ミレーと現代作家が教えてくれる、自然と人間の動作の美しさ
今回、私は山梨県立美術館の開館45周年の特別展「ミレーと4人の現代作家たち -種に始まる世界のかたち-」に行ってきました。
この特別展の特徴は、ジャン=フランソワ・ミレーの作品を、今を生きる現代美術作家による作品とともに味わうことができるところです。
ミレーは、自然の中で営み、生活する農民の姿を数多くの作品に残しています。ミレーの描く素朴な風景には繊細な美が詰め込まれていますが、現代を生きる私たちにとっては、19世紀に描かれたミレーの絵と感性を共にすることは難しいと感じがちなのではないでしょうか。
しかしこの特別展では、現代美術作家の作品がそういったミレー作品と私の心の距離をグッと縮めてくれました。
例えばこちらの作品。
「眠れるお針子」というミレーの作品が、デザイナーである山縣良和の作品とともに展示されていました。
写真からわかるように、色とりどりの糸が、お針子が描かれた絵の下に置かれています。
私は、絵の中のお針子が頭に被っている布の色と同じ色の糸を探してみました。
かなり似ているんじゃないかという色をみつけました!
艶のある赤っぽい色です。
絵の中にいるお針子の生活を感じさせる実物が絵と同じ空間においてあると、なぜか絵にリアリティがまして自分の世界と近づいたように感じました。
次に面白いと感じたのはこちらの作品です。
これは、淺井裕介による泥絵の作品です。
泥を使って多様な模様が描かれているとても大きな作品なのですが、絵の中にある道のような白線の上を歩いて楽しむことができました。
楽しくなってしまい、絵の中を歩いては戻って3回くらい繰り返し線の上を歩いてしまったのですが、歩くたびに視界に入ってくる景色が異なり面白かったです。近くで見ると、固まった泥の立体感も感じられました。
また、泥絵の作品があることでこの空間には土の香りがしていたのも印象的でした。
そして、足元の泥絵を見ながら歩き終わって顔を上げると、
ミレーの「ヴォージュ山中の牧場風景」という作品が目に映り込んできました。
視覚と嗅覚で土に触れたあとにこの絵を見たら、私にはこの19世紀のフランスの牧場が近い存在に感じられました。それは、私たちは時代や場所は違っても同じ土の上に立って生きているということに気づいたからかも知れません。
この体験がきっかけで、私はミレーの作品を構えずに飾らない気持ちで鑑賞することができるようになりました。そして、ミレーの描く農民を通して、人間の所作の美しさを知りました。
例えばこちらの作品です。
この絵に描かれている婦人は、桶の水を別の容器に注いでいます。
水が注がれている容器は口の部分が小さく、桶から移し替えるには注ぐ水の量に注意する必要がありそうです。しかし婦人は少しも水をこぼさず注いでいるように見え、この作業には慣れていることを感じさせます。
私はこの婦人の動作に、習慣がつくりあげた動作の美しさ、気持ちよさを感じました。私は昔から、職人だったり母親だったりが何かの作業をしているのを見るのが好きで、よく人の動作を長い間ながめてしまいます。たとえば、観光地の街並みにある煎餅屋さんがお煎餅を焼く姿、先生が丸つけをする姿、お母さんがアイロンをかける姿、無印良品のCMにある世界各国の掃除をする人の姿などなど。
それはたぶん、その動作に慣れた人の手捌きは無駄がなく洗練されていて美しいからなのです。私は、その感じと、ミレーが描いたこの婦人のポーズの美しさには通ずるものがあると思いました。
ミレーの描く人の姿には、暮らしを続ける中で必然的にそうなった動作の気持ちよさ、無意識の美しさが表現されていることに気づくことができました。
またそれと同時に、人間が日々おこなう動作は人を取りまく環境が必ず関係しているのだと実感し、素朴だけど美しい自然の清さを改めて感じました。
この特別展では、現代作家たちの作品によってジャン=フランソワ・ミレーの絵に、香りや質感、3D要素などが加わるので、より深い鑑賞体験ができると思います。ぜひ、飾らずに自分の中に残っている童心で作品を楽しんでみてください。
「ミレーと4人の現代作家たち -種に始まる世界のかたち-」は、山梨県立美術館で2023年8月27日(日) まで開催されています。
文・写真:田口綾乃(山梨県立大学国際政策学部2年)