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結ばれないツインレイ


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ツインレイとは


一応、双子の魂の唯一無二の存在としてソウルメイトの最高峰?にあるらしいツインレイなる概念。

しかし、ツインレイだからといって結婚して上手くいくわけでもなく、いつかの世で決別してしまうことも多々。

運命の人はほぼ幻想と思って間違いないでしょう。

この記事にテーマの例として出した、うる星やつらのラムとあたるは恐らくツインレイです。
しかしそれは、決して結ばれることはないというもの。
どんなに運命的な出会いをしても、赤い糸で繋がっていても、数多の困難を共に乗り越えようとも、結婚して子をもうけようとも、真の意味で結ばれないものは結ばれないのです。

惹かれ合う2つの魂。
ガラスの仮面では、主人公の北島マヤと速水真澄がツインレイであるかのように描かれていますが、二人が結ばれるとは到底思えないですね。
マヤはなんか違うし、真澄は現実逃避の延長線でマヤと関係を持っている感じがします。
真澄は紫織の元で落ち着くべきですし、マヤは適当に劇団女優をするのがいいですよね。
もし一緒になるとしたら、桜小路と見せかけて、劇団一角獣のはじめ君あたりですね。
ぽっちゃりさん。
彼とは意外に良い感じになれそう。


マヤは未熟すぎる。
石の微笑という舞台で人形の役をやりましたが、月影先生の真意を理解しきれていません。
一人で演技をするな。
舞台嵐は不名誉だぞ。
もっと周囲を見渡して生きろ。
輝き方を誤るな。
ということで、月影先生は女優として生きるのに何より大事なことを伝えたかった筈なのですが、若いマヤには全てが伝わりきらないみたいですね。

マヤは真澄と交流を持つことで成長をしますが、それだけです。
八百屋お七をするには情熱が足りない。
真澄と燃え上がるような恋をしても、まだ足りない。

Ah 私の恋は
南の風に乗って走るわ
青い風 切って走れ
あの島へ

南風(はえ)なのです。
天候変化の予兆。
マヤは人間的に大きく飛躍するけれど、真澄では役不足。
ここでの意味は「実力が足りないこと」としてください。

渚は恋のモスグリーン
二人の頬が
近づいていくのよ
あなたが好き!

普通に考えて、モスグリーンの渚は空が曇って藻が湧いた残念な海ですよね。
美しい海なら、例えに出るのはエメラルドグリーン辺りになるでしょう。
青い珊瑚礁は、少女が恋をするけれど、空回りしちゃう?という歌。

つまり、男女の間柄ではスッキリしない。
マヤの真の心のパートナーは姫川亜弓と見せかけて、無難なところで乙部のりえ辺りじゃないですかね。
本来なら和解するべきだったのですが、二人は若い。
若いが故に和解出来ない。
意外に良い仲になれたと思います。

更に言うと、紅天女の舞台は呪われているとしか思えないので、無理に上映する必要もないんじゃないですかね。
紅天女は霊界の試練の要素が非常に強い。
近づいたものは、全員もれなく試練負けするようになっているのですね。

どう考えても、後継者は亜弓でしょ。
でも失明しちゃいますし、やっぱり無理なんですよ。
マヤはイタコの能力が高く、あらゆるキャラクターを降霊するようですが、演じることそのものは苦手なようです。
なりきってはいけない。
あくまでも自分と役をそれぞれ対峙させて、己としての己を尊重しあわねばならない。


と、ガラスの仮面の考察はこのくらいにしておきます。

卒業までの半年で
答えを出すと言うけれど
二人が過ごした歳月を
何で測ればいいのだろう

青春時代は夢なんて
あとからほのぼの思うもの
青春時代の真ん中は
道に迷っているばかり



夢破山河在


ここで、どう頑張っても結ばれないツインレイの例を一つ出しますね。

名探偵コナンの、黒の組織のジンとシェリーです。
実は、二人はツインレイなのです。


シェリー 俺は転がり続けてこんなとこにたどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり 金か夢かわからない暮しさ

転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様なかっこうでささえてる

シェリー 優しく俺をしかってくれ
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから

シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
シェリー 見知らぬところで 人に出会ったら どうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない
シェリー 夢を求めるならば 孤独すら恐れやしないよね
シェリー ひとりで生きるなら 涙なんか見せちゃいけないよね
転がり続ける 俺の生きざまを
時には涙をこらえてささえてる

シェリー あわれみなど 受けたくはない
俺は負け犬なんかじゃないから
俺は真実へと歩いて行く

シェリー 俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いているかい

シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに


この歌を、あのジンが尾崎のように魂を絞り出すかのように、心の中で号泣しつつ腹の底から歌っているのですね。


最初に尾崎のシェリーを聴いた時
「なんだ? 俺は俺は…と? 一体何がどうなって…」
とびっくりしました。
そして友達の前でこれを唄った時
「なにそれ…w」
と笑われてしまいました。


