見出し画像

ミックミクなマリ


ポアンカレな話


今回のテーマはカタカムナについて。

画像お借りします

ミクマリとはなんなの?
初音ミクとの関係は?
ということで、PCを開きました。

扁桃腺が腫れており、首から頭にかけて重い痛みがあるため、ずっと寝ていました。
風邪です。

悪夢にうなされつつ、ポアンカレ群の夢をみていました。

「あのね、アハシマをポアンカレ円盤モデルにおける双曲面模型における点を定める上半双曲面上の点 [t, x1, …, xn] を超曲面 t = 0と仮定した場合、ヒルコは双曲面の底面になるからね」

みたいな。


毎度おなじみwikiより

要するに、中心の大きい頂点がアハシマとなり、端っこがヒルコになるということです。
視覚に直接訴えてくる説明のほうが分かりやすいでしょう。

二次平面における曲面展開は、形成する図形の大きさが徐々に変わるね、というのがまず基本。

幾何学の場合はポワンカレ円盤で表すことにより、理論で説明が可能となりますが、これを現実に落とし込むとかなり大変なことになります。

有名なルイス・ウェインの猫のイラストがそうです。

彼は統合失調症に悩まされつつ猫のイラストを描き続けたと言いますが、サイケデリックな猫は脳の状態が平常時に描かれたものです。

立体的な猫を平面で正しく表現するとどうなるか、という疑似展開図をテストの段階で描いたのが、とても猫とは思えぬ状態のイラストです。
要するに、ペーパークラフトの型紙の脳内生成に成功したということ。

サイケ表現をマスターすることにより、ルイスのイラストは格段にレベルアップしました。

下段のイラストは、曲双空間の展開図を猫で表したもの。
上段は、左が初期のサイケ覚醒前の猫。
真ん中が晩年の猫イラスト。
右がサイケ覚醒の直前頃です。


彼は病みに病んで、猫ちゃんの可愛さに没頭し現実逃避に徹していましたが、溢れんばかりの猫愛により絵画能力を覚醒させることに成功しました。

ダ・ヴィンチの黄金比計算は素で行っていたものですが、それに似たものです。
知らぬ間にポアンカレの扉を開いていた、という。


これは、奥行きの感覚を掴むために必要なものです。
立体と平面の区別を決定づけるものは何か?
ユークリッド空間と非ユークリッド空間の境界線を飛び越えるには。

展開図の理解と空間把握力・想像力を鍛えるしかないですね。


アファンタジア(Aphantasia)
視覚化を阻害する「盲目的な心眼」として知られる稀な疾患です。
頭の中でイメージを視覚化できない状態を指す言葉です。

この境界線ですね。


アファンタジアは治療が不可能な疾病として知られますが、そもそもヒトの認識種類の分野であるため、医学でどうにか出来るものではありません。


ポワンカレ群が予想とされている時点で、人類の認識の限界を感じます。
3Dモデリングで展開図を作成すれば、それで解決と思われますが。

ジブリ映画の風立ちぬで、主人公の二郎は零式艦上戦闘機の設計開発に、曲線を描いたシャケの骨からヒントを得ていますね。
曲線をノーヒントで立体再現させるのは、想像を絶する苦労を要するのでしょう。

ポワンカレ証明計算は、地道に数式を展開していくと電話帳以上の厚さの量の紙が必要となります。
故に、根気が続かず説明不足が過ぎて理解されなかったのだと思われますが、そもそもこれはコンピュータで自動算出するものかと。

ポワンカレの切り口は、流動性のある空間図形の切断のお話ですけどね。

しばらく考えていたんですけど、なんでここでロープが出てくるのかな?となりました。
角度計算で距離が測れるのに、なぜ物理的に検証し直そうというのでしょうね?

