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聖なる心と羞恥心




子どもの頃にお世話になった方とチャネリングをしました。
その方はご病気で亡くなられてしまわれたのですが、5の世界こと天国にて穏やかに過ごしておられます。

生前、ご神業を頑張ったから、と本人様は仰っておりますが、彼女は元々人柄が良く優しい方でした。

神に仕える=天国行きという訳ではありません。

これらは全て想念の問題なのです。

想念とは、心の力、在り方を言います。

この想念を磨く為の心掛け。

聖なる心と羞恥心です。



聖の字は、分解すると
耳 口 王 になります。

周囲に耳を傾ける。
相手の話や動きを読み取る事です。

口を慎む。
話す必要のある時はきちんと話す。

王の心。
下卑たる想念では亞魂昇華は出来ません。
執着を取る事、粘着しない事。
帝王学に通じます。
これは曖昧で難しい。
まずは中道を目指す事から始めます。


羞恥心。
羞の字には、食物を供えるという意味があります。
お供えをする心。
相手を尊重する心でもあります。


恥がなければ、立派な人間にはなれません。
恥をかくことに慣れること。
自然と心が育っていきます。


大まかにはこのような事象を参考にすると良いと思われます。

聖とは、どういうものなのか。
私にも分かりません。
ただ、御仏の心というのは、聖の字を分解すれば何となく見えて来る気が致します。

倫理観に沿った行動。

時代と場所が変われば、倫理の基準も変わって来る。

悪とは、たける心。
闘争心、戦いの心です。

これも時と場合により、必要になってきます。

善と悪などという対立的概念がありますが、双方を理解して自分のものにしてこそ、真の中道が見えてくるものです。


チャネリングですが、私は様々な方と通じて来ました。
既に亡くなられた作家さんに、ファンですと己の気持ちを伝えたり、歴史上の人物と話をしました。

それにより、現在の歴史は大変歪曲されている事が分かりました。

ご先祖さまを調べた所、ネット上には全く違う生涯が書かれていました。

故に、完璧に正しく歴史を識るのは不可能と思われます。

どうしても憶測の域を出ない。
これはどうしても仕方のないこと。

文献などにはどうしても著者の偏見や価値観が滲み出てしまうものです。


かのルイ16世がフランス革命の日に日記には「何も無かった」という記述を残しています。

これは、狩猟が趣味だった彼が「今日は大変な一日で狩猟どころではなかった」というニュアンスで書き残したのでした。

後世にて、この記述を見た人々はニュアンスが分からず暴君であるとお笑いネタにしていますが、実際の所は分からないという事です。

その日その時その時代。

生きた人々は何を思い、何を話し、何を考えて生きたのか。

ここで、働かせるのが想像力。
何より相手を思いやる気持ち。

相手の立場に立って、且つ第三者の目で優しい心を持って想像します。

全てを理解するのは難しい。
それでも、少しほんの少しでも相手の事を考える。

それを相手に恩着せがましく、あなたの為を思ってなどと言ってはいけません。

思うのは自分の勝手。
想像した事や思った事を押しつけてはいけない。
決め付けになってしまいます。
それは、相手に対し大変失礼なこと。

これらを実践するのは大層難しいものであります。

私とて、頭で分かっていても中々上手くいきません。

それでも、こう言った心持ちを心の隅に置いて他人と接すれば、多少なりとも人間関係の歩み寄りの第一歩となると思います。


少々クサいかもしれませんが、聖なる心と羞恥心。
心の中に掲げてみるのは如何でしょうか。

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