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意識を向ける、わるあがき。


ザ・ロゼット作り


今回は、引き寄せの意識について。


贈り物の準備の一貫として、ロゼット作りをしていたのです。

こういうの

ロゼットメダルリボン。
一時期、ハンドメイド界でめーっちゃ流行りました。

どこもかしこも、ググるとロゼット作りが出てくる。

ブームが下火になると、100均で売られるようになりました。


ロゼットが流行った理由

  • 見た目が派手で高見えが狙える

  • 意外と作るのが簡単

  • 教えるのも簡単だった

  • 何度も練習をしないとソラで覚えられないので揃って練習をしていた


簡単なのに見た目が映える、というのはハンドメイドに於いて物凄く重要なことです。
あまり難しいと気力とやる気が尽きて制作活動そのものハードルが上がります。
楽しめない。
そして大作作りはそれだけで人生のリソースを割いてくるので、熱意がそれほどない人は長続きしません。

素人、そしてあまり手先が器用ではない人間が、気楽且つそれっぽく作る、というのが大事なのです。


とはいえ、ロゼットリボンも凝るとかなり派手なものが出来ます。
難易度が上がり、極めた者にいきなり追いつくのは無理…となるくらい、技術の粋を極めるように…。

何連とか、複雑レースとか。
折り方の配置もセンスが出ます。

私はロゼットが流行りだした頃には興味が湧かなかったので、スルーしていました。
全く作ろうという気が起こらなかった。

しかし、界隈の動向は静かに観察していました。


プロレベルの人は、非常に丁寧に可愛らしく作ります。

やがて手芸店でロゼットメーカーなる器具が売られるようになり、ハードルがどんどん下げられていきました。
手に取りやすくなった上に、ロゼットそのものの認識が消費者層が移り変わっても継承されていきます。
技術が廃れない。


そして現在、私はプレゼントの包装について悩み
「ロゼットって作ったことないけど、やってみよ♪」
ということで初めて作ってみた次第でございます。


時代が良いので、ロゼットの作り方は少し調べればたくさん出てきます。

家にある材料で、それなりに作れるのはないかな?と探して回り、最終的にマスキングテープと厚紙で作るタイプに辿り着きました。

マステはキラキラタイプを持っているので、その裏に違うマステを貼り付けて…と思ったら張り合わせが難しかったので、マステの裏に糊で印刷紙を貼り付けて幅を合わせて切り取り、それっぽいリボンを作って制作しました。


糊を使うのは、マスキングテープの粘着力の強度を一切信用していないからです。
付箋紙の糊みたいな弱さよ?
そして、マスキングテープのもともとの用途からして、すぐに剥がせないと意味がないでしょう。
可愛いテープってことでかなり人気ですけど、セロハンテープと混同してはいけない。

マステの柄が重要。
飾りですから。
そして、可愛い折り紙を貼っても良かったのですが、裏となる折り紙を映えさせるほど技術が極まっていないので、白い紙で充分でしょう、ということで間に合わせでなんとかしました。


確かにロゼット作りはハードルが低い。
そして初心者でも結構カタチになるので、完成品を眺めて楽しい気分になれます。

100均で、完成品が2個で110円かな?
そのくらいで手に入るし、時給換算すると買ったほうが安いし簡単だし綺麗です。

しかし、ハンドメイドってそういうものじゃないんですよ。

作ることそのものが大事。
楽しむ為に行う。
そして、家の中を引っ掻き回して材料集めをしたり、足りないものを買い出しに行く、そういった一連の動作に楽しみが生まれるのです。

クオリティーとか単価計算とか、考えては駄目です。

利益を出すなら、工場ラインで製造一択ですよ。
ハンドメイド品で利益なんか出るわけないでしょ。
100年前ならいざ知らず。

工作に対する認識や娯楽の心をどこに置くか、という塩梅を見極める必要があります。

ロゼット作りは、娘ちゃんの誕生日プレゼントの準備の為に行ったもので、相手が家族ということからハードルは低めです。
多少歪でも、家族ならいいでしょ。
娘ちゃんは4歳になるところ。

