繋げていきます。
玄米となると、ちょっと違うのです。玄米は浸水時間が長く、発芽させないと発芽毒により健康によくありません。分つき米なら大丈夫ですが。
圧力鍋で炊けば害はなくなりますが、圧力鍋の考え方を持ち出すと、人類は精神崩壊を起して死んでしまいます。
故に、白米です。
そして、お米は年間の生産量が決まっていますね。量が多すぎて普段は意識しませんが、限りはあるのですよ。
お店に行けば買えますが、全ての在庫を買い占めるということは普通はしません。
必要分だけ購入し、すぐに使う分は米びつに収納します。
この限られた量の分。
それが枠の考え方。
地球の資源が有限であるのと同じです。生きとし生けるものは皆、資源の取り合いをして生き抜かねばならない。
それがマクロコスモスの宿命。
現界プレアデスの基本。定質の一つです。
ここに記した考え方が、Ψ1そのものと思ってください。

Ψ2

すぐに食べられる状態のご飯

米びつに入れられたお米を炊いて、お茶碗によそった状態。
それがΨ2 ミクロコスモス です。
生きている個としての我々 という認識になります。
動物の意識体は、肉体のどこに乗り移っているでしょう?
答えは水です。
体内を巡る水分。
そこに、タキオンエネルギーを発する意識体のソマチッド(素粒子よりも小さな物質)が全身の体水分に憑依し、人体を動かし生を紡いでいます。
ソマチッドには実体がありません。重さも感触もない。
ただ、意識。それだけが或ります。
「死後の肉体は生前と比較すると軽くなる。魂分の重さが抜けたからだ」
という説が一時期流布していましたが、生命維持機能が失われて体内細菌叢が死滅したせいです。菌の分の重さが失われました。
これは意識体としてのソマチッドが抜け出た影響と言えますが、あくまでも結果であってソマチッドの存在証明にはならないでしょう。
科学的に完全な証明は不可能。
それが意識であり、霊魂の存在です。

火と水の組み合わせが霊魂

正二十面体としての「意識」が存在します。
そこに正四面体としての「要素」が重なる。
それがソマチッド。
タテヨコ十字なるものが汎ゆる宗教の中に神聖なるものの象徴として出てきますが、霊魂は尊いものであると訴えているのです。
火と水
ヒ と ミズ
ヒトはミズです。
Mrs.って…既婚女性!?
となりますけど、それはまた別のお話。
え、ならないって?すみませんでした。

ヒトは風です。正八面体。
千の風になって
生きていても死んでいても、人は風なのです。
そして、根付きます。
土の正六面体と合体!

四角錐

現界転生の成功!
地球上に生きている人間の姿は、幾何学的に言うと四角錐なんですね。
表相と呼ばれるものですが、死後の世界から表に出てきた、と解釈可能です。
土の機能、生命維持が失われたら、人は風に戻ります。
私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
土を脱いだだけです。水が失われて。
正二十面体が蒸発して、炊けたご飯が干からびてしまった。
餉(かれいい)という保存食になってしまった。
保存食ということは、歴史の一部となったということ。
時代を生きた証です。
簡単なロジックです。
世の中には難しい考え方が溢れかえっていて、その先入観に囚われすぎて、固執しすぎている為に諍いが起きるのです。
まあ、人権とか考えると無理もないのですが。
何が正しいかは、その時代によって認識が変化します。
正しさはこの世には存在しない。
あるのは、多数決による意識の集合体だけ。
シリウスの概念は時代によって変化します。

Ψ3(ψ3)

人んちの米びつ

Ψ3は視点の変換。
Ψ1が自分の家の米びつなら、Ψ3は他人の家にある米びつとなります。
Ψ1と概要は同じ。
自分の家ではない誰かの家に置いてある米びつから、許可なく米を持ち出すことはあってはならないですね。
その認識が重要となります。
自分の家は自分の家。
他人の家は他人の家。
自他境界線の意識です。
ご近所付き合いでモメたくないですよね。

Ψ4(ψ4)