ジンは、本当に素性が知れない男ですよね。
狂犬のように恐ろしい男だと思えば、どこか抜けていて詰めが甘くて。

海外のスラム辺りで拾われ、戦闘訓練を受けて育ったとかでしょう。
生と死と性と金に乱れた、不健全ロードまっしぐらです。

そんなある日、シェリーと出会った。
彼女はこれまでのジンの人生にないものを持っていたと思われます。
灰原は普通に可愛いし、優しいですもんね。

そうして、ジンは何故かシェリーに執着してしまうのです。
ベルモットとベッドの上でもつれ合いながら、どこかでシェリーのことを考えてしまう。
そこに愛はない。
あるのは執着だけ。

無自覚に私情剥き出しでジンはシェリーを追っているのですね。
呑気なウォッカは「変なアニキ…」としか思いません。


辛いことがあった時、哀しい思い出に浸った時、ふとシェリーの姿が脳裏に浮かぶ。

肉体関係は結んでいません。
そこまで距離を詰められなかった。
しかし、何故か忘れられない。

シェリーを思い出すことで、ジンはポーカーフェイスのフリを保てるのです。


絶対に結ばれないツインレイです。


ちな、恐らく原作と方向性が違うと思われますが、灰原は本当はコナンと共にあるべきですよね。

元の姿に戻る的な雰囲気ですが、ふと。
あの体は、きっともう元には戻れない、と気付きました。
大きくなったり小さくなったりで、確実に寿命が縮んでいる。
コナンと灰原は、あと10年生きられるかどうかです。

つまり、蘭とは一緒になれない。
新一という人生を捨てて、蘭への気持ちや負い目を全て諦めて、灰原とひっそりと余生を過ごすのが最善と思われます。
恋愛感情などはなく、友情ありきの関係で。

黒鉄の魚影を観て、灰原も蘭も超良い子じゃん!と思いました。
これでコナンと灰原がくっつくルートなんて有り得ない、とまで思いましたが、それはコナンが新一のままだからです。
コナンは、既にコナンとして生きるルートしか残されていない。
しかし、新一であることを諦められない。

せつない。


青山剛昌の短編集は傑作でした。
天才的なストーリーテラーと思われます。



コナンの世界では、

俺は高校生探偵、工藤新一。
幼馴染で同級生の毛利蘭と遊園地へ遊びに行って、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。
取引を見るのに夢中になっていた俺は、背後から近づいてくるもう一人の仲間に気づかなかった。
俺はその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら……。
体が縮んでしまっていた。
工藤新一が生きているとヤツらにばれたら、また命を狙われ、周りの人間にも危害が及ぶ。
阿笠博士の助言で正体を隠すことにした俺は、蘭に名前を聞かれてとっさに
「江戸川コナン」
と名乗り、やつらの情報をつかむために、父親が探偵をやっている蘭の家に転がりこんだ。


から半年程しか経っていないらしいですね。

春が来て、やがて学年ループを脱して蘭たちが帝丹高校3年になった時、そこに新一はいない。
小学校2年生になったコナンと灰原がいるだけ。


蘭と新一はツインレイというよりツインフレームかツインメイトという感じですが、どこかの輪廻の輪の中で結婚することはあってもずっと一緒にはいられなさそうですね。


コナンには、作中には出ていませんが実は相手がいます。


「このぼくがいる」
なんて堂々と言える相手が、裏にちゃんといるってことです。

「いいコだ いいコ 泣かないでくれ」
なんて、蘭にも灰原にも歩美にも光彦にも言いませんよ。

銀翼の奇術師はあまり詳細を覚えておらず「耳抜きの話か…」くらいしか思い出せないのですが、出てくるキャラ出てくるキャラ、みんな超人高校生ですよね。

この話のオチは、告白不成立。
それがファイナルアンサーです。


いくら魂の縁で繋がりがあったとしても、4000年なんて繋がり続けることは不可能。50年くらいが精一杯という、人間関係の限界が現れていると思います。


故に、ツインレイという言葉に甘えてはいけないし、その概念に夢を見続けるのは不正解、ということになりますね。

甘い恋愛、一度や二度や三度、憧れますけどね。
現実は全く甘くない。

更に言うと、ツインレイかツインレイでないかの意識の置き方の見分け方法があります。

それは、悩む方向性です。

一緒になるかならないかで悩むのは、ツインレイではない証拠。
真のツインレイ同士なら、一緒になるかどうかは置いておいて違うことで悩みます。

主に哲学的ななにか。
結ばれるかどうかは完全にオマケ。
ツインのレイとは、あらゆる関係性を超越した高みにあるのです。


こういうのは、あとからほのぼの思うものなんですけどね。
所詮は、全て夢。


歌ってばかりの記事でした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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