プレゼントも、全然高価なものではないです。


利益度外視で、心を込めただけです。
そして、私自身の経験となった。

娘ちゃんが大きくなった頃、一緒に工作する楽しみも生まれるでしょう。


これは、完全に消費者としての立場で話しています。
販売者側に立つのは難しい。
個人的には、販売者の立場に立つのは時代を考慮して無理だと思っています。


工場を持たねば。
中国勢が、完成品の提供という夢をすぐに叶えてきます。
アイディアさえあれば、中国はどんどん商品を作ります。

最早ハンドメイドは趣味の領域から出ないものとなっており、そこで金銭を稼ぐのは、相当なセンスとブランド力がないと不可能です。


これだけ物が溢れかえっているのだから。

物質そのものの価値が、19世紀20世紀と比較して段違いに落ちています。
単価や物価は上がっていますが、そういうことじゃなくて。

時代為替というか、比率の話です。


昔はラーメンは200円で食べられたけど、今は700円くらいする。
それは原価が上昇した影響ですね。
タダ同然でラーメンが作れれば、今の時代でも200円で販売可能でしょう。
しかし、赤字が出たら元も子もない。

その辺は、卸問屋の認識が根底にあります。

流通の途中で多くの場所を通過した、それもそうなんですけどそれだけに収まらず、時価・物価が上がるとそれと同じ要領で徐々に値上げがされていく、という。

とにかく人件費が締め上げてきます。
時給を上げる為には、物価を上げなければならない。
エンゲル係数とかいう思想を国民が覚えて、学校でも教えるようになったから、意識が強く働いて皆で右向け右をした影響。
それで、物価はどんどん上がっていきます。
みんな揃って豊かな生活をしたいがために。


最低賃金を500円まで下げれば、一時的に極貧生活が訪れますが徐々に物価も下がっていくでしょう。
生活出来ない。
物が売れない。
安くするしかない。
比率的な視点で見たデフレスパイラルを起こします。

物価が上がったが為に、税金も上がりました。
政治運営にかかる資金が伴って必要になってきた為。
物価が上がった影響で、経費がかかるようになったからです。

国営・市営など公共機関も、流通の一部に属しているのが原因。
しかしこれは仕方のないことでしょう。

経費さえ下げれば、税金も繰越が出来るようになり、減税が叶うようになります。
しかし、頑張って切り詰めても、その分を欲しがる人が出てきます。

「準備金だから、これに手をつけちゃいけないんだってば!」
と、どんなに説得しても
「あるんだろ? 出せや」
とカツアゲしてくる。

繰越残高を多く残して、政界全体で納得に納得を重ねないと、税率変動は遠い夢。

税金が下がらないと、物価も下がりません。
みんな揃って、ジリ貧です。


残念なことに、この認識を全ての人が理解する時代は来ないです。

それだけあれば…とかなんとかゴネる人が多すぎて。


商業を勉強しても、ここまで思い至れない。
何故って、ここまで来ると商才の域に入るため、ほとんどの人は懐を温める為に悪用しますからね。

そうやって抜け道を見つけるのが、商売ってものです。

N党の選挙ポスター騒動を見れば分かるでしょ?
抜け道をじっくりじっくり調べて、揚げ足取りに全ての精神を注ぎ込んだ結果です。
あれを正しいと見るか、外道と見るかは、個々のがめつさによります。


こういったことを政治で絶対に行ってはならないので、理性がある人がハイエナの目を通り抜けて誤魔化し誤魔化し境界線を死守するのに頑張っていますけど、重箱の隅を突くようにハイエナはあの手この手で金を絞り出そうとしてきます。


こ、このお金は絶対に手を付けちゃいけないやつだ!

そこからのギャンブルなんて、絶対に駄目。
ギャンブルは余剰の余剰でするもの。
そして、責任がある人は絶対にやっちゃ駄目よ。
駄目人間道を極めたいの?




ザ・しょうばい


ハンドメイドで生計を立てるのは時代の関係で無理です。

ここまで来ると、ブランド力でなんとかしないと。


しかし、ブランドを立ち上げるのは難しい。

芸能人が服のブランドを立ち上げることが多いのは、経費削減と流行の枠から外れたいが為。

服を買うのはお金がかかる。
そして知名度を上げれば上げるほど、リサーチされます。

「どこどこの服だ」
とか
「どこどこのメーカーだ」
とか。

そうやって品定めされるのが嫌なので、独自ブランドを立ち上げてそれを着るようにします。

オートクチュールの延長線。

そうすることで、社会流行帯から外れます。
気が楽になりますよ。

お金を持っていないと無理ですね。


自分で服を作れれば、それに越したことはないですけどね。

工業用のミシンと裁断技術と、生地を買うのがな…。
家庭用ミシンでは限界があります。

モチベが続かない。

そして、なにより立体縫製の研究が難しい。


しかし、ハンドメイド服のお店の服なんて誰も買わないでしょう。

行ったことあります?