トポロジーの考え方を再現するには、粘土で同じ形の模型を作って、カッターで切り落とせば解決です。
そして、図形そのものが動いており流動性ありきの条件下とするなら、今度は動物の体を切ってみれば分かります。
血が吹き出すでしょう。
図形も同じくです。
中身が吹き出すと同時に、元の形に戻ろうとします。
しかし失われた質量の分を補うことは不可能であるため、全体的に縮小しますね。

人体などで検証するのは不可能であるので、ビーズクッションなどを利用して実験すれば解決です。
中身がスカスカになるので、ガワが小さくなる必要がありますよね。
立体図形の縮小のペースや、修復に使われるエネルギー量の計算、中途経過まで算出するのは面倒であるので、コンピュータのよる算出で導き出せば良いでしょう。

なんだか当たり前のような事を言っている気がします。
それはそうですね。
現代認識を駆使すれば、このくらいは少しモデリングの知識があれば証明が可能でしょう。
式を立てるのが大変なだけ。

証明は難航であったようですが、ペレルマンにより微分幾何学で立証されたことに世論は落胆したそうです。
トポロジーで考えればええんでないか?と思うのは普通ですけどね。
基本は点集合位相であり、面や連続性にこだわり続けるとコケます。

やはり、微細なりともアファンタジア要素を持つかそうでないかで、脳内展開の明暗を分けると思われます。



ポワンカレを前提に、今回のテーマはミクマリ。

平面しか感じ取れない状態から奥行き認識への覚醒を促す要素が、カタカムナのミクマリになります。


先に書いた、上部双曲線の底面の部分。
ヒルコ領域になります。

茶色の線ではなく、緑の円の縁の部分。


つまりミクマリは、下図のようになります。

ポワンカレ円盤の縁の部分

アハシマを現す頂点の部分がすっぽり抜け落ちた状態で、ドーナツ型のトーラスになります。


一般相対性理論。
空間の歪みによって出来た凹み、もしくは隆起。


この図は重力場を現すものではないですね。

重力は、エベレストの頂上にいてもマリアナ海溝の底にいてもそれそのものは変化しません。
地表を覆う大気圏から脱出しない限り、等しく引力は働きます。
重力の正体は、星の自転と公転による内と外からなる遠心力から成り立っているからです。


ポワンカレ円環の中心が、平面を突き抜けてすっぽり突き抜けたもの。
それがミクマリです。

金魚すくいのポイが破れてしまった状態。

なんだったかな。
この証明が他にあるんですけど、失念しました。
それはまた思い出した時に後ほど。



ミクマリと銅鏡


銅鏡や銅鐸には、鋸歯文がみられることがありますね。

鋸歯文(きょしもん)とは、ノコギリの歯のようにギザギザした文様です。


画像は、モンゴルにある鋸歯文のマンホールです。
銅鏡の画像を勝手に転載しようとしたら駄目だと聞こえたので、似たような画像で代用です。

三角の組み合わせの、ギザギザ模様がそうです。

これが、ミクマリの縁。
ミクマリの円環は、鋸歯文になっている、ということです。

鋸歯を組み合わせて立体に落とし込むと、正二十面体が完成しますね。

必ず正多面体になるとは限らないようですが。

正二十面体は、水のエレメンタル。
明鏡止水。
これにより、ヤタノカガミと繋がってきます。


そもそも、銅鏡は何の為に作られたのか?
これは、実は仏像建立の練習の延長でした。

服のシワまで再現された、見事な仏像。
いきなりこれを作れと言われても無理です。
小さいものから造形や文様を作る練習を積み重ね、その応用であのような微細な表現が可能となります。

銅鏡は、仏の座(花じゃないですよ)の鋳物の習作。
あれを何千枚と作って要領を得、水銀で磨いて金と同じように輝く像を造ることが可能となったのです。
また、作った銅鏡は酸化する前なら美しく光を反射したため、宝物として大事にされました。
仏様の文様が刻まれているとなれば尚更。

銅鐸は、電話です。
オーパーツみたいですけどね。
その当時の人は、銅線をグルグル巻きにしたもので電波を受信し、送電板を用いて振動を電子変換し、遠方まで音声を飛ばせることを既に発明していました。
銅鐸は電話の本体です。

そういったものにもデザインとして縁起担ぎと練習を兼ねて、鋸歯文や鼉龍文(だりゅうもん)を刻んだということです。

銅鏡の最高傑作なるものが仏像であった、と考えるのが自然です。

人間とは、目的がなければ何もしない生き物です。
必要性を感じた時から創意工夫を重ね、モノづくりを始めて技術を発展させていきす。

銅鏡も、需要があったのと鋳物が楽しかったのと、お金になったから製作技術が発展していったのであって、どれか一つでも欠ければこんなに大量に発掘されることはなかったでしょう。


え?
卑弥呼はどうして大量の銅鏡を魏から輸入したの?

