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シュールレアリズムの世界への入り口

こんにちは。美術館に行った記録を綴ります。年の終わりも近づいてきた2022年12月7日、山梨県立美術館で開催されている『米倉壽仁展 透明ナ歳月―詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家―』の取材に訪れました(本展示会は一部の作品の撮影が可能です)

米倉壽仁とは、山梨県に生まれ、第一次世界大戦後のフランスから世界中に広がったシュルレアリスム(超現実主義)に独学で取り組んだ画家、詩人です。恐縮ながら、今回の展示を見に行くことになった際に初めて名前を耳にしたのですが、そんな彼の頭の世界を覗くことができました。

この展示は、米倉壽仁の人生を6つに分割して、時代ごとに紹介しています。

まず最初は米倉壽仁がシュルレアリスムと出会う時代です。ここでは、彼がシュルレアリスム画家として最初の一歩を踏み出した時の絵が展示されていました。 

米倉壽仁《ジャン・コクトオの「夜曲」による》1979年(原画1931年) 山梨県立美術館蔵

一般的には簡単に理解できる構図ではないですが、美しいなという印象を抱きました。 

第2章は米倉が「シュルレアリスム画家とは何だろうか」と模索している時代です。 

米倉壽仁《ヨーロッパの危機》1936年 山梨県立美術館蔵

この作品は、第二次世界大戦に向かっている世界情勢の不安定な様子を表しています。これにみられるような、あるモチーフに別のチーフを重ねる表現方法は、ダリが提唱したダブル・モチーフの影響を受けているようです。

左:米倉壽仁《早春》1940年 山梨県立美術館蔵
右:米倉壽仁《破局(寂滅の日)》1939年 東京国立近代美術館蔵

右が《破局(寂滅の日)》という作品であり、左がその翌年に描かれた《早春》という作品です。右の《破局(寂滅の日)》からは、破壊された痛々しい様子が、左の《早春》からは、もたらされた破壊から立ち直ろうとする様子を感じました。 

第3章は、前衛画家と交流していた時代でした。このコーナーの絵画の多くは、撮影が禁止されていたため画像はありませんが、独特の表現方法で世界に対する思いが米倉壽仁ならではの表現方法で描かれていました。

第4章では、戦後に新たな前衛的画家グループである「サロン・ド・ジュワン」を結成した時代の絵を取り扱っています。

米倉壽仁《静》1958年 山梨県立美術館蔵
米倉壽仁《核ー天空の祝祭ー》1958年 山梨県立美術館蔵

この時代の絵は、これまでに比べて透明感が消え、幻想的で不思議で、少し不気味な感じが出てきたと思います。

第5章では、第4章に引き続き「サロン・ド・ジュワン」の画家たちと切磋琢磨し、前衛美術の発展に貢献した時代の絵が展示されていました。

最後の第6章では、生涯の終わりまでシュルレアリスム芸術を追求しようと模索していた米倉壽仁の絵が展示されていました。

米倉壽仁《水の情理》1967年 山梨県立美術館蔵
米倉壽仁《吉》1960年 山梨県立美術館蔵

今回、この展示が開催されていなければ「シュルレアリスム」という言葉も「米倉壽仁」という画家も知らなかっただろうと思います。

見に行ってみて、簡単に解釈できる絵ではなく、私の感性では理解できない絵もありましたが、それも芸術の一興だと思うし、米倉壽仁という人間や彼が生きた時代をのぞき見できたのはとても面白かったし興味深かったです。

シュルレアリスムとはどんなものなのか、この展示を見に行けば新たな発見が必ずあると思います。みなさん、ぜひ足を運んでみてください。

『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』は2023年1月22日まで山梨県立美術館で開催されています。

取材させていただいた山梨県立美術館の関係者のみなさま、ありがとうございました。

文・写真:片平葵(山梨県立大学国際政策学部国際コミュニケーション学科1年)

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