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鷗外さんの「小倉日記」⑱プロペラひげ

小倉城下町さんぽ・鷗外さんの「小倉日記」⑱

(明治三十二年七月)

二十七日。二十二日の雨より後尚涼し。長岡外史を偕行社に招きて午餐を供す。日暮外史辞して馬關に赴く。


27日には長岡外史と偕行社で食事、長岡は下関へ向かいました。
偕行社は当時は二の丸(現在のリバーウォーク北九州)にあり、陸軍将校の集会・社交場です。小倉日記には頻繁に出てきます。
後に、北方(小倉南区)に移り、北九州市立大学の入り口に建物が残っていましたが、いまはありません。

二の丸にあった偕行社
絵はがき「小倉名勝 偕行社」
北方(小倉南区)の北九州市立大学にあった偕行社

長岡外史(1856〜1933年)は山口県・末武村(現・下松市)生まれ。明治維新後、陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。大本営参謀次長、陸軍中将、第13師団長、第16師団長などを務めました。
新潟県高田の第13師団長のときには、オーストリアの軍人レルヒからスキーを学び、子どもたちや女性など、民間にも広め、日本のスキーの先駆者となります。

「プロペラひげ」の長岡外史

また、日本初の航空関係の会長も務めました。当時、飛行機は軍事用に導入されましたが、外史は人々の生活にも役立つようになると考えました。
1924(大正13)年、衆議院議員に当選すると、国内航空路の開設や羽田への国際空港の建設などを提案。航空の発展に力を尽くし、日本の民間航空の父となりました。享年満77歳。
世界一の長さ68.8cmを誇った「プロペラひげ」も有名でした。

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