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二つの作品と画家の思い 

2022年12月7日、山梨県立美術館で開催されている『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』の取材に訪れました(本展示会は一部の作品の撮影が可能です)。

米倉は山梨に生まれ、生涯を通じてシュルレアリスム芸術を追及した画家、また詩人です。戦争の時代である20世紀を生きた彼の作品には様々な思いが暗示されています。この記事では、作品に込められた意図、または作品のストーリーを私なりに考察してみました。

シュルレアリスムとは

展覧会の最初に掲示されていた「ごあいさつ」にて、シュルレアリスムは以下のようにを説明されていました。

『シュルレアリスムとは、理性による制約や先入観を離れた人間の無意識下にあるものを表そうとする芸術運動で、第一次世界大戦後にフランスから世界中に広まり、日本の前衛画家たちにも多大な影響を与えました。』

米倉壽仁展より

米倉が潜在的に感じていたものは何だったのか、心の奥底に戦時中何を考えていたのか。私はこのことを念頭に置きながら作品を鑑賞することにしました。今回は特に二つの作品に注目しました。

《光》と《翳》

米倉壽仁《光》1938年 山梨県立美術館蔵

青空を背景にひとりの人がどこかを見つめている絵です。体つきや上半身が裸であることから、男性だと私は予想しました。私はこの絵を見た時に、《光》というタイトルに感化されている可能性もありますが、ほかの作品とは違う明るさを感じました。ほかの絵はどことなく不気味で、色合いも暗く、悲観的に鑑賞していました。この絵もカラフルで色鮮やかだとは言えませんが、今までの作品と比べたらどこか前向きな思いを感じました。

なぜこのような気持ちになったのか。私は次の絵を見て、その理由に気が付きました。その作品は、先ほど紹介した《光》という作品の対作品として出品されたものです。この作品の紹介書きに、《光》の作品について次のようなことが書かれていました。

「愛あれば荒野のなかでも光はいっぱい。」《光》

これを読み、《光》の作品で感じた少しの明るさは愛だったのだと感じました。もしかしたら、あの男性が愛する家族や女性などを思って、青空を見つめていたのではないかと考えます。また、「荒野」という言葉からは、あの男性がいる場所は決して安全ではないと予想できます。この作品が出品された1938年は国家総動員法が制定された年であり、一年前は日中戦争が勃発した年です。この時代背景から、あの男性は戦争に向かい、荒野の中で愛する人を想い遠くを見つめた絵なのではないかと考察しました。

米倉壽仁《翳》1938年 山梨県立美術館蔵

《光》の考察を経て、次に対作品である《翳》の作品を見てみます。まず目に飛び込んできたのは空を見上げる女性でした。そして周りには「光」と同じような植物があります。しかし、空は《光》よりも薄暗く、女性の肌も青白いため、悲壮感が漂っているのを感じます。

この女性は青空に向かって何を思っているのか。そう思いながら視線を横に移すと、女性の頭に誰かの手のようなものが映り込んでいるのが見えました。まるで、女性の頭を撫でるように腕が伸びているように見えます。

私はこの人物がこの女性とどのような関係なのか、いったい誰なのかを考えた時に、《光》で登場した男性を思い出しました。そして、この腕を伸ばす人物が《光》の男性であるとしたら、この男性が愛していたとする人はこの青白い肌の女性なのではないかと考えました。

つまり、私の勝手な憶測にすぎませんが、この絵は戦争に行ってしまった恋人を思って悲しんでいる女性の絵だと解釈しました。また、《翳》の作品の紹介書きとして次のようなことが書かれていました。

「疑惑に翳げる憂い。」<翳>

私の解釈で進めると、おそらくこの「疑惑」とは、《光》の男性の生死であると考えます。戦争に向かったあの男性は生きているのか、それとも死んでしまったのか。そんな思いが想像できます。

しかし、そんな女性の背後には目を光らせたカマキリが潜んでいます。戦時中で命の保証がない時代なので、なにか女性の身に危険が迫っているのかもしれないと考えると恐ろしいです。

心の奥底にある感情の表現

二つの作品を描く中で、米倉が無意識に感じていたことは何だったのか。私は、米倉はこの男性と女性に自分を重ねて、誰か大切な人を思い浮かべていたのではないかと考えます。それは米倉が11歳の時に亡くなってしまった母親か、応召した兄のことか、誰のことかはわかりません。しかし、彼が生きた戦時下を想像すると、身近の人や大切な人が奪われるというのは誰にでもあったものだと思います。そしてそれは戦争が終わるまで、永遠に心に残り続ける苦しみだと思います。この心の奥底にある感情をシュルレアリスムの技法で表現したのが、取り上げた二つの作品だと私は考察しました。

今回の考察で、シュルレアリスムとは作品に触れると同時に、画家の奥底にある思いにも触れることができる芸術であると感じました。『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』に足を踏み入れ、この作品と出会えて初めて一つの作品と、その画家の真相に迫ろうと思えました。また次の美術館の展覧会にも参加して、新しい作品との出会いを楽しみたいです。

『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』は2023年1月22日まで山梨県立美術館で開催されています。

取材させていただいた山梨県立美術館の関係者のみなさま、ありがとうございました。

文・写真:芦澤日菜(国際政策学部国際コミュニケーション学科1年)

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