見出し画像

小倉城下町さんぽ 秋月街道⑯守恒

国道322号線(旧道)を南に進み守恒に入ると、左に「ナフコ」と「サンリブもりつね」。
「ナフコ」はボウリングブームの時に出来た「北方ボウル」を転用したものです。
守恒はここに大きな森があったため森津根と呼ばれたのが由来だそうです。

左ナフコ、正面がサンリブもりつね

今は北九州有数の文教地区です。
守恒バス停はかつて「大衆公園前」と呼ばれました。(路線図)

昭和43年の西鉄バス路線図。「大衆公園前」バス停の文字

「大衆公園前」というからにはそんな名の公園があったことになりますが、地元の人に聞いたところ現在のUR守恒団地の西側、守恒地区でもっとも早い時期に宅地開発が行われた守恒一丁目付近は桜の名所で、前面に権現堂池が横たわり風光明媚な場所であったとのことでした。

昭和46年ごろの守恒・山手一帯。左上の池が権現堂池

都市化が進んだ今では想像しにくいことですが、守恒団地のあるところはその頃、良質のお茶が取れる茶畑でその裏の自動車学校辺りには肥料工場があって近所の人たちが働きにいっていたそうです。

現在と開発初期の守恒。丸い輪の場所は同じ、KONAMIの前。後方は足立山。

交差点を左折すれば、「権現堂」バス停。
大きな権現堂下池・上池があったところです。
1979年(昭和54年)に下池は埋め立てられ、そこに「ニチイ徳力店」が開店、その後、数年を経て上池の残りも埋め立てられニュータウンができました。
ここはかつて「ニチイ」から「徳力サティ」、そして「イオン徳力店」と変わりました。

徳力イオンの後にできたマルショク新守恒店(後方に高層マンション・サンパーク守恒)

今は「マルショク新守恒店」と高層マンションになっています。「コナミスポーツクラブ徳力」もありましたが、2024年1月で閉館しました。

コナミスポーツクラブ徳力

守恒は高度成長時代、「セブンアップ飲料本社工場」跡に、再開発により地元の大手スーパー「ユニード」が開いた「徳力アピロス」ができ、その後「ダイエー徳力店」(2009年閉店)、解体・建て替えで2012年に「サンリブもりつね」となりました。

ダイエー徳力店時代の徳力アピロス

スーパー変遷の歴史が垣間見える場所です。

バス停の名称「権現堂」は、かつてここに権現堂があった名残。
権現堂は地元の人の話によると、ニチイが出来た時、屋上に祭られたが、その後は不明とのこと。
何か手掛かりはないかと探しましたが、「竹林亭」前のバス道路を横切りまっすぐ上ると左に二市一郡新四国霊場の大師堂、上り詰めたところに「大権現」と書かれた鳥居のある小さな社がみつかりました。

二市一郡新四国霊場の大師堂

この社がバス停の名前になった権現堂らしいですが定かではありません。

大権現と書かれた鳥居。
権現堂

#城下町 #秋月街道 #北九州市 #小倉 #さんぽ #権現堂 #馬車鉄道 #守恒 #コナミスポーツクラブ徳力 #二市一郡新四国霊場  #










































































































































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?