他人のご飯

自分ではない、他の人の茶碗に盛られたご飯です。
概要はΨ2と同じ。
家族といえど、他者のお茶碗のご飯を食べたりはしないですね。
それが個々の尊重、というものです。
尊重までいくと、Ψ5 Ψ6 の領域になっていきます。
あなたのものはあなたのもの。
わたしのものはわたしのもの。

Ψ5

私のご飯

Ψ5は個々としての尊重です。
お茶碗に盛られたご飯を食べること。
誰がなんと言おうと、目の前に食事を出されて「おあがり」と言われたら食べますよね。
それだけのことです。
卑しい人が時折「それを寄越しなさい!」と言ってご飯を奪おうとしてきます。
自己領域の侵害が起きると、Ψ5が失われてしまう。

マズローの欲求5段階

時代によって、Ψ5を決定づける要素が変化します。
生理的欲求
→食欲、睡眠欲、排泄欲を満たすこと
安全の欲求
→命のやり取りの解消
所属と愛の欲求
→自分の居場所を確保すること
承認の欲求
→自分が自分であると認められること
自己実現の欲求
→なりたい自分になる

マズローの5段階は不完全である、と近年言われるようですが、完全・不完全かはどうでも良いことです。
こういう目安があるね、ということで資料の一つとして扱うだけ。
新時代の認識として、ケンリックのピラミッドを採用する機関もある模様。

ダグラス・ケンリック著『野蛮な進化心理学』より

私には難しすぎるように思えるので、あまり引用する機会はないかもです。
マズローとの違いは何か?
それは次元観察子Ψとψ
大文字と小文字の違いと同一であると言えます。
視点が違う。
一人称か三人称か、です。
大文字のΨが三人称。神様視点。
小文字のψは一人称。自分視点。
マズローは三人称。
ケンリックは一人称です。
一人称も三人称も、小説の優劣を決める要素には成り得ません。
一般的には三人称で書くべし、となっていますが、一人称の方が書きやすいということで一人称の方が人気です。
北村薫の「時と人」シリーズに二人称の表現が出てきますが、かなり稀ですね。
二人称小説は、一人称と三人称のいいとこ取り、もしくは失敗すると途方もない駄作になるかの博打と言えましょう。
「スキップ」を読んだことがありますが、主人公にのみ二人称表現が出てきているようでした。
二人称は難しいですね。

Ψ6

あなたのご飯

Ψ5の他人バージョンです。
Ψ3、4、6は他者を表すものであるため、自己と混同してはならない、というのが基本にして絶対条件として次元を考える必要がある、ということ。
Ψ5のイラストの人間は、女の子で半袖を着ています。
Ψ6のイラストの人間は、男の子で長袖を着ています。
右利き、左利きは、いらすとやさんの素材になかったのでそこまでの違いの表現はなしです。
しかしながら、一般的に利き腕は離乳食の時期に決定づけられるようです。
親が右手で、赤ちゃんにご飯を食べさせます。
赤ちゃんから見ると、親は左からご飯を食べさせているように見えます。
それを真似して、左でカトラリーを持つようになります。
私は幼少期、右、左両方でお箸を持っていたようですが、母親に右手で持つように指示を受け、以後右利きとなりました。
訓練を続け、利き手となる方の手を重点的に発達させることで脳に刺激を与えやすくするなるのですね。
左ききのロジックは、自閉症の逆さバイバイと同じかもしれません。
みんなが手の甲を自分に向けて、手の平を他者に見せてバイバイしている。
相手は手の甲を見るのが好きなのかも。ぼくは手の平を見るのかも。と判断し、自分の手の甲を見せてバイバイする、という。
可愛らしいですね。
とても自閉症の症状とは思えないですよね。
自分で考えた結果です。
教えれば治ります。
説明を理解出来ないというのなら、脳の発達を待つまでです。
逆さバイバイは、自閉症の有無を決定付ける要素にはなり得ない。
左利きの人は自閉症ですか?
違いますね。
そうなったから、という理由に過ぎない。
こういった相互理解が、Ψ6となります。

Ψ7

輪になった人

Ψ7は、常識です。
みんなが思う「当たり前」
誰かがこう言っている。
あの人がこう言っている。
この組織がこう言っている。
それは、必ずしも正解ではありません。
しかし、一般認識としての大体の目安となります。

