憂い、心配するのをやめたいが

 僕自身、直したいところはたくさんあります。その一つは、「事前に心配してドキドキしてしまうこと」かもしれません。
仕事などいろいろなことをしていると、心配事が多いものです。まず、人と会ったりして話すことが予定されていると、「ちゃんと話せるかどうか」などと心配したりします。何かをやらなければならないときも、「しっかりできるのか」と心配してしまいます。
一週間後、一日後、一時間後の予定などにも憂い心配し、ドキドキしてしまう自分が居たりします。手順や行動を考え、「ああやって、あそこに行き、こうやってやらなければならないのか」みたいな感じで自分の未来を心配し、憂い、面倒くさいなと思ってしまったりしてしまいます。これは異常なのでしょうか。まあ、ちょっと異常なのかもしれません。ちょっと心配性すぎるのかもしれませんし、面倒くさがりなのかもしれませんし、精神が弱いのかもしれません。
ただ、多くの心配した事柄は、たいていの場合、まずまず上手くやれるものです。多少の失敗はあっても、終わってみれば大したことなかったな、ということがほとんどです。
これからの行動などを憂い心配するのは、いいことなのでしょうか。逆に考えると、それがあるからこそ慎重に行動することができ、まずまず上手くいっていると言えるのかもしれません。だから、今のままでいいのかもしれません。
ただ、憂い心配するときの胸のつかえみたいなものは気持ちが悪いものです。動きを鈍くもしたりします。過度に心配するのは、あまり良くないような気がしています。
多くのことが上手くいくのであれば、あまり心配せず、ただ客観的に準備をすることだけに専念すればいいのかもしれない、と考えるようになりました。そして、胸のつかえのような鈍重な気持ちをクリアにするためには、手で紙に書こうということに、自分の中では今のところ結論づけていてそれを実行しています。
紙に箇条書きで準備することを書くだけで、少し落ち着きます。そして抜けも減っていき、わりと上手くいくような感じがしています。憂い心配してしまう癖はこれからも治ることはなさそうなので、紙に書くことで和らげていこうと思っています。

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