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彫刻全てに捧げた人生〜『フランソワ・ポンポン展』


フランスの彫刻家、フランソワ・ポンポンの回顧展が日本で初めて開催されました。山梨県立美術館で開催されていた巡回展を取材させていただきました(展示会は終了しています)。会場の展示や美術館の方の解説をもとに、ポンポンの生涯と共に作品の一部をご紹介します。(作品は特別に許可を得て撮影しました。山梨県立美術館の皆様、ありがとうございました)

フランソワ・ポンポンは1855年、木工家具職人の家に生まれました。少年時代は父の工房で見習いとして働きました。15歳で美術学校に通った後、20歳でパリに出てデッサンと彫刻を学びました。この時、教師にいた動物彫刻家から動物観察の教えを受けましたが、人物像での成功を目指しました。身近な人の頭像や胸像の発表を始め、文学や宗教の野心的な主題など、情感豊かな作品を生みました。動物彫刻家になったのは51歳。《シロクマ》の彫刻によって名が知られるようになったのは67歳のことでした。それから亡くなる1933年まで多くの作品を残しました。

《ポンポンと鳩ニコラ》 写真 撮影年数不詳 群馬県立館林美術館蔵

動物大好きポンポン

ポンポンは「動物は人間と同じだ」と語るほど、動物に愛情を注ぎ続けました。若い頃から異国の動物が集められた旧王立植物園付属動物園に頻繁に通っては、動物園発行の絵はがきを多数集めていました。

ポンポン旧蔵 絵はがき(アルバム) 群馬県立館林美術館蔵

ポンポンが来ると懐いた動物たちが柵に近寄ってきたと言います。動物園での観察から、最初に生み出した作品はキリンやラクダでした。

《ラクダ》 1906~1930年 ブロンズ 群馬県立館林美術館蔵

毛並みを省略し、骨格と筋肉の形をなめらかなシルエットで捉えるのが、ポンポンの彫刻の大きな特徴です。

代表作《シロクマ》はポンポンの名を一躍世界中に広めました。数年をかけて足の位置や太さ、体の肉付き、首の傾きなどを調整し、シロクマの一つの理想の形へと昇華させて誕生したのがこの作品で。この時ポンポンは既に67歳でした。

《シロクマ》 1923~1933年 白色大理石 群馬県立館林美術館蔵

1922年にサロン・ドートンヌ展では、実物大(長さ2.5メートル)石膏を出品し、会場でポンポンの祝賀会が行われました。その後、劇的に展覧会への出品や作品の注文が増え、ポンポンはみるみるうちに有名になりました。以後、サロン・ドートンヌには亡くなるまで毎年出品しました。

ポンポンの作品とその生き様

ここからは個人的な感想です。展覧会では、ポンポンの作品を見るだけではなく、ポンポンの軌跡や作品に対する意志など、様々なものに触れることができました。

ポンポンの動物の彫刻作品は、どれも美しい曲線美と愛らしい表情が印象的でした。作品全てに親しみを感じることができ、まるで自分に懐いている動物のように感じました。これもおそらく、ポンポンの動物愛が作品にも表れているのだろうと思います。そして、ポンポンに懐いていた動物たちもポンポンのことをとても慕っていたのだろうと想像できました。

ポンポンの生き様を知ることで、より深い視点で作品を見つめることができました。ここまで自分の人生全てを彫刻全てに捧げるポンポンに感銘を受けました。彫刻に費やしてきた時間が報われ、世間から認められたとき、すでに67歳。もちろん彼にとって彫刻と向き合う時間すべてが苦だとは思いません。しかし、パリに出て以来、死ぬその時まで作品を生み出し続けることは容易ではないはずです。

私もポンポンのように、人生をかけて打ち込みたいものを大学で見つけていこう。そう思える展示会でした。

文・写真:芦澤日菜(山梨県立大学国際政策学部1年)

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