縄文と今〜時空を超えた共感と交流〜
2022年10月19日、山梨県立美術館で開催されている『縄文ーJOMONー展』を見てきました。
みなさん、縄文と言えば土偶や縄文土器を思い浮かべるのではないでしょうか?その土偶や縄文土器の形は資料集や教科書で見たもので、ほとんどの方が同じような形を連想すると思います。
「低温で焼かれて、黒褐色、もろい」という三つの特徴は日本史でよく問われるため覚えている人も少なくないと思います。
さて、そんな受験に出されるような堅苦しいイメージの「縄文時代」ですが、今回の『縄文ーJOMONー展』で、私のそういった固定観念は打ち壊されました。学校ではさらっと教科書上で教えられてしまう縄文時代を、あらためて見つめ直してみましょう。
では、私の固定観念を打ち壊した作品たちをご紹介します。まず最初にインパクトが大きかったのはこの作品です。
なんとも愛らしい表情をしたこの笑顔の作品が、堂々と「土偶」としてそこに置かれていました。
「なんだ、それでいいのか!!」
資料集に載っている威厳のある土偶によって凝り固まっていた固定観念が一気に崩れ落ちました。
この土偶を見た瞬間から、観察対象が「縄文時代の威厳ある古風な創造物」から「縄文時代にもあった、かわいいという感覚」に一変しました。
肩の力を抜いて誰がどんな思いでこの作品を作ったのかを考える余裕が生まれました。
次は、こちらの作品をご紹介します。
とにかく何の動物かは分からないが、なんだかかわいい。
牛?ゴリラ?
後ろの土器は四隅に動物の装飾が施されています。縄文時代の人たちの自由な発想がうかがえます。
「なんか見たことがあるけれど、何か分からない」
全部の動物において共通しているのが、この感覚でした。
ただ、作った人にとっての動物の見え方や雰囲気といった主観性は読み取れます。作った人が一生懸命動物を観察している様子を思い浮かべると、かわいくて仕方がありませんでした。
次は、こちらの作品です。
これもまた、思わず笑みがこぼれるかわいさです。
大人の作品をまねて子どもが作ったのでしょうか。
目の位置が左右非対称で、口がぽかんと開いてなんともだらしなく力の抜ける表情には、なんともいえない癒やしを感じます。この「癒やし」の感覚は、自分の妹や弟、親しい小さな子どもが一生懸命自分の似顔絵を描いてくれたような感覚に似ている気がします。
こうしてみると、縄文時代にも現代人が感じるのと同じような「かわいい」があることがわかってきました。
遠い昔の祖先さんたちとは気持ちが通じることが一生ないと思っていたけれど、その作品を見て「かわいい」と思うその感覚によって、古代の人々と初めてつながれたような気がしてとても嬉しい気持ちでいっぱいでした。
人間はいつの時代でも人間で、私たちと同じような感覚を持ち合わせている。
そのことに気づいた瞬間から、「縄文」に対して親しみが湧きました。
文・写真:石井陽菜(山梨県立大学 国際政策学部 国際コミュニケーション学科1年)
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