ツクヨミちゃん
それは最強の神の名
アマテラス
ツクヨミ
スサノヲ
の三柱で最も出世しなかったのはツクヨミですが、実はかの存在は三柱の中で知系という意味で最強です。
メガテンのツクヨミはそれほど強くはないですけど、ゲームシステム内で能力を発揮しきれないだけで、頭脳戦においては彼の右に出るものはおりません。
武力でなんとかするタイプでなはく、ディベートなど議論の場で最大限の力を引き出せるという。
一言で言い表すと「論破王」です。
某ひろゆきとは違いますよ。
ツクヨミはもっともっと思慮深く、叡智万応であります。
つまり、魔法や超能力を発現できない現界プレアデスでは最大限にその力を活用させることが出来る実質的且つ実利の神とも言えましょう。
どうやって功徳を得るの?
月の名を持つツクヨミは、同時に音も司っています。
発音、曲です。
つまり音楽の力を借りることで、ツクヨミの能力を肌で感じることが出来るでしょう。
月影という言葉には、「言語」「言葉」という神霊的な意味があります。
言霊ですね。
つきをよむと書いて月読。
太陽 アマテラス
地球 スサノヲ
月 ツクヨミ
とし、
核がアマテラス。
光の発生源。
スサノヲは物質そのもの、
地球文明の象徴。
ツクヨミは太陽光を当てられた月および影。
意識ー本体ー言の葉
の一連の流れの象徴です。
地球から見た月は、いつも同じ面しか見れません。
月の裏側は、自転の関係から上手いこと視界に入らないようになっています。
それは、言葉そのものは単調であり変わらないもの、という象徴であります。
しかし、単調なもの・記号を組み合わせていくと意味が生まれでてきます。
ピアノは弦楽器。
鍵盤を操作しピアノ線を叩いて音を出しますが、それだけでは大きな音を出すだけの見た目の美しいインテリアです。
しかしチューニングをし、ヒトの聴覚に心地よい配列で音を発生させればどうでしょう。
曲となり、技術力によっては奏者の演奏の為にお金を出してでも聴きたいと思う人が続出します。
これがツクヨミのちからの作用。
幾つかの段階を踏むことで、その真価を発揮します。
複雑なのです。
こんがらがった糸を解き、見極める。
言葉の裏の、語られていないストーリーや前提、本当に伝えたいこと。
そこから何歩か離れたところに、本音が隠されている。
月の裏側。目に見えない世界。
それらを嗅ぎ取り、理解することがツクヨミの領域です。
「書いてないことを言わないで」
という煽り文句が散見されますが、それはツクヨミの恩恵を受けていない証拠でしょう。
愛されていないのです。ツクヨミに。
読めないのか。
言葉の裏が見えないのか。
愚か者め。
そんなに鈍臭くては、真の意味で勝利を掴むことなぞ出来ぬ。
とツクヨミは含み笑いを浮かべます。
皮肉家に見えますね。
インテリニヒルです。
故に脳筋たちに嫌われてイジケている、というのはあります。
落ち込んで魔境に堕ちて鬼舞辻無惨化もしましたが、立ち直って宇髄天元として転生したりしてますね。
無惨は鬼であるため、血(知)を吹き出させて戦闘の場を派手に散らかしていますが、天元さんは柱であり平和の為に戦っています。
「派手に行こうぜ」
とかいいつつ、元々は忍びであり本人は平和主義かつ実は品行方正。
この大きな違いが次元の差というものなのです。
言葉=音。
紙に書いてあることも、音の情報。譜面。
ツクヨミ領域の力を発揮せねばならぬ場。
ツクヨミの恩恵を存分に発揮するためには、フトマニ図を使います。
正規の図でも充分ですが、理解を早めるために先日作成した
現代版ふとまに
を見ます。
最終構成の結果が「火」であったため、「ひ か」の部分を大きく取ったものです。
パッと見て分かるように、ひらがなで書いてあります。
どうしても躓く箇所が出てくる。
何をしても何をテコ入れしても、必ずつっかえる場所があります。
それをフトマニは図で表しているのです。
このフトマニ図は、核と叡智双方の深度を上げれば上げるほどツクヨミの力が増すと同時に、アカシックレコードに書かれている情報を正しく読めるかどうかの大雑把な基準になっています。
アカシックレコードの情報は、宇宙の広辞苑のようなものだと思ってください。
広辞苑には大変な量の情報が載っていますが、理解力がなければ読破は不可能ですね。
読めなければ、ただの本。
鍋敷きにするには高価過ぎるし、満足に辞書もひけないようでは本棚の肥やしになるだけ。
無用の長物と成り果てます。
知力を上げよ。
また、霊媒にて現世から霊界のアカシック・レコードにアクセス出来る能力を身につけられるという訳ではありません。
そういった事をホザイている人は十中八九詐欺ですからね。
そも、巫覡現象・真理の欠片は常に現世に降り注いでいるのです。
アカシックレコードにわざわざ赴かなくても、断片的にアカシックな情報がその辺に落ちているということ。
その真理の欠片が最も降り注ぎ、積もりやすい環境にあるのがスマル。
地球です。
銀河の音の9番目にある底の世界。
三角フラスコをイメージしてください。
中に入れた水は底から溜まっていきますね。
一番面が広くて智の断片情報が降り積もりやすい、真っ先に到達する場所が地球、という訳なのです。
故に、広い宇宙を探しても地球以上に知に溢れた地はありません。
何もわからない、地球は遅れている、と卑下する声もありますが、とんでもない。
ツクヨミの力が圧倒的に欠落している状態という証拠です。
点繋ぎ、線繋ぎ。
すまるはすばる。
連結された知の玉、数珠つなぎを可能とする恵まれた地なのです。
何度も言っていきたいところです。
プレアデスは、すばる。
玉を繋ぎ合わせる場所である、と。
このつなぐ力、そのものがツクヨミです。
月影=言葉=すばる。
言葉をつなぎ合わせて、真理で殴っていくのがツクヨミなのです。
ヤマトタケルという日本神話を下敷きにした、30年前(!)のアニメではツクヨミはラスボスとなっています。
スサノヲという巨大ロボをヤマトタケルが操って、ツクヨミ率いる闇の軍団と戦う物語です。
少しネタバレするとヒロインのオト・タチバナがヤマタノオロチに乗っ取られて闇落ちしたり、血の繋がらない敵対すべき兄・ミカヅチとの絆、ツクヨミの正体などストーリーを面白くするイベントを巧みに取り入れていて、王道を的確に突いていて実に完成度が高い。
作画に癖がありますが、王様ランキングの絵柄を受け入れられる人ならそれほど抵抗はないでしょう。
これを見ると、ツクヨミは悪い存在ではない。
何故デセンションしてしまったのだろうか?
