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『読む』コミュニティーソーシャルワーカー(CSW)「勝部麗子」さんとの対談

山本香苗
やまもと・かなえ(公明党参議院議員)2001年初当選。生活困窮者自立支援制度を創設するなど、困っている人に寄り添う多くの政策を実現。衆院大阪第16区(堺市堺区、東区、北区)総支部代表。

勝部麗子
かつべ・れいこ
大阪府豊中市生まれ。昭和62年に豊中市社会福祉協議会に入職。平成16年に地域福祉計画を市と共同で作成、全国で第一号のコミュニティーソーシャルワーカーに。地域住民の力を集めながら、数々の先進的な取り組みに挑戦中。

<制度のはざまで苦しむ人へ支援の手> 


山本 もう勝部さんとは長い付き合いになります。

勝部 そうですね。社会問題の解決へ、共に戦ってきた〝戦友〟です。
 2004年、生活上のさまざまな問題で困っていても、既存の福祉の枠組みからこぼれ落ちる人たちに寄り添った支援を行うため、大阪では全国に先駆けて、コミュニティソーシャルワーカーを設置しました。これまでの行政福祉は、「高齢」「障がい」「児童」「生活保護」の分野で困っている人の助けに対して、「助けます」あるいは「助けられません」と判断する〝申請主義〟といった状況でした。これにより、ひきこもりなど、制度のはざまで苦しむ人々は誰が助けるのかということが、町の見えない課題でした。

 そこから約10年、コミュニティーソーシャルワーカーという支援活動を通じて、課題を見える化していく中で、山本かなえさんお会いし、私たちの活動に着目してもらうと共に、現場にも足を運んでくれました。

山本 それは公明党が野党時代だった2012年。社会保障制度の改革を進める中で、いろんな福祉制度が拡充しても、制度からこぼれ落ちる人々に対し、支援の手が届くような仕組みを作らなければ、政治に対する不信を払拭できないと考えていました。そこでまさしく、豊中市でやっている先進的な実例も含め、国会で質問させていただきました。

勝部 山本かなえさんは、当時から現場の実情を真摯に聴いてもらい、解決できることは、すぐに関係各所に掛け合っていただきました。「なんとか解決したい」という、山本かなえさんの強いパッションを感じ、希望を見いだすことができました。また、現場の課題を国に届けてもらうことで、遠い存在だった国会を身近に感じるきっかけにもなりました。

勝部 制度のはざまで苦しむ人々への支援言っても、実際に何を行っているのか、分かりづらいのが実情です。そうした中、私たちが支援していた、絵を描くことが得意なひきこもりの青年に、コミュニティーソーシャルワーカーの活動を漫画にしてほしいと依頼。すると、住居者の高齢化や社会的孤立など、複合的な問題が絡み合う〝ごみ屋敷問題〟の解決に向けて尽力する様子を描いてくれました。その漫画は山本かなえさんにも、お渡ししました。

山本 私も読ませて頂き、2012年7月の国会質疑終了後には、当時の野田佳彦総理にも、『読んでください!』と手渡ししました。その後の反響は、かなり大きいものでした。

勝部 野田総理に直接、お渡ししている場面は、漫画を書いてくれた青年とその母親も、テレビの国会中継を通じて見ていたそうです。その親子はこれまで、社会に必要とされていない、片隅にいるような、苦しい日々を送っていました。しかし、漫画が総理の手に渡るシーンを見た瞬間、母親は、息子を誇らしく思えたそうです。

山本 実はその後、ご家族から『ありがとうございます』と、お手紙をいただき、私自身、すごく心が温まりました。
 
勝部 これまでは、ひきこもりの人に対して、支援する側が当事者のできることを正確に理解した上で、元気づけたり、励ましたりする発想がなかったので、山本かなえさんとの出会いは、本当に良かったです。

スタッフ 
<生活困窮者自立支援法についてご説明をお願いします>


山本 生活困窮者自立支援法という法律は一言で説明すると、民間団体が『目の前の困っている人たちを放っておけない』という思いで、当事者をど真ん中に置いて支援する仕組みをそのまま制度化しました。例えば、コロナ禍による収入減で生活困窮に陥った人に対しては、専門の支援機関や行政も含め、当事者の状況に応じて支援していました。

勝部 これまでワーカーたちは、生活に苦しんでいる多くの人を助けたいという思いがある一方で、既存の制度が邪魔をして、当事者全員を助けることができないジレンマを抱えていました。しかし今回の制度は、当事者の〝申請主義〟から、支援者側が「助けさせてください」とアプローチすることを法的に後ろ支えしてくれるものです。当事者が『もういいです』と諦めていても、『あなたは幸せになる権利があるんだ』と励まし、支援できる夢のような制度なのです。

