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心の声をキャンバスに

みなさん、こんにちは。2022年12月7日、山梨県立美術館で開催されている『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』の取材に行ってきました(本展示会は一部の作品の撮影が可能です)。

突然ですが、みなさんは自分の感情を言葉にできないもどかしさを感じたことはありますか?私は何回もそのもどかしさを感じたことがあります。

美術は言葉を必要とせずに、自分の感情をありのままに表現できます。

今回の個展の画家である米倉壽仁は、実の母と弟を亡くし、行き場のない悲しみや寂しさを感じたことのではないかと私は感じました。

こちらをご覧ください。

左:米倉壽仁 《早春》1940年 山梨県立美術館蔵
右:米倉壽仁 《破局(寂滅の日)》1939年 東京国立近代美術館蔵

《早春》は《破局》に続く作品と考えられています。私はこれを見た時に、白い布を纏った人は米倉壽仁が自分自身を表しているのではないかと思いました。《破局》の方は包帯を巻いており、米倉壽仁の深い心の傷を感じました。《早春》は人の顔が見えたり鳥が羽ばたこうとしていたり、希望を感じられます。きっと米倉壽仁は、悲しみや寂しさから抜け出し、前に進みたいという自分の思い描く理想像を、絵にぶつけていたのではないかと感じました。

続いて、こちらをご覧ください。

米倉壽仁 《イロハ唄》1966年 山梨県立美術館蔵

この絵の中に「MEMENTO MORI!」という文字が入っていますが、説明文によりますと、これはラテン語で「死を思え」という意味だそうです。また、いろは歌には、私たちの人生に幸せがあるという意味が含まれていると聞いたことがあります。やはり米倉壽仁は、死と戦い、未来に希望を見出していたのだと思います。

きっと誰にでも言葉にできない感情があります。私にもその経験があるからこそ、米倉壽仁の心に寄り添うことができた気がしました。

この個展を通して、米倉壽仁にとって美術との出会いは心を支える大きな存在だったのだと感じました。

展示されている作品の中には題名がわからないものがいくつかありました。自分のもどかしい感情と絵を関連して、自分色に染めてみるのも素敵な見方だと感じました。

『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』は2023年1月22日まで開催されています。

ぜひみなさんも米倉壽仁の内面を山梨県立美術館で感じてみてください。

取材をさせていただいた山梨県立美術館の関係者のみなさま、ありがとうございました。

文・写真:佐藤優奈 (山梨県立大学 国際政策学部 国際コミュニケーション学科 1年)

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