感性の在り方と素粒子及び複素数の関係性
複素数について
私は大学を出ていないので、複素数についてきちんと学校で習ってはいないのですが。
独学で勉強した結果、
幾何学の面積・体積変動の際に増減としての働きを持つ数値
ということで理解を進めています。
伴って増える・伴って減る、という変動値の在り方としては、乙甲(めりかり)という考え方を当てはめるのが適していると思っています。
めりかり とは、音の高低を指します。
立体として結合していたとてP値・Q値は常に動いている状態と見るため、幾何学は全体的に振動している、と見るのが的確かと。
微弱とはいえ震えているということは、音を発しているのですね。
近似値Δ(デルタ)の考え方は、そういうことだと思います。
ピッタリと止まることは滅多にない。
そういった想像力を働かせた上で、今回の記事。
幾何学は物質に当てはめると、具体的に何を表すのか?というもの。
過去記事で、人の心の形はマーキス、と書きました。
感性の形、ということで。
それが幾つも連なって結晶化したものが、素粒子。
フラワーオブライフ。
あみあみの一つ一つが感性。
ヒトの気持ちです。
この図形は素粒子と言われておりますので、整合させるとイコール感性球でもあると結論付けることが可能と思われます。
証明にならないんじゃないかな?と思われるかもしれませんが、今回はそういうていで話を進めます。
角度セクタなど色々検証した結果、計算機科学の正当化は非常に曖昧であり、証明は証明としての機能が失われている可能性も否めない、と思うようになりました。
つまり、現代数学の全ては、全てが全て正しいとは言い切れないのではないかという疑惑です。
何を、と言われてもすぐには具体例を挙げられないのですが、例えばリーマン球面についても証明が不完全でないかなあ…?という疑惑の元、図形を伸ばしたり縮めたりして。
数学の解説などを見ると
「ここでこうするのは不思議に思われるかもしれないが、こうにしておくと後で都合がよい」
という表現が結構な頻度で出てきます。
つまりそれは条件が限定されているということを意味し、その解析は万能でもなければ万人に理解されるものではないことを現しています。
という
「ツッコみたいけれど、どこから手を付けて良いのか分からん…」
という状態から、新たな証明式を羅列させることの難しいこと…。
円周角の定理も、なんか…違うんだけど…となるのですが、まっさらな状態から
0=C≠π
の続きの理論を持っていくのに、現在の私では経験が足りなすぎる。
何千という問題を解かないと頭が数学モードにならないので、ちょいと厳しい感じです。
明確には、πと√10とで分岐が出来ます。
3.14 と3.16 の世界では、理論がまるで変わってくるということ。
立体の世界は難しすぎる。
しかしながら、先日の記事に書いたペレルマンによる微分幾何学で立証されたポアンカレ予想の件一つ取っても、それだけで数学会は荒れに荒れたことから、現状の理論を覆すことは実質的に不可能であることは明白の理であるため、そっとしておくのがBetterなのでしょう。
数学会は一部のエリートに支配されている状態ですので、部外者が口を出すことは許されない。
仲間内の誰かが新たな証明が出すのを、エリート集団は待っています。
他の人間の立ち入る隙はありません。
例えハーバード大の中枢に入り込んだとしても、派閥争いに負ければそれで棄却ですよ。
そういった現状は、どこの世界・分野でも同じですので、それについてこれ以上は言及するつもりはないです。
しかしながら、このまま独占状態が続くと
「数学は生きるのに必要のないもの」
という認識がいつまで経っても変わらぬままです。
何のために数学なんてするの?