勝部 これまで、80代の親が50代の子どもを経済的に支える「8050問題」や、生活保護の手前の人など、制度のはざまにいる人は、社会的におぼろげな存在でした。

 そうした中で、新型コロナウイルスが発生し、若者やインバウンドを含めた外国人のほか、飲食関係に務める人の中には、社会保障が非常に脆弱な中で暮らしている人たちが多く存在するとともに、支援制度の枠組みから外れていることが顕在化したのです。生活困窮者自立支援制度があったからこそ、当事者に対して貸付支援を実施することができました。
 
 この制度がなければ、日本全体でコロナ禍を乗り越えられなかったかもしれません。生活困窮者自立支援法というのがあって本当によかったと思いました。
 
山本 勝部さんの言うとおり、コロナ禍などにより、新たな生活困窮層・困難層が顕在化しました。そういった人たちをどのように受け入れるかという課題が生じる中で、生活困窮者自立支援制度は、確実に受け皿の1つとなりました。
 
 一方で課題もあります。この制度は当初、被雇用者として働いている人というケースを念頭に置いていたため、近年、増えているフリーランスなどの働き方の増加に伴い、新たな困難層の人が増加し、制度にそぐわない点も出てきているのも実情です。勝部さんや生活困窮支援の現場の皆さまから、制度の改善を求める切実な声も伺っています。

勝部 多くの要望を聴いていただきました。

山本 実情に合わせて制度を変えていくことが重要です。さまざまな課題に対応するため、国に対し、制度の改善を要請した結果、今年4月からは、生活困窮者自立支援制度の一つである住居確保給付金の対象を拡大。このうち一部恒久化が実施されました。制度を充実させる上で、実際の現場で、当事者に寄り添っている支援者からの提言はとても貴重です。生活に困窮する人であるほど、自分から声を出せない人が大勢いる中で、支援者がいなければ制度の充実ないと痛感しました。

勝部 これまで、制度のはざまで十分な支援を受けられなかった困窮者らを、ワーカーたちは受け止め、『なんとかこの人たちの出口を探そう』『生活を再建できるように応援しよう』と、取り組んでいます。その熱い思いとエネルギーが、仕組みをより良くしていく根幹になっていると感じています。

山本 本当に痛感します。
 
勝部 こうした実態とリーマンショック時を比較されることが随分あります。リーマンショックでは、サラリーマンや製造業の人たちの課題でした。そういった人と、自営業の人たちの生活は全然異なり、生活保護を受けると、もう一度、借金をして仕事の運転資金を借りることができなくなるため、簡単に『保護を受けます』とは言えず、ギリギリの状態で生活を送っている人たちが大勢いると、今回は思います。

山本 『一旦、生活保護を受けて、少しホッとしてから脱却すればいい』と言っても、断る人がたくさんいました。
 
勝部 面談室の中で、泣きながら説得して、何とか『あなたの命を守るために生活保護を受けましょう』と言っても、『生活保護になるぐらいやったら死んだ方がましや』『故郷の親に知られたくない』『自営業で使っている車を廃車したくない』などと断るケースがあり、山本かなえさんは、こうした実態をすぐに厚生労働省に連絡してくれました。

山本 こうした人たちを一時的に何とかしようと、国に掛け合いました。
 
勝部 その結果、コロナ禍はなんとかしようと、即決して動いてもらいました。目の前の人を助けることは、現場のワーカーと、私たちの気持ちに共感する国会議員のほか、官僚の人たちの三者がスクラムを組み支援することが、生活困窮者支援における大きな利点です。

対談場所は 「和居輪居(わいわい)」 空き家を活用した地域多世代交流拠点

スタッフ
<生活困窮者支援により、変わっていった人のエピソードがもしあれば>


勝部 挙げるとするなら、住居支援についてです。特にコロナ禍では、ホームレスの人たちと会う機会が多く、失職し住居を失うと、全ての社会保障から外れるという状況に陥るケースがありました。
 
 そうした中、朝のラジオ体操に参加していた人から、『朝4時ぐらいに公園に行ったらホームレスの人が増えているよ』と言われて、現場に行きました。すると、ホームレスの人がそこにいたのです。お話しを少し聴きましたが、『もう二度とこの公園には来ない』という雰囲気に。「必ず連絡して」と、手紙と名刺を渡しました。コロナで人との接触を避けることが一般的でしたが、何とかこの人とつながりたい一心で、握手を交わしました。 

