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山守人です。

愛好会

こんな活動を2013年から続けてまいりまして、、、


山守人

こんな法人を2020年に設立しました。

簡単にご説明しますと、

任意団体である南アルプスマウンテンバイク愛好会で、長年地域活動と山道の整備をさせていただいてきました。

その任意団体が、注目いただき、様々な形で応援いただくようになってまいりましたので、

より、きちんとした形の組織にする必要が出てまいりまして、

結果として、一般社団法人を設立することとなりました。

法人格を有するということは、社会システムにきちんと当てはまった組織運営が成されているため、社会的信用をいただけることになります。

そうなれば、さらなるご支援ご協力を賜ることができるようになり、結果として活動がさらに加速度的に前進することになります。

そうなれば、これまで関わってきた、これから関わる方々が楽しく活動を進めれるようになっていきます。

じつはこのようなマウンテンバイクのローカル組織の法人化というのは多くあり、マウンテンバイク後進国の日本ではなかなかそういった形を実現しにくかったというのがあると思います。


ここからは私の自己紹介を兼ねて、この活動をなぜやることになったのかをお話させていただきたいと思います。

私は山形県鶴岡市という日本海側の僻地、裏日本とも呼ばれる辺境の地で生まれ育ちました。

東北の中心地仙台市までは当時片道約3時間、新潟市まで片道約3時間、県庁所在地の山形市まで100km、鶴岡市単体の人口10万人(現在合併により15万人)という立地です。

しかし、周囲には月山、羽黒山、湯殿山、鳥海山、朝日連峰の山々に囲まれ、ひたすら野山で遊びまくりました。

マウンテンバイクについては、クワガタムシを獲りに行くための移動手段で、砂利道や山道、道路を走りまくっていました。

大学で東京に行くことになり、大好きな地理学を学びながら、ひたすらスノーボードや登山をやっていて、探検部に所属し、様々なアウトドアをやることになりました。

大学卒業後、渡英し、大学院で人文地理学を学びながら、休日はケイビングを中心にひたすらアウトドア三昧でした。イギリスでは当時(15年前)でさえ、本屋さんで全国のマウンテンバイクトレイルマップがエリア別で日本で言う「山と高原地図」のように販売されていました。つまりそれだけイギリスではマウンテンバイクマーケットが大きく、その環境が揃っていたということになります。持っていた自転車で海外ツーリングもしましたし、イギリス国内では電車に自転車を普通に乗せて様々な街を旅していました。

なんとか卒業し、帰国し就職。

社会人になると長期休暇が取りづらく、登山の山や自然の中での静かな楽しみと、スノーボードなどのスリルあふれるエキサイティングな要素が一緒になったものが無いかと探していたところ、学生時代に雲取山を登った際に出遭ったマウンテンバイクを思い出しました。

山にマウンテンバイクを担いで持っていって乗ってみたら、死ぬほど楽しくて、1日に10回以上前転して、「これだー!!!!」と頭が真っ白になる興奮を得て、それ以来ドハマリしました。

その後、死ぬほど乗りまくっていたのですが、疑問が湧いてきました。

「マウンテンバイクって山で乗っていいのか?」と。

法律などを調べまくりましたがどうもはっきりせず曖昧な状態になってしまいました。

そうこうしているうちに、西伊豆で探検部の後輩の知り合いがむかし道を活用したマウンテンバイクをやるということを聞いて、少しずつお手伝いをさせていただくことになりました。

そこで、山や山道には地権者や管理者などがいることがわかっていき、話を通すことが必要であることがわかってきました。

当時、なかなか教えてもらえるところが無い中、西伊豆の松本氏、現山伏トレイルツアー代表に出会えたことはとてもありがたいことでした。

それ以降、西多摩マウンテンバイク友の会の中沢代表、トレイルカッターの名取代表にも出会い、さらに山や山道が簡単なものではないことがわかってきました。

そうこうしている中、山梨県南アルプス市の櫛形山で、市役所の方々や地元NPOの事務局長などと出会い、マウンテンバイク活動をやらないかとお誘いを受けました。

当然、その先の人生がとても大変になることは瞬間的に悟りましたが、そのお誘いを断るということは、自分はその程度しかマウンテンバイクや日本の山、日本が好きではないということになり、若い世代や将来の自分の子供に正面切って「マウンテンバイク最高だぜ」と言えない後ろめたいカッコ悪い大人や親になってしまうので、「それだけはできない、俺は日本が好きで日本の山や自然歴史文化、マウンテンバイクが好きだ」という考えから、「やります」とお答えしました。

それ以降、とても大変な、しかし、かけがえのないとても充実したフル稼働の人生になっていきました。

20代にたくさんの本を読みました。

好きなことはとことん突き詰めること。

また自分の父親が言ったことは頭に残っていました。

「なにか1つでいいからやれ、それだけでいい」と。

僕は、日本のマウンテンバイク環境を他の先進国のようにし、他の先進国同様に、現在の日本のマウンテンバイクマーケットを数十倍から数百倍にし、最低限、日本の、特に山梨県から長野県に至る大峡谷を東アジアのマウンテンバイクの聖地にすることを心に決めました。

なぜそれを目指すかというと、僕が本当にやりたいことは、標高2000mや3000m級の山々から標高差1000~2000mをマウンテンバイクで下るということを公式な形でやりたいからです。

そして、南米やフランスプロバンスなどで開催されている、1日あたり標高差2000~3000mを下る1週間のステージレースで合計標高差で20000m以上下るという日本では信じられない規模のエンデューロレースが海外では行われていて、その動画を10年近く前に観ました。そこで日本と他国の乖離を痛感しました。

それを実現するには、当然、日本社会がマウンテンバイクを許容している必要があり、許容している証明として、マウンテンバイクの制度化、政策化が実現していることになります。

つまり、僕がマウンテンバイクは山で乗っていいのか?と疑問に思い、法律などを調べまくったけどわからなかったのは、制度化(法律や条例、行政等の規則や通達など)になっていないからです。

確かに、グレーな状態で走れないことはありません。

しかし、そのままグレーで走っていても、現状維持すらできず、どんどんその範囲は狭められていってしまい、結果的に完全なアンダーグラウンドな存在となり正式に走れなくなってしまいます。

僕はマウンテンバイクが社会に受け入れていただけるように、社会に少しでもマウンテンバイクがお役に立てる形で猛烈に活動させていただいております。

現在、当会では、標高差1000m以上、総延長15kmのトレイル網を確保しています。

山梨県においては様々な利害関係者とのつながりをもたせていただいており、県政としてマウンテンバイクを取り入れていただくこともでき、国の自転車施策にもマウンテンバイクを取り入れていただけるところまで来ました。

しかし、これは、まだ、ほんの始まりにしかすぎません。

すべての活動は、当会の会員のみなさんや地域、行政、マウンテンバイク業界、全国の活動家のみなさまのご協力によるものです。

とても長くなってしまいましたが、自己紹介とさせていただきます。

これから、少しずつ、日本のマウンテンバイク環境やトレイルビルドなどについてお話させていただこうと思っております。

ありがとうございます。


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