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私の好きな短歌

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私が好きな短歌を紹介します。主に大正、昭和の歌です。時々現代のものも。
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2021年6月の記事一覧

私の好きな短歌、その10

あしたより日かげさしいる枕べの福寿草の花皆開きけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p80)。

 「恙ありて 二」中の一首。大正15年1月、胃がん発症を確認してから作られた歌。病を知った上で、朝の光の美しさ、それを受けて一斉に咲く福寿草に感じるものがあったのだろう。初春に咲くという可憐な花である。
 作者の病という背景を知らなければ、素直な喜びが明るく表現され

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私の好きな短歌、その11

隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p81』

 作者の思いが真っ直ぐに詠われていて心にひびく。結句の「生きたかりけり」という詠嘆が効果的である。子が書を読む声を聞いて、その将来に思いを馳せ、楽しみに思うと同時に自分はそれを見届けられないだろうという悲しみがあり、ああ、自分はまだ生きていたいのだ、という素直で深い願

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私の好きな短歌、その12

私の好きな短歌、その12

外に行くと病み臥す母に告げにけり春の雨夜の宵しづかなる

岡麓歌集、『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p322)。

 何の用事の外出なのかは分からないが、分からないままであることがいい。この時の様子をただ述べている。事実をそのまま述べるだけで、そこから悲しみや不安、愛情などがにじみ出てくるということが、写生文学の素晴らしさではないだろうか。背景を完全に説明しないことで、読者それぞれ

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私の好きな短歌、その13

雨乞の寺の鐘鳴りひびくなり白昼の如く月てりわたる

岡麓、歌集『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻 p330』)。

 次女茂子の夫の郷家のある備後地方の、「湯田村」と題された一連中の歌で、詞書に「今年の旱魃は三十年来の事といへり」とある。「雨乞」が新鮮。大正14年には寺で雨ごいがされていたわけだ。
 東京生まれの作者にとっては、備後湯田村は異国の地である。旱魃に苦しむ村で、月夜に響く雨乞の鐘を聞い

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私の好きな短歌、その14

みどり児のねむるつり籠つりかけし庭木の上を烏の飛びぬ

 岡麓、歌集『宿墨詠草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p365)。

 「夏日永し」中の一首。「みどり児」とは作者の孫。前の歌に「木のかげにつり籠(かご)つるし幼児(をさなご)の眠(ねむり)をまもる母はわが子ぞ」とあることから知れる。わが娘がその子、つまり孫を見守っているのを、父/祖父である自分が見守っているという、幸せな光景である

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