野暮ったい感じの、良くわかんないビミョーなセンスの服が平気で一万二万しますよ。
しかもこれは安い価格帯の方です。

自己満の領域ですよね。

ロトで6億あたった人が趣味で閑古鳥の鳴く珈琲屋を経営するなど、そのくらい余裕のある恵まれた環境がバックにないと無理です。
やっていけない。



センスで勝負するのもキツイ時代。
センスがないと、ブランドを立ち上げることも出来ません。

オリジナルグッズ販売とか、知名度を上げたお金に余裕がある人が道楽で行うものです。


たまにいますでしょ。
自撮りグッズを販売している人。

正直、頭がキているんじゃないかと思っています。
スピに多いですね。



スピリチュアル系でグッズ販売となると、歴史と伝統の波に乗らないとあきまへん。


神社で購入するお守りとかその類ですね。
効く効かないとかではなくて、「そういうもの」というスタンスにありますね。

ああいったものは奉られている神仏のソーマが宿っているので価値が生まれるのです。

神道って、新しいんでしょ?
明治じゃん。

ではなくて。


神道は、縄文からずっと受け継がれてきた先人たちの意志が宿っているので、神道は神道ですよ。
御神体がその時代に存在しなかっただけで、歴史のターニングポイントとなる人物に神々が宿り、歴史を創り上げた、その事実が重要なのです。

建物そのものに信心を見出すのは良くないです。
偶像崇拝ですね。

その先の、意識を見る。
そうでないと、本当の信仰は生まれません。

見た目の派手さを求めるのは、大乗仏教の考え方ですよ。

威厳を示し、大多数に存在を知らしめる。
特にアピールしなくても神聖なる存在、偉大なる神霊は確かに存在するものの、うつけにはそれらが感じられないので、目に見えるカタチで現したのが御神体や聖堂などです。
なくても神様はいますよ。



こういった精神世界の理解度で、スピリチュアル世界のグッズ販売は色々変わってくるのです。


自分の「推し」ですよね。

根底は、推しに貢ぐ。
これと同じベクトルですわ。


信仰の場合は、長く続くこと、存在が後世に伝わること。
物質的な意味では、この辺りが重要視されています。

神社仏閣が建てられている。
何故か。
これこれこういう尊いお方の存在を忘れてはいけないから。
歴史の心を風化させてはいけないから。

そして残るということは、それだけ神力や法力などが強いことを現します。

意識を集める力。
これがだいじ。


心を尽くし
精神を尽くし
想いを尽くし
主なる汝の神を愛せよ


主なる神は、何もキリストだけに留まりません。
自分の中の神。
それが真の神です。


そういう意識に、自然とお金が集まってくるということです。

徴収しているようではないが、何故かこちらからお金を渡したくなる。
神とはそういうものです。



グッズ系に宿るソーマ、というとですね。

例えば私は息子の為に、お友達にプレゼントする用のシールの小袋を沢山制作しました。
印刷紙を型紙通りに切って糊付けし、封筒作りをしたのです。
その中にシールを幾つか。
ザ・内職。

「お友達と喧嘩しそうになった時、これを渡して謝りなさいね。自分は悪くないと思っても、相手はそう思ってない時もある。だから、謝罪の意だけでも伝えといて。先生が仲介に入った時も、謝っていた、という事実があれば少しは良くしてくれるでしょ。このシールは、謝罪のきっかけだよ」