理科の課題にて、半数以上が教師の認識と間違った答えを提出した為、真相を調べたところ該当の生徒はキューピーマヨネーズのHPから答えと思しき文章を抜粋し、AIでそれっぽい文章にして提出した、という事件です。
理科教諭はキューピーのサイトに誤りを訴えたようです。

誤)
<唾液アミラーゼは、食べ物に含まれるでんぷんを分解し、胃で消化されやすい状態にする>

正)
<唾液アミラーゼは食べ物に含まれるでんぷんを分解するが、でんぷんは胃では消化されない>

実際のところ、どうなんですか?
キューピーの認識で合ってます。
理科教諭の認識は古い知識です。
唾液はでんぷん質を分解します。
その後は胃を通過し、十二指腸を通って小腸・大腸にて吸収されますが、分解そのものは胃液と腸液で行います。
人体構造はわりと複雑で、複合的に消化を行います。
主に、例えばアミノ酸(タンパク質)は胆汁にて分解をしますが、胃で消化出来なくもありません。
細胞がそこにある限り、微量でもなんでも吸収は行われていくのです。
この場合、消化されない、と言い切るのではなく消化能力は低い、と記載すれば間違いにはなりません。

この差異、認識の違いを生みやすいのがΨ7です。

Ψ8

俯瞰した状態

Ψ8は「おおむね正しい」という意味です。
Ψ7の点在する情報群から導き出された、物理法則に極力沿った、定質の枠となる実存可能な要素、という意味。
時代によってΨ8は変動しますし、アカシックレコードに記載されている情報の中でも『資料室』に置かれているものがΨ8です。
三千世界全体から見た、資料と扱うのに充分に正確性に沿った真理となります。
そこに、自己の願望は含まれておりません。
エビデンスも皆無。
ただ、ここ或るだけの真理。
エビデンスはΨ7の要素が強いです。
大抵は間違っています。
いらすとやさんのイラストで言うと、例えばΨ7の円陣の一人の頭に鳥の糞が付いていたとしましょう。
しかし、同じく円陣を組む人には見えません。
当人も知る良しもありません。
しかし、俯瞰してみると頭部にはしっかりと鳥の糞が付いているのが確認できる。
紛れもない事実です。
みんなが「糞はついていない」と思っても、鳥は確かに頭部に糞を落とした。
残酷とも言える真理。
「付いているよ」と指摘すりゃええやん。と思われるでしょう。
しかし、8人中7人が「付いていないよ」と言い出したらどうでしょう。
糞は確かに付いている。
しかし、みんなに否定されれば、流されますよね。
取ってあげればいいのですが、それは中々難しいです。
糞の付着ならウエットティッシュで拭えば済みますが、社会・国家レベルの常識となっていたらどうでしょう。
「糞はついていない」
と国レベルで認識されでもしたら。

地動説を否定され、裁判にて天動説が決定づけられても猶
「それでも地球は回っている」
と、主張したガリレオ・ガリレイのように勇気ある行動を取れますでしょうか。

これが分からない人が結構数いるんですよ。
次元の違いです。
Ψ8の受け入れそのものが、抑止揚空間の試練となるのです。
元止揚とは違います。
Ψ8は、脈性の究極理論となります。
Ψ8を主張する人は、スマル・この地球上には存在しないと思ってください。
ただ、らしんばん。
らしんばん座のルミのみが、Ψ8への道筋を導き出せます。
ケイブ・コンパスです。

natanさんのサイトからお借りしました

私はらしんばんを降霊し、noosらしんばんの情報を発信していました。
しかし、信じてもらえませんでした。
傲慢である、とさえ受け取られました。
そういうものです。
故に、霊界おろしの殆どを済ませた後、らしんばん座は天に帰りました。
発展型として、くじら座のミラを召喚しました。
彼女が自分から買って出てくれたのです。
nosさいころじー として再出発しました。