と疑問を抱かずにはいられません。
それこそが天岩戸にならぶ人類の影の原罪。
月詠鑑の牢獄。
鏡面反射、鏡像反射が関わってきます。
自分の発した言葉が自分に返ってくる。
道反玉(ちがえしのたま)です。
離れていく、浮かんでいく魂を元のところに帰らせると言われている十種の神宝の一つ。
魂というのは、言霊。
自分の発した言葉そのものです。
それがいつしか力を帯びて自分に帰ってくる、という意味。
こだまのように。
音が山の側面に反射し跳ね返ってくる。
彗星の軌道のように。
巨大な氷の塊の彗星が、大きな楕円を描いて宇宙を旋回しておりますね。
何百年に一度、地球の近くを通る、つまり帰ってくる。
昔の自己発言、返ってきた言葉つまり魂を得た玉が、とてもじゃないけど我慢出来ないほど苦痛をもたらした。
そのせいでツクヨミはデセンション、次元降下してしまった。
と解釈が可能です。
しかしながら、次元というのは
一旦下げないと上がらないようになっています。
レ点のように。
✓ このチェックマークの動きのように、その場から少し落ちて右肩上がりになる、というのが健全なアセンションの在り方です。
ずーっと上がり続けるというのは不可能に近い。
なぜなら、フトマニ図の回転を正しく読んだ結果に出てきた”ヨドミ”なるものに躓くからです。
そこで一旦落ちて、不死鳥の如く蘇ります。
ツクヨミの払拭しきれないネガティブなイメージはここからきているのだと思われます。
落ちたくないという意志。
落ちなければ上がらないのに、それが恐怖であるというのです。
そして落ちることを拒み続ける限り、どこか違うところが崩れてきてどんどん足場がなくなっていきます。
結果的に、上がる傾向もチャンスも逃して奈落の底へ落ちてしまう、という。
だから!とツクヨミは怒ります。
ツキを読め!と。
読んで字の如く。
どこかで躓く。
これは宇宙の絶対法則。
ピンチをチャンスに変えられるように、頭を使え!
場を読め。
右肩上がりになるように、コツを心得よ、と。
そういう、頭の良い神様だったってことです。
神の名は役職名
神の名は肩書です。
中の人は、適度な間隔で変わったりします。
ツクヨミは、耶蘇教では三位一体の聖霊を表しています。
エレメンタル、四元素です。
父=アマテラス
子=スサノヲおよび人類
聖霊=ツクヨミ
聖霊とは聖書の言葉を指しますが、この場合は聖書に限らないです。
力をもつ言葉全般のこと。
全ての神がそうですけれど、神というのは象徴そのものであってヒトであってはならないのです。
中は無人。
ヒトは、神の能力を理解し実践に移し、その力を我が物にすることが求められます。
神とは試練そのものであるのです。
故に、神とかいうヒトはおらんよ、と言っています。
世界中の宗教団体その他は、神というより智を奉っているのです。
その考え方を持った、もしくは叡智の一部が顕現した概念。
だからお願い事をしてもコンビニやスーパーで買い物をするように即座に叶えてはくれません。
知を、己の血肉とせよ。
さすれば、願うまでもなく容易に叶えることが適うだろう。
そういうもんなのですね。
時折、スピリチュアリストが「呼ばれた気がした」と神社仏閣に赴くことがありますが、恐らくそこの神様の持つ知識、試練を頭に叩き込め、ということになるでしょうね。
「もっと勉強しなさい」
と怒られている訳です。
イベントが欲しいとかミーハーな気持ちでは願いは叶いません。
イベントに参加したいなら、自分が主催者になるくらいの気概を身に着けよ、という。
その為の、知識や人脈やカリスマを得る努力をせいよ、と。
世界中のいろんな宗教が偶像崇拝を禁止していますが、こういうことなのだと思われます。
ぼさっと突っ立っていないで、動きなさい!という。
今日はこのくらいにしておきます。
タイトルが「ツクヨミちゃん」などと非常に馴れ馴れしいですね。
死後の世界では皆ツクヨミのことを呼び捨てておりますが、公の場では様を付けて呼ぶのが望ましいです。
ちゃん付けなんぞしたら、怒られちまいますがな。
いつかの世で、私はきっとツクヨミに叱られると思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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