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『それ』

『それ』の初発症状は不眠と動悸である。
『それ』は進行するとある一つのことしか考えられなくなる疾患である。
『それ』は時には苦痛を、時には快楽すら生じ得るものである。
『それ』は旧暦21世紀において疾患概念すら存在していなかった。
――正確には疾患であると考えられていなかった、か。

人類が宇宙へ進出することは必然だった。
大気汚染は深刻なものになり、木は枯れ果て、海は死に絶えた。
そんなにも環境が崩壊してもなお、人類はしぶとく生き残った。
だから、新暦1NR(旧暦30世紀)に宇宙大航海時代が始まった。

人類は広い宇宙に遍在するようになった。
人類は自らの種の生存を機械に頼るようになった。
自らの遺伝子コードを機械に組み込むと、適度に改変された遺伝子を持つ一定年齢の人類が誕生する。
旧暦では人も動物のようにまぐわい、生まれてくるのも一人では何もできない人類の赤子であったという。
おぞましい話だ。
これを読むあんたも、そう思うだろ?

『それ』が50NRにみつかった病気だってのはあんたも知るとおり常識だ。
この広い宇宙に遍在するすべての人類種のうち、『それ』が本当の病気であるかを疑うものは誰もいない。
特に、"『それ』が本当に疾患なのかと疑うものは消される。"という噂が流れ始めてからは顕著だ。
だから、或る星の探索中に見つけた本を読んだとき、俺は愕然としたわけだ。
この本が真実だとするなら、『それ』は元々人類に存在していたものだってんだ。
信じられねぇだろ?

この手帳は俺の遺書。
俺はこれから消されるまで、この本の内容を宇宙にバラまくつもりだ。
これを読むあんたが共感してくれるなら、俺と一緒に死への旅にでようじゃないか、兄弟。

『それ』は名を隠蔽されたものである。
『それ』は詳しく知ってはいけないものである。
『それ』は動物的なものである。
『それ』は旧時代に人類が置き去りにしたものである。



三度、否

『それ』は――

(続く)

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