それは鋳物業の再発展に繋がるきっかけになるものではあったのですが、卑弥呼はこれをアクセサリーのように考えていました。
中国で練習に作られた銅鏡が、ですよ?
松明の明かりを反射させて、夜中に強烈な光源を発生させるトリックを用いることで、神性化をはかりました。
当時の民衆は鏡面反射なぞ知り得ませんので、卑弥呼は特殊な能力を持っていると勘違いしてしまいます。

仏像の為の練習の副産物でしかなかった銅鏡も、使いようによって神の力を宿らせることが出来る(?)的な。


ちょっと歯切れが悪い話ですね。
鋸歯だけに、イトノコギリ刑事みたいな。

これも酷い話で、御剣怜侍あってのイトノコなんですよね。
御剣。よく切れる剣。
逆転裁判1の最終章では生倉雪夫なんてキャラも出てきますし。
ナマクラ刀ってこと?
全てがギャグなんですね。


そういうことではないと思いますが、鋸歯文はギザギザハートの子守唄です(だから違うって)



何故ミックミクなのか


ミクマリという言葉から初音ミクを連想しただけですが、鋸歯文とミクの関連性は?というところから。

ミクにギザギザな要素はないですよね。


ミクのアイドルは良く合っているなあ。
それっぽい感じがしますよね。

ミクは「自由な歌い手」であり、n次創作にて市場を広げてきました。
Pに言われるがままに、ミクは自らの分身とも言えるメディア作品を次々と生み出していきました。

派生も大量に生まれでて、雪ミク、桜ミクなど亜種も数え切れない程に存在します。

これが、ポワンカレ円環における縁の部分と言えますね。
とにかくいっぱいある。


小さな図形の集合体の一つ一つが、ミクです。

ボカロ作品が次々と量産されることで、皆がミクを見て幸せな気分になれる。

ミク本人は2次元でアイドルとして活動しているだけですけど、要はモデルでありアリス人形と同じですね。

可愛い女の子が可愛い衣装を着せられ、様々な舞台の上で歌い踊り、大衆を楽しませる。

本体の意志は抜け落ちていますが、ミクは生きている。
一種の偶像崇拝に似ていますが、ミクはそれが仕事なので全く問題なし。


ミクマリの役割の究極は、初音ミクといえるのですね。


この感覚、ちょっと伝わりづらいかな。
宗教のようで宗教でない、謎のカリスマ性による円環トーラスです。

多くの人は、ミクの中の奥に潜む自らのイデアを見ています。
全く以て健全な心理。

ミクでなくても、メイでもカイトでもレンリンでもルカでもテトでもがくっぽいどでも良いんですけど、ミクをきっかけに爆発的な人気を呼んだので、ミクが代表ということで。


カタカムナはそれそのものに意味を見出すのではなく、あくまでも文字として扱い、フラクタルで世界を読むものである、と認識するのが正しいと思います。

これが5次元思想の入口となるものですね。

そうやって関連付けていった結果が
「ミクマリのミックミクにしてやんよ」
と訴えているのが今回の記事のテーマです。


いつものオチ。
とおかみえみため。

結局いつも同じことを書いている気がします。
堂々巡りのトーラス。

プレアデスは数珠玉の連なりを意味するものなので、巡ってしまうのは仕方ないのかな。


ミクマリを意味するアーティファクト・アイテムを作るなら、そろばんビーズで作ったブレスレットが良いと思います。
舞台の上に立つ勇気と、自らの魅力を引き出す真の意味で必要な試練を呼ぶ、という。

ソロバン?
ソロ…バンド?

舞台に立つなら、一人の方がいいですよね。
アイドルユニットは、実はキツいです。
収益を皆で分配しなければならない為。

アイドルマスターのキャラがそろって貧乏くさい趣味を持っているのは、極貧故にお金がなくてもそれなりに楽しめるコンテンツをという背景からと思われます。
ネサフだの昼寝だの。
変なところでリアリティが出ている。



人気が出るということは、世界の核心に迫る要素を大衆が見抜いている、ということになります。


あんまりカタカムナっぽくなかったですね。
カタカムナをきっかけとしての外の世界を垣間見ると、こんな感じになりそうね、ということでした。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?