と文句を言いながら、仕方なく受験科目の一つであるという理由から詰め込み勉強を続けるのみです。
何も変わらなければ、何もかもが前に進むこともない。
既に頭打ちであるため。
そういった憶測を全て飲みこんで、複素数のお話に戻します。
三角比からのリーマン球面
まず、三平方の定理も三角比も怪しいと、私は思っています。
故に、宇宙の外周をロープで測ろうという試みが生まれた訳ですね。
物理的に無理ですが。
それは、地球上で幾度にも渡る実証の結果からの答えだと思われます。
サイン コサイン タンジェント は特例であり、全てに於いて正しいとは言い切れないのです。
タレスの定理も、特殊条件としてのみ証明が認められているようです。
リーマン球の定理も、球体になる条件が限定されていることを考慮すると、そのまま鵜呑みにするのは厳しい…と考えています。
どう考えても、円錐になりますよね。
射影平面の原点を通る直線の条件の場合は球体になりますが、何も複素数面でなくても良いので、どうも納得出来ないです。
では、球面になる条件とは何か?
それは、半円もしくは扇型の回転のみです。
球というのは、回転からしか生まれません。
それ以外は全てユークリッド幾何学としないと立証不可。
球は違うんですか?
ユークリッドだけに留まらないです。
アカシック・レコードには、セミクリッド空間にのみ条件が当てはまるとあります。
映写・射影です。
ここまで人類文明は発展しなかったのか、という感じ。
発展というか、細分化です。
つまり、リーマン球面は球面ではなく円柱になるのが自然かな、と。
条件をもっと分けなければいけないということです。
混同しすぎ。
一緒くたにしすぎ。
混ぜすぎ。
新しい定理の発見を面倒くさがりすぎ。
リーマン球面は、貧乏削りみたいな形になるのが正解な気がしています。
なんで急に球体が出てくるの?
そして、それがそのままの形を保ったまま、上下運動を行うものと思ってしまったのかしら?
それはありえないですね。
複素平面に於いて、球体はやはり発生しません。
絵に描いた餅。
理想です。
感性が加えられて、初めて扇形となる。
C (rad) は 0<C<π を満たす。
rad はラジアンです。
円周の角度のこと。
円ありきのラジアンですね。
しかし円がそのままユークリッド空間に出現することは稀なため、リーマン球の球体の出現もそれに伴ってレアケースとして扱うのが適切でしょう。
それを前提として理論構築するなら、中学数学が出てきます。
切断面。
平面でも立体でも、切らねばならないです。
そうでなければ、多くの人間はしっくりきません。
ユークリッド空間の図形は、フレームとして扱うのが望ましいでしょう。
中身が詰まっている?
フレームの影として扱うにしても、円になるかはわからない。
そこに重力が加えられることもありますからね。
なにがなんだかニャンダー仮面です。
しかし、これ以上の証明は面倒くさくなるのでしません。
「ちげえ! 低学歴が勝手なことをほざくな!」
と言われることは明白の理ですので、ここに書いたことは全て頭のおかしいスピリチュアリストの戯言、陰謀論に片足突っ込んだハチャメチャな理論、として扱うのが無難です。
本気にしぎるとバカを見るよ、ということ。
真偽を言い争う程、心身ともに疲弊することはありません。
「世間ではこうなっている。これ以外はありえない」
と主張する人間に対し
「そうですね」
と言って流して、平和に丸く収めるしかないということです。
マジでめんどいので。
ヒトの心を図形で表すとすると、こんな感じ。
図の赤い部分が元素。
青い部分が感性との融合体、つまり素粒子です。
黄色の円は、世界量子。
ペンターブシステムの基本となる円。
この円の中でしか、通常は生きられません。
点Oから伸びた半径r と円の内径の接触点の発生が、生き物の意識の正体です。
思わせぶりなタイトルの解が、この図一枚です。
証明は?
めんどいからしません。
数学から離れていないか?
これでいいんですよ。
noosologyを、数学の考え方を借りて分析しているだけですので。
ヌーソロジー提唱者の半田氏も述べています。
「全く新しい視点の思想であると」
その通りなのです。
似ているね。
フラクタルだね。
そういうことです。
上記の数学らしき論は
「なんで正当化とかいう言葉が普通に出てくるの?」
という疑問を、具体案を出しつつツラツラと書き出しただけです。
どこへ行っても、Ψ7とΨ4だらけですね。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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