モノで釣るのは良くないですが、小学校2年生なんてゲンキンなものですよ。
そして息子は気が弱く、たまに勢いに押し負けていらぬ冤罪をかけられることもしばしば。

ここで勝ちに行け、とは言いません。
出来るだけ息子をかばいますが、私も立場が弱い。
保身に走らねばならない。

テクニックの一つです。

そういう処世術を、多少は身につけていかないとね。

しかしてそんなことに多額の経費をかけていられないので、ハンドメイドでゴリ押しました。


そして、ズラッと並んだポチ袋を見て。

件の怒りん坊さんが言いました。

(ತ_ತ) 「なんだこれ? 霊銭?」


一般に認識されている霊銭とは意味が違ってくるようですけど…。

レイキが宿っているってことね。
スピリチュアルなグッズとして、充分に販売する価値がある、とお墨付きを頂いた模様。

そういうつもりがなくても、なんか宿ったみたいですね。



こういった感じの霊的なパワーが潜む物品でないと、お金を頂く程の価値が生まれないということです。

私はグッズは売らないですけどね。


モノを売るって大変なんですよ。

最も徳が上がるのは、ちゃんとした工場ラインでそこそこのクオリティのものを適正価格で小売販売することです。

一般人として過ごし、消費者として趣味に没頭する。

制作欲と販売欲を混同しない。

これがだいじ。




ザ・引き寄せ



ロゼットを作りながらチャネリングで会話をして、意識の引き寄せについて話題に上がりました。

本題はここからです。


私はチャネリングで神通など考えてないです。
話す相手は、ちょっとした神社で奉られている霊魂だったりしますけど。

フッツーに雑談しています。



それはいいですけど。


相手)「引き寄せってさあ、どうなん?」

とか軽いノリで会話して

kakao)「イメージが大事なんよ。具現化する、とっかかり」

と言ったらば

相手)「俺が玉座に座って奉られているイメージとかか?」

という返事が返ってきました。


王様セレブ的な。

俗っぽいですね。


ACで初めてDLしたかも


kakao)「例えばこの絵の、誰になりたいの?」

と訊けば

相手)「王様」

と返ってきます。

kakao)「いや、王様の姿のイメージだと叶わないよ。その王様の姿を見ているのは誰? 視点の発生源はどこから?」

と話した途端、悲鳴が上がりました。

相手)「あ! 召使の視点だった! 俺、王様じゃない!」

kakao)「そうですね。王様姿のイメージを持ってしまうと、玉座に跪く人、傍で立つ護衛になってしまうよね。王を見る人、という意味で」

相手)「マジで盲点。文字通り盲点だった!」


視点を意識する。
これが引き寄せ及び願いを叶える為の重要な点。


願い事のイメージの中に、自分はいない。
自分の顔、自分の全身像は視えない。

それをまず自覚しないと、イメージは現実次元に実現しないです。

外の世界が変わることで、自分の夢が叶う為。



例えばですよ。

A

群衆のイラスト。
AIで出力しました。
色相が薄いなあ。

ともかく、「人がいっぱいいる」と認識しますね。

そこへ…

B

向こう側は壁だったか。
5人の若者が、群衆を見上げています。


この絵の視点の違いが分かりますか?


Aのイラストの場合、視点の発生は群衆を見ているのは5人の若者の誰かです。
しかしBのイラストになると、群衆を見ている5人の若者の後ろ姿を見ている誰かの視点に変わります。

人が増えたと感じますが、実は増えていません。
視点の位置が変化、そして後退したのです。



視点の違いをイメージしたところで、引き寄せの意識の在り方に話を戻します。

引き寄せの法則はまず、イメージを湧かせることから始めます。

AとBのイラストの場合

  • 群衆を見る若者になりたいか

  • 群衆を見る若者を観察する者になりたいか

に分岐します。


見えている世界がそのまま実現します。

偉い人の姿が見えたのなら、その人に仕える人になります。
召使が慌ただしく動き回っている姿が見えたなら、その様子を観察している人、となります。


視点をしっかり意識できないと、叶うものも叶いません。

基本、引き寄せなんてねーーーーよ!と啖呵きっている私ですが、何はなくてもコツ的なことは言います。


霊媒していると、誰か知らない人のイメージが脳内に流れてくることがあります。

それが本当に自分にかかるのか、はたまた自慢されて煽られているのかの判別が出来ないと霊視なんて出来ません。

自分が視えることは基本、ないです。

自分に近い人が自分を見た記憶のイメージを送ってきて、初めて自分が分かります。


引き寄せ、叶わない!
と思ったら、わるあがき的な気持ちで気持ちの切り替えをしてみるのも良いと思います。



株価を上げたかったら、チャートのイメージをしても駄目ですよ。

何を思い浮かべればいいのか?

わりと、商談の様子とか工場ラインでミスをしないとかそういうことばかりです。
当事者にならねば。


だから、忘れるくらいでちょうどいいです。


それでは、さようなら。

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