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【自問自答】強み路線図とコンセプト

まだまだ書いておきたいことがある。広げて深めて掘り進めたい。

前回はおもに私の持っている資質とその働きについてみっちり書き連ねて、それと並行して「強み路線図」と「自問自答ファッションのコンセプト」について考えていた。
重複する部分もあるけど何度も出てくることはそれだけ出てくる理由があると思うので、何度でも同じことを出していく。

いつもどおり自分のことをだらだらと綴っていくよ。


コンセプトと絡めて考えてみる

さて、前回に続き。
「強み路線図」に出てきてもらおう。

私🌳🦧の路線図


2月の教室でできたコンセプト(仮)を見てみる。

【強くて本質的でナチュラルな
身近な人をおだやかで楽しい気持ちにさせる
暮らしをつくる人】

しずかさんにはセッション申し込みの際に「自問自答ファッション経由で知った」と伝えていたので、当日にちらっと「コンセプトありますか?」という話になったのだ。
メモを見ながらでないとまだ答えられないので読み上げると、「すごい!路線図のこのへん(黄色のところ)まで入ってますね!」となる。そう、そうなんですよ……びっくり。

余談、私は西洋占星術も好きなので路線図はホロスコープともつながる部分がめちゃくちゃあるなあと思って(それも掘りたい)そういう話をすると(「占い」という言い方をしました)、そう思う人も多いようで、「切り口は違うけど同じ人を見て出てくることなので」との見解。いやあすごいね、おもしろ〜〜!となりました。


コンセプトのまんなか、あきやさんに聞かれた「誰をどんな気持ちにさせたいか」っていうのが入っていて、ひとりが好きな自分は聞かれてもここに他人なんか出てこないと思っていた。実際そうでもなくて、なんというか観念した感じがある。無視できない、あるぞ、と(何度目)。
「今年は人と会う、もうすこし人と関わっていく」と決めていたのでそのせいかなとも思いつつ。
ひとりが好きだけど、好きな人といるのも好きだ。ひとりにはひとりの楽しみ、誰かといるときはその人といるときの楽しみがある。私はそれを知っている。すこしずつ取り戻していきたいと思っている。


34の資質を出したときも自分で眺めただけではよくわからず「『人間関係構築力』に強みがあります」と書かれていて「なんだと??壊す側の人間だと思っている私が???」という気持ちだったのだけど、今回セッションを受けてコンセプトを見ると「世界中の人を」とかじゃなくて「身近な人を」というのがなんとも【親密性】そのものだし、私の路線図での「【親密性】=理解した気づきを理解できる人に話す→【着想】=新たな刺激を受けて思考が広がる」、ここの流れには絶対的に相手が必要なのだ。その相手は誰でもいいわけではなくて。すごく腑に落ちた。
ひとりで考えたいけど、ずっとひとりでやってると広がりがないまま、小さくまとまって終わる。めちゃくちゃ燻りそう。
教室応募のときにも「1人で掘っているうちに壁にあたった感じがするので、違う視点がほしいなと思っています」って書いてる……完全に身に覚えがね、ありますね。

「おだやかで楽しい気持ち」の部分。
あきやさんが例として「恐怖に陥れたい」みたいなのを挙げていてそれは私にはないなというところから「おだやか」が出てきて、それだけではしっくりこなくて「楽しい」を付け足した。じつはここ、悪くないけどもうちょっとなんかあるな(しかしわからん)と引っかかっていたのだ。なにが引っかかっていたか。なんだろう、自分のことと思うとちょっと「ぬるい」感じがする。もうちょっと、バチッと、キリッとした感じがほしい。あとの「暮らしをつくる人」と相まって、このままではいささか牧歌的すぎるというか、「人畜無害」すぎやしないか?ということだ。といってももちろん害をなしたいわけではなく。無害=影響力がなさそう、ということか。そういうこと……ああ、影響力がないということは、変化を起こせないということか……
しずかさんから私の路線図の【最上志向】→【自己確信】の流れを説明してもらったときに「目を覚まさせる」「気づかせる」というワードが出てきて、あっこれか……と思った。「目を覚まさせる」「気づかせる」なんておこがましい気もするが、私自身はたとえば「未開の地でも先頭で走る」「始まりの火」のようなものでありたいし、それが私にできることだとも思っているので、やっていることはそう大きくなくてもそれによってなにかしら変化が起こるのは必然ともいえる。自分にもまわりにも多少の痛みを伴うかもしれない。それをわかっていて「おだやかで楽しい」とは言えないのだ。結果「おだやかで楽しい」になることはあるかもしれないが、それだけを望まれても困る、というか自ら掲げるのはズレがあるよねと。
私は「はっとさせたい」のかもしれない。ただしそれ以上、その先は相手次第というか、うまく言えないがあなたの気持ちやあなたがどうなりたいかはあなたのものなのでねという感じ。無責任に聞こえるかもしれないが、本心だ。そこにそのままいたい人の身ぐるみを剥いで崖から落としたいわけではないし(これは気をつけないとやってしまう可能性があると思っている)、衣装を用意して手取り足取り着替えさせてエスコートしたいわけでもない(これは私の役目ではないと思っている、というかできない)。もちろん関わりたい相手の幸せは願っている、心から。ぶち抜いてはっとさせた後、動き出して気づいたころに私はもうそこにいないかもしれない。
こちらの心構えがぜんぜん「おだやか」ではない。でもまあ、「楽しい」のがいいわな。それはそう。