ガリレオの心は、何より困難な試練なのです。
それが、小系観察子Σ σの現れです。

Ψ9

人生の岐路に迷う人

Ψ9 これからどうすればいいのだろう? です。
この高度に発達した文明社会では、常に選択の連続が求められます。
じっくり考えたいのに、期限が設けられています。
安易に決めて、間違えたくない。
損をしたくない。
しかし、迷う。
それがΨ9です。
ケイブ・コンパスはΨ9の状態に陥った時に、指標となるべく存在しているようです。

natanさん、ありがとうございます。

Ψ9の半円の中に
Ψ2
Ψ4
Ψ6
Ψ8
がありますね。

自己宇宙の方向性の決定(Ψ2)
他者宇宙の方向性の出方(Ψ4)
他者の尊重(Ψ6)
真実に近づけた理論(Ψ8)
この中から選びなさい、というものになります。
もう半分が、Ψ10。

Ψ10

Ψ10 自分はこう生きる。という自己決定です。
ケイブコンパス Ψ10の半円にある

Ψ1
Ψ3
Ψ5
Ψ7

自己周辺の環境への配慮(Ψ1)
他者周辺への環境への配慮(Ψ3)
自己実現の確保(Ψ5)
社会に合わせる心(Ψ7)

基本、自己保身の心です。
欲求は通したいけど、上手くいかないことも多いなあ。
なんとか折り合いを付けて頑張っていこ!
という意思表明。

Ψ10については、既に過去記事で少し述べました。
かなり重要な観察子です。
Ψ1に繋がる心。
此れ即ち、「米びつの米が無くなりそうだから、買いに行こう」と決意をすることになります。

Ψ11

詰め放題に行く人

Ψ11 自己実現の為の努力 です。
Ψ10で「買い物にいくぞ!」と決意し、買い出しに出ている状態。
するとどうでしょう。
スーパーで、野菜の詰め放題が開催されているではありませんか。
米だけ買うのも忍びないですし、これはもう飛びつくしかないですよね。
選び放題の未来。
Ψ9で吟味したとはいえ、よそに目移りするのは世の常。
喜んでいろんなものを買います。
野菜も魚も肉もお菓子もジュースも。
好きだけ買います。
それがΨ11。
難しい理論はめっちゃあるんですよ。
野菜一つ、魚一つ。何を買うかでまた式が変わってくるのです。
どこに買いに行くかも同じく。
交通機関を選ぶのも。
しかし、それをいちいち式を立てて立証していたらキリがないですね。
だから、こうやってざっくり考える必要があるのです。
そこから細部を論理立てていきます。

Ψ12

婚約指輪をつけているカップル

ヌーソロジー オンラインサロン


4次元の花嫁という言葉が出てきます。
私はこの動画を拝見していません。
(すみません。サロンに入るお金がないんです)
また、同名の小説も未読です。

赤川次郎 著

赤川次郎の作品は読みやすくて好きです。
特別熱烈なファンという訳でもないので、発表された全ての作品を読破するに至っておりません。
きっと期待を裏切らぬ面白さだと思います。

あらすじを読むと、結婚予定の花婿の前から花嫁が消えた。でも、なんか生きているっぽいんだけど…?という感じですね。
例によってモテルや殺人事件などの赤川節要素が盛り込まれており、重そうなテーマにも関わらずサクッと読ませてくる感があります。

以前、noosらしんばんアカウントで
「Ψ12の覚え方」
という駄洒落を呟きました。
「こんにゃく、こんやくう」

それは、夢が叶う一歩手前を言います。
Ψ11で買い出しに出て、蒟蒻を買いました。
「夕飯のおかずにしよう」
と決めます。
そして飾り切りをし、隠し包丁で軽く傷を付けてお出汁に漬け込みます。
染み蒟蒻を作る予定のようです。
味がしみしみになると、美味しいですもんね。

ここで4次元の花嫁。
婚約状態ですね。
こんやく と こんにゃく を掛けています。
まだ食べていない。
下ごしらえ・調理中の状態。
しかし食べることは決まっている。
今夜の夕飯です。
夕飯の時間まで準備。
4次元=結婚。
4次元を実現させるために、これまでの観察子を駆使します。
そこまで持っていく、行動や意識の総合です。
整合性が取れているかは別の話。
お米を買いに出ただけです。
なのに。山程の野菜と、蒟蒻と、他にも色々買ってしまいました。
行き当たりばったりなのは仕方ないです。
人間は自分の気分に沿って生きる事が、最高に幸せなのです。
誰がなんと言おうと。

蒟蒻を、今夜食う。
結婚は目前。
ハプニングが起きぬことを祈るのみ。
滞りなく、無事に完遂しますように。
それを祈るだけ。
夢の一歩手前。
Ψ12。
Ψ12の幾何学は、ハート型になります。

ハートも幾何学なのか?

