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Populism が産み出した vigilante justice

Philippine’s drug war sparks outrage and fear

訳:フィリピンの麻薬との戦いは暴力と恐怖をあおる

(CNNより)

【ニュース解説】

Populism という言葉があります。

アメリカの大統領選挙であれ、ロシアやヨーロッパ、そして日本の政局であれ、この Populism の波にうまく乗ることによって、政局が大きく変化します。

Populism は大衆に迎合して、人気を博すようにすることを意味します。それにはわかりやすいメッセージを単純な言葉で伝え、マスコミをもうまく利用する戦略が必須となるのです。

そして、この Populism のリスクと弊害も、近年問われるようになりました。危機感を煽り、ナショナリズムに訴え、スマートで「かっこ良く」振る舞えば、マスコミの注目を集め、支持率も上がるというわけです。

フィリピンの大統領ロドリゴ・ドゥテルテ Rodrigo Duterte は、今そのポピュリズムの波に乗って90%以上の支持率を得ています。

なぜでしょう。彼はフィリピン南部の中核都市ダバオの市長を長年勤めていました。ダバオはもともと麻薬や賄賂の横行する治安の悪い都市として知られていました。しかし、ドゥテルテは自警団を組織し、容赦のない取り締まりを強行し、その犯罪率を劇的に下げたのです。自警団は犯人をその場で射殺し、法で裁く前に犠牲になった容疑者の方が多いのではといわれたほどでした。

この功績(?)にフィリピンの人々は喝采をおくり、ドゥテルテは今年になって大統領に就任したあとも、同様の手法で麻薬撲滅運動を展開しているのです。

彼が大統領に就任して以来、すでに2,000人以上の麻薬犯罪に絡んだ容疑者が街中で射殺されたのではといわれています。これに対して国連などが人権問題だと非難すると、ドゥテルテ大統領は内政に干渉するなら国連を脱退するぞと切り返します。

また、アメリカの大使に対して dirty word(不適切なスラング)を使って批判するなど、その傍若無人 arrogant な振る舞いから、フィリピンのドナルド・トランプといわれ、マスコミの注目を集めています。

冷静に考えた場合、犯罪をおかした者は逮捕され、裁判にかけられた上で刑を執行しなければなりません。自警団や警察官が、その場の判断で犯罪者を殺害することは vigilante justice といわれ、もちろん違法行為です。

しかし、大衆は大統領のこうした行為を恐怖政治とはとらえず、拍手喝采を送ります。これは populism のリスクと弊害を端的に表した事例となりました。

アメリカにとってフィリピンは大切な同盟国です。

特に、南シナ海での領有権をめぐる中国との緊張が高まる中で、アメリカとフィリピンは双方にとって必要とされる国家であるはずです。法治国家による人権外交を建前にするアメリカにとって、このフィリピンでの出来事は確かに頭の痛い政治課題となっています。「misunderstanding(誤解)があったのか、気になるところ」と駐フィリピン大使へのドゥテルテ大統領の侮辱発言に対しても国務省の歯切れの悪い応対に終始します。

ただ、我々がここで考えなければならないことは、民主主義がいかに脆い制度であるかということです。脆いからこそ、よほどしっかりとそれを守り、繊細な課題に対して冷静に対応しない限り、民主主義は容易に国家主義や全体主義へと地滑りしてしまうということなのです。

犯罪率が激減して安全な社会になることは、望ましいことです。しかし、ドゥテルテ大統領の方法は、populism の手法にのっとりながら、安易な方法で民主主義のルールを飛び越えようとしているのです。それは、風邪をひかない抵抗力のある体をつくるのではなく、風邪を撲滅するためにそこら中に消毒液をばらまいて環境を破壊しようとする行為に似ています。一時的な効果は心地よいものの、そこで払う代償の怖さを我々は冷静に考えなければなりません。

アメリカのトランプ旋風、フィリピンのドゥテルテ旋風、そしてフランスでの極右政党である国民戦線の台頭などに共通している手法は、内部、あるいは外部に敵をつくって、大衆意識を煽るやりかたです。犯罪、移民、隣国の脅威など、そうした手法を実行するために利用できる素材には事欠きません。

政治家の一見心地よいスピーチや活動に接したとき、常に彼らがそうした素材を巧みに活用していないか見極めたいものです。フィリピンの場合、populism が vigilante justice を容認するという異常な状況が続いています。人々がそれを異常と思えないこと自体が恐ろしいことなのです。

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