 すると、彼は涙を流しながら背中を向けて消えていったのです。『彼の居場所を失わせたかな』と思っていた2日後、彼から電話が。『あなたが朝4時に来たということは、2時ごろに起きてきてくれたのに。失礼な態度をした』と。そこからすぐに会い、結果的に家を確保して、仕事を決めることができました。

 彼は「仕事が決まった」という報告の電話ができる相手がいる喜びを感じ、とても元気になっていきました。ホームレスだった彼は、ハウスレスとは違い家族がいません。だからこそ、話せる相手がいることが何よりも大切で、今回の困窮者支援の大切なテーマでもあります。

 「伴走型支援」と言いますが、誰かが自分のことを理解し、ずっと心配してくれていると思うからこそ、「頑張っていける」と思えるのです。ひきこもり状態であったある人は、54回訪問してやっと会うことができ、今では仕事をしていたり、高学歴の若者の家を訪問した際には、壁いっぱいに穴が開いている状態で、真っ暗な部屋にひきこもっていた人が、不登校の子どもたちの学習支援をしています。

 人は何かの出会いをきっかけに、頑張れることを見つけ出し、変わる力を持っていることを感じられることも、この制度の面白さだと思っています。
 
スタッフ 今のエピソードで言うと、「地域の方たちの発見」。それに対するコミュニティソーシャルワーカーたちの解決に向けた取り組み」。この両輪が大切だと思いますが、政治家、国会議員はその枠組みの中ではどういった役割だと考えますか。

勝部 解決力と発見力っていうのは車の両輪です。しかし、公的なサービス以外のインフォーマルで支援を尽くしても所得制限の壁が生じたりします。制度というものは、一人を助けるためにできているはずです。そうした中で、現場の実情を聴き、何とかしようと動いてくれる議員さんが必要です。困っている痒いところを理解し、どう改善するかということに対し、答えてくれる議員さんがいるからこそ、私たちは、生活困窮者からの助けに、『断らないよ』『頑張れるよ』という励ましを送ることができます。

質問に立つ 山本かなえ

山本 課題を聴いたら、『やんなきゃ!』という感じになります。目的はみんな一緒に、目の前にいる人をどうやって救うかという中で、それぞれ持ち場をフルに活用し、チームで支援してきました。

勝部 山本かなえさんに救われることはたくさんあります。特に山本さんは、国会議員として、いろいろな分野の最前線を事細かく知っている人です。そのため、全国の取り組みや課題を山本さんから聴くことで、ヒントをもらえるし、私たちと全然違う取り組みに見えて、実は共通する点があり、普遍的につながっていくことがあります。そういう意味で、全国の課題をつぶさに把握していることは、すごいと思っています。
 
スタッフ〜
<勝部さんがこれからさらに“山本かなえ”に期待することはありますか。>

 
勝部 一般的に「国会議員のあり方」という観点で、政治離れが進んでいると思っています。政治家は、世界が違う人という印象だったり、生活と繋がらないようなところがあると思います。国民の生活とリンクさせて、発信し続けいるところは、これからも頑張り続けてほしいです。困っていても、声が上げられない人たちがたくさんいるので、また新しいスクラムを作って、頑張ってほしいと思っています

山本 ありがとうございます。勝部さんはじめ、生活困窮者自立支援に携わる方々と接する中で、数多くのことを学びました。また、その実情を知ることによって、私自身、優しくなれることを教えていただきました。

例えば大阪・ミナミの「グリ下」や、新宿東宝ビル脇の通称「トー横」に集まる女の子。ただ単に非行に走っていると見られがちですが、一歩踏み込んで、その少女たちの背景を聴くと、虐待などで大変な思いを強いられ、家庭に居場所がないという実情がありました。表面的ではなく、当事者の背景まで見て、支援する重要性を勝部さんはじめ、生活困窮者自立支援制度に携わるみなさんから学びました。全国津々浦々で「優しいまちづくり」「人に優しいまちづくり」が進むようにこれからも全力で頑張っていきます。

参考 豊中社会福祉協議会関連事業から

びーの×マルシェ 豊中市小売商業団体連絡会と協働し、元ひきこもりの方などが接客を担当
豊中あぐり 仕事を退職した男性たちが喜んでボランティアとして集う場 まちなか農業
塩崎厚生労働大臣(当時)と 豊中あぐりを視察 

対談の内容は動画でもご覧になれます。


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