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絵で見る人間とは

冬も本番になり、肌寒くなってきましたが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。2022年12月7日に、山梨県立美術館で開催されている『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』を取材させていただきました(本展示会は一部の作品の撮影が可能です)。

みなさんは米倉壽仁さんをご存知でしょうか?

山梨県出身で、激動の20世紀を生き抜いた画家であり詩人です。第一次世界大戦後に世界中に広がったシュルレアリスムと呼ばれる文学・芸術運動に独学で取り組みました。

そんな彼の作品からは多くのものを感じ取ることができました。米倉さんと関わりの深い日本の画家や彼らが影響を受けたダリやエルンストなどの海外画家の作品も多く展示されています。激動の20世紀を肌で感じ取れる作品の宝庫でした。

そんな多くの作品の中から私の興味を引いた作品をいくつか紹介していきます。今回紹介する作品は全て撮影可能なものですので、みなさんもぜひ記念に残してみるのはどうでしょうか。

米倉壽仁 《ヨーロッパの危機》1936年 山梨県立美術館蔵》

この作品は第二次世界大戦前に描かれた作品です。

骸骨にも卵の殻にみえるものから色々なものが飛び出していることが私の中ではとても印象に残りました。殻は中身のものを守るために存在しているため、中身が空になってしまうと存在価値を失います。ヨーロッパも同じように、技術や発明を生み出した反面、それをアメリカなどに奪われてしまい空っぽになってしまうことを予想し書いているのではないかと考えました。

また白馬が殻のようなものから遠ざかっていたり倒れていたりするように見えます。白馬は古代からキリスト教では勝利がやってくることの象徴です。それが離れていることは勝利が離れていってしまうことを表していると考えました。ゆえに、米倉氏は第二次世界大戦において、ヨーロッパが大きな危機に見舞われるのではないかと思い、この絵を描いたのではないでしょうか。

左:米倉壽仁 《光》1938年 山梨県立美術館蔵
右:米倉壽仁 《翳》1938年 山梨県立美術館蔵

続いてはこの2つの作品です。こちらは《光》と《翳》というタイトルからもわかるように対比して描かれた作品です。両方とも植物と女性をモチーフに描かれていますが、全く見え方が違います。左は乾いているような感じがして、右は湿っているような感じがします。近くにいる動物も猫のようなものとカマキリであるし、絵全体の雰囲気も明暗の差が激しいです。

私は、この2つの絵が人間の二面性を描いているように思えました。人は思っていることがあってもTPOに従って自分の感情をコントロールしなければなりません。でも根本的なものは変わらずに遠回して表現したりしますよね。そのような人間の感情や行動を表しているように思いました。

左:米倉壽仁《早春》1940年 山梨県立美術館蔵
右:米倉壽仁《破局(寂滅の日)》1939年 東京国立近代美術館蔵

これらの作品は2つ続いていてストーリーになっていると感じましたし、そのように展示がされていました。右の《破局(寂滅の日)》では、浜辺で卵がひび割れているように見えます。これは鷹が割ってしまったのでしょうか。また、前の方には人が立っていてそれを見守っているようです。左の《早春》は、殻は海に浮かんでいて、中には《破局(寂滅の日)》で外にいた人ではないかと思われる人と猪がいます。

私はこの絵は人間の誕生と成長を表しているのではないかと思いました。両方に描かれている人は親の象徴で、動物は自分以外の周りの人を表していると考えました。周りの人(鷹)に影響された人が自分という殻から飛び出していて、それを親として見守っている(人)という感じがしました。そして、成長し自分自身も親(人)になり、自分以外の人、特に自分の子供(猪)に影響を与えるようになったと捉えました。

今回の展示会は色々と考えさせられるものが多くありました。これらの作品に限らず、絵は解釈次第でたくさんの意見が広がります。それが絵のすごいところだと思います。

私以外にも他のnoteの記事で同じ作品について取り上げている人もいると思いますが、意見が全く違うのではないでしょうか。

『米倉壽仁展』に訪れるみなさんにもご自身の解釈も持ちながら、想像という海に潜っていってほしいです。

『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』は
2023年1月22日まで山梨県立美術館で開催されています。

取材させていただいた山梨県立美術館の関係者のみなさま、ありがとうございました。

写真・文:安齊ひなの(山梨県立大学国際政策学部国際コミュニケーション学科1年)

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