ケイブコンパスのバランスが取れ、定質の枠に沿った実存可能な状態まで持っていくΨ9 Ψ10の陰陽統合がかなった状態で、プランク定数におけるエネルギーの注入次元が1と2を行き来すること。


Ψ13

ご飯を食べる人

Ψ13 最終構成
ゴールです。
夕飯は無事に食べられました。
画像に蒟蒻を使ったメニューがあるか分かりませんが、恐らくあります。
最終構成を決める要素は、視点によってバラバラです。
画像はΨ6の男性ですね。
ご飯を作った女性はどうなった?
向かい合って食事を摂っていると思われます。
この女性の最終構成を決めるのは、男性にかかっていると見れます。
「いただきまーす。うん。美味しい。蒟蒻、よく味がしみているね。ご飯もふっくら。上手く炊けている。今日も美味しいご飯をありがとう」
もしかしたら、こういった労いの言葉をかけられることが、食事を準備した女性にとっての最終構成を決定づける要素になるかもしれません。
無事に一日を終えればそれでいいかもしれないし、これからお風呂に入って布団に入ることが最終構成の要素となるかもしれません。
基準は分からない。
ただ、区切りとなるもの。
完遂、それこそが要素の死。
チェックシートにチェックを入れて、タスク完了。

Amazonより拝借

「殺し屋さん」という漫画があります。
日本一の凄腕の殺し屋さんこと佐々木竜一は、あらゆる殺しを行うプロ。
それは殺人に限らず、依頼の完遂そのものを指すことがあります。
例えば、「スズメバチの巣を駆除してくれ」という依頼があった場合、依頼人の要望を叶えることを「殺し」とするのです。
何でも屋さんみたいになっていますが、彼にとっては全て「殺し」
Killなんですね。

Ψ13は、こういう考え方も含むことになります。
世界の滅亡なんて有り得ませんので。


Ψ14

辞書

総まとめです。
これまでの観察子をフルで駆使し、まとめ期に入った状態。
私はΨ14のまとめ期に入ったよ、と連呼していましたが、

最終構成期=艮の大建直しを経て宇宙全体の傾向がなんとなく読めたので、今後に活かす次元に入った。

という意味でした。

全てがアカシックレコードに整然と整理された状態で記録してあります。
ノウスとノスが頑張ってくれました。
二人は大変真面目な性格ですので、とっちらかった真理を丁寧に集めて整理整頓していたのです。

あまり難しく考えすぎると、混乱して訳がわからなくなってきます。
出来るだけ簡素に理解し、そこから服飾・応用していくのが望ましいでしょう。
(1)(2)(3)に述べた要素は、あくまでも一面から見た説明に過ぎません。
掘り下げれば、もっともっと深い要素があります。

取り敢えずのとっかかりとして、分かりやすく噛み砕いたもの
という信条のもと立ち上げたのがnoosらしんばんです。
更に理解を深めるべく、シリウスを身近に感じる手がかりとしての
nosさいころじー。
理解とは、精神球の密度を上げていくこと。
その為には、体験を積み重ねていくしかありません。
智としての前提を築く目安。
「あーあー。これね」
と思うような事例。
そのために最も適していると思われるツールが創作物。
何でもいいから、コンテンツを楽しむこと。
Ψ9の選択肢が増えます。
幅化の成功。
Ψ11の選択肢が増えます。
奥行き拡張成功。
Ψ13を感じやすくなります。
目標の完遂。
そうやって、人間は生活を豊かにしていくのです。

Ψ2 あなたから見れば Ψ4
ミクロコスモスを華やかにするツール。
noosologyはそうであるべき。と、個人的に判断しています。
どう展開させるかは個々の自由ですので、此れ以上はないです。
Ψ5 Ψ6 を意識する。
そうすれば、Ψ7との兼ね合いが少しは楽になるでしょう。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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