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岡麓の歌(「私の好きな短歌」より)

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#短歌

私の好きな短歌、その16

逝く人はかへり来らず月も日も留まれる者のうへにつもりて

 岡麓歌集、『雪間草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p393)。

 「老を嘆く」中の一首。誰しもある程度年齢を重ねれば何人かの知人の死を知ることになる。老境に入った人はなおさらだ。上二句は自然に口をついた嗟嘆そのままで、三句以下は詩的な表現になっている。詩的だが実感がこもった表現だ。「月も日も」という表現に工夫が感じられる。月日

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私の好きな短歌、その15

生のままセロリきざみて粕にあへかをり高しと粥すすりつつ

 岡麓、歌集『雪間草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p392)。

 「七面鳥」中の一首。下三句すべてが「か」で始まっている。それによってセロリの歯ごたえ、また独特な爽やかな香りが強調されているようだ。セロリは当時どのくらい普及していたのだろうか。定かではないが、おそらく歌の素材としては新しいのではないだろうか。作者はこの時73歳

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私の好きな短歌、その14

みどり児のねむるつり籠つりかけし庭木の上を烏の飛びぬ

 岡麓、歌集『宿墨詠草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p365)。

 「夏日永し」中の一首。「みどり児」とは作者の孫。前の歌に「木のかげにつり籠(かご)つるし幼児(をさなご)の眠(ねむり)をまもる母はわが子ぞ」とあることから知れる。わが娘がその子、つまり孫を見守っているのを、父/祖父である自分が見守っているという、幸せな光景である

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私の好きな短歌、その13

雨乞の寺の鐘鳴りひびくなり白昼の如く月てりわたる

岡麓、歌集『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻 p330』)。

 次女茂子の夫の郷家のある備後地方の、「湯田村」と題された一連中の歌で、詞書に「今年の旱魃は三十年来の事といへり」とある。「雨乞」が新鮮。大正14年には寺で雨ごいがされていたわけだ。
 東京生まれの作者にとっては、備後湯田村は異国の地である。旱魃に苦しむ村で、月夜に響く雨乞の鐘を聞い

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私の好きな短歌、その12

私の好きな短歌、その12

外に行くと病み臥す母に告げにけり春の雨夜の宵しづかなる

岡麓歌集、『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p322)。

 何の用事の外出なのかは分からないが、分からないままであることがいい。この時の様子をただ述べている。事実をそのまま述べるだけで、そこから悲しみや不安、愛情などがにじみ出てくるということが、写生文学の素晴らしさではないだろうか。背景を完全に説明しないことで、読者それぞれ

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