【強くて本質的でナチュラルな
身近な人をはっとさせる
暮らしをつくる人】

入れ替えてみた。暫定。

「暮らしをつくる人」の部分はどうしような。

ライフワークを思考と行動パターンから広く考えてみる



約1年前、このときのやつも内容としてはわりと一貫しているような……おれはずっとおなじことを言っている……いつだってぐるぐると螺旋である。

私は物語を動かしたいのである。おもしろそうだからやってみる、おいしそうだから食べてみる、そういうのって誰かにとっては愚かで滑稽でとてもあり得ないことかもしれないし、嫌われるかもしれない。それでも私はそうやって私の(もしかしたら誰かの)物語を動かしたいのだ。最初にカニ食べた人すごい、みたいなのがあるけど、私はそちら側の人間なのかもしれない。

私が最初にカニを食べた人だとして(?)、動機は「自分が食べてみたかったから」だ。すべてのカギはここにある。私のライフワークは「カニを食べる」ではないからそこに固執してはいけないのだ。
誰かに「あの謎の生きものが食べられるかどうか確認してくれ」と言われても自分が興味なかったら動かない。
自分が食べてみておいしかったからといって、無理やり人に食べさせることはしない。私はあくまで「ちょっと食べづらいけどおいしかったよ!私は好き!また食べたい」とか言うだけ。個人の感想を自分の届く範囲で言うだけ。
そこから「なにしてんの?」「えっあいつあれ食べたの?」「もしかしてあれは食べられる?」とまわりがちょっとざわつく。
「あいつが食べたから食べてみよう」って人もいれば「なにあれ絶対無理」って人もいる。「食べてみたいけどどうすれば……」って人には「私は蒸したよ、鍋貸す?」ぐらいは言うし、「ちょっといっしょに食べてほしい」って言われたら「いいよ(おいしかったし)、自分の分は自分でむいてみてよ」って感じかな。
自分はカニ食べて満足したので「あっちの山のお花を見てみたいから行こ〜」とか言って、さっさとその場を去る。
そうこうしているうちにカニを食べる会が開かれるようになり、広く一般に普及して、おいしいカニの食べ方が研究されたり、専用の道具が開発されたり、乱獲されないように取り決めができたりして、それが当たり前の世界になる。そういうところは初めから私に関係ないというか、会を開いた人の・広めた人の、レシピを考案した人の・調理して提供した人の、道具をつくった人の・売った人の、保護法を制定した人の・活動した人の功績でしょう。私は最初から「これが食べられるようになったらみんなの役に立つと思って」とか考えてないから。それでも、役に立ったのならうれしい、ぐらいは思っていてもいいだろうか。
最初にカニ食べた人の像とかにされたら壊しに行く。きっと私の名前は残らない。でもカニ界から恨まれたとき真っ先に差し出されるのは私だろうね。そのときは「私がやりました!」って言うよ。

なに?カニ界??
なんの話???

コンセプト最初にカニ食べた人、じゃないんだよ。それ私じゃないし。
まあでも、こんな感じだ。私の世界観というか、生き方というか、広がり方。路線図そのままというか。最後のは、恨まれたくはないが風穴をあけた責任をとる気概はあるぞという感じ。そういえば教室で「コンセプトの人は実名顔出しするか」みたいな話のとき、私は「実名顔出しする」と答えた。でもべつに有名になりたいとかではないんだよな。「責任をとる」の方向で働いていそうな気がしてきた。私の仕事ですから、みたいな。そういう意味合い。

それにしてもこの流れ、どうやったら報われるんだろうな。典型的な儲からないやつじゃん、とか思っちゃった。流れの中にビジネスにするチャンスはいっぱいありそうだけど私はそれをやりたい人間ではない……
ライフワークだからいいのか。お金の心配がない世界なら全然これでいい、これがいいな……広くとるとやっぱりやりたいことは暮らし、自給自足とか物々交換とかしてそうだよなあ、この人は。日々の一見なんでもないそれが最大のアドベンチャーであって楽しめることが一番いい。
「興味をそそられることに出会って次々と新しいことをやっていく」「帰る場所がある」「日々のどうでもいい冒険譚を話せる・おもしろがってくれる相手がいる」あたりがキーポイントか。
アドベンチャーとか冒険譚とか出てきちゃった。ええ……これまでもちらちらすることはあったけど、思い描いてる生活スタイルがなんというか平和な町の「冒険者」のそれなんだよな……うーーーん。じゃあコンセプトをそれにするかというと、なんとなくしっくりこない。
うーーーーーん。保留。

【強くて本質的でナチュラルな
身近な人をはっとさせる
暮らしをつくる人】

いったん、ここまで。

・・・

ヘッダーは、先日行った上野動物園で一番きれいに撮れた写真です。強そう。自問自答ファッションにふれてから、「屈強な肉体いいな」と憧れのようなものがわいてきた。私は楽しいことを楽しむために強くありたいと思っている。

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