日本のビジネス文化の負のベクトルを象徴する三菱自動車という『組織』
【海外ニュース】
Shares in the company tumbled 15% Wednesday after news emerged that it had illegally rigged fuel economy tests affecting hundreds of thousands of vehicles.
訳:三菱自動車が極めて多くの車の燃費のテストを不法に改ざんしたニュースを受けて、水曜日の株価は15%下落
(CNNより)
【ニュース解説】
三菱自動車が燃費を偽装していた問題は、海外でも取り上げられています。
最近、タカタのエアバックのリコール問題など、日本の自動車業界への信頼を揺るがすような事件が多く発生していることが気になります。
こと自動車業界のみならず、工事現場での崩落事故や食品の安全の問題など、「品質と信頼」という日本のブランドイメージが損なわれるような事件や事故が頻発していることに危機感を覚えてしまいます。
実は、三菱自動車は過去にもいくつか大きな問題をおこし、国際的な批判にさらされました。
例えば、リコールを検討しなければならない欠陥をそのまま放置したケースもありました。
また、アメリカではセクハラ事件がもとで大規模な不買運動につながったこともありました。
そもそも、今回の問題は単に三菱自動車のみの問題として片付けてよいのでしょうか。
日本企業の多くに共通する「組織」の問題、構造の問題がそこにはないのでしょうか。
他山の石として、この問題を考える必要はないのでしょうか。
このことについて今回メスをいれてみたいと思います。
今まで同社をめぐっておきた問題の中で、最も深刻だったのは1996年に同社のイリノイ工場でおきたセクハラ問題でした。
1996年4月9日に、アメリカの Equal Employment Opportunity Commission(雇用機会均等委員会)が、三菱自動車を提訴した事件です。
実は、あのときに起きた問題と、今回の事件とは会社の構造の問題として深くリンクしているように思えるのです。
この事件は、アメリカの工場で、アメリカの従業員同士の間でおきたセクハラ事件を、会社が放置していた事件です。
しかも、ことが公になったとき、会社のマネージメントの対応が後手に回ったことも事態を深刻にしました。
結果として同社の車の不買運動のみならず、日本での女性差別への批判にまでアメリカの世論の関心が及び、会社のみならず国としても大きなリスクに直面した事件でした。
今回のデータの偽装問題は、三菱自動車が製造していた車を販売していた日産からの指摘で明るみにでました。
そして、1996年におきたセクハラ事件は、アメリカ人社員の苦情をもとに外部の調査委員会が独自に行った調査によって、明るみにされたのです。
このどちらにも共通しているのは、ことが深刻になるまで、内部で改革がおきなかったことです。
自浄能力の欠如という言葉で済ませれば簡単ですが、そもそも日本の組織の多くには、何か課題がみられたときの対応能力への脆弱さがみられます。
日本の組織には、「遠慮」という意識があり、さらにはマナーという詭弁に守られた「保身」によって、社員個人の意思や意見が立場や上下関係の中で表明しにくくなっているのです。
グループとしての活動に重きをおくために、組織に対して個人の見解を表明しにくい環境が、社内での課題を放置する結果へとつながるのです。
例えば、社外の人との会議などで、上司が対応し、部下はただ黙ってすわっていたり、黙々とメモばかりとっていたりといった光景があります。
これは自由に思うことを話すことをよしとする欧米に人からみれば、不可解な光景です。
そして、この光景はただ外部に対してだけではないことがあります。
和を保つことは日本人の価値観です。
また、気遣いも日本人の大切な価値観です。
しかし、これが負のベクトルにはたらくとき、組織の中で何もいえない日本人と、お互いに遠慮のかたまりになって沈黙している日本人の姿が浮き彫りになるのです。
そして、そこから「隠蔽」が生まれるのです。
それは、最終的に外部から指摘されるまで温存され、誰も声をあげません。
江戸時代には、滅私奉公とまでいわれ、上への恩に報いるために自らの意思を潰しても組織を守ることが美徳とされていました。
それが時とともに形骸化されながらも、今でも人々の間に組織に従い、「出る杭」にならないことが利口な生き方とされ、時には社会人の常識にもなっているわけです。
きっとこうしたことが、三菱自動車の組織の中での「沈黙」となり、それが「温存」されたのではないでしょうか。
利口な常識として。
あなたの組織ではどうですか?
文化には強い面と弱い面が同居します。
それはコインの表と裏のように、同じ価値観がプラスに働くときとマイナスに働くときに全く異なる顔となってみえてくるのです。
データの改ざんでは、昨年ドイツのフォルクスワーゲンでの排ガスデータの改ざんが指摘され大問題になりました。
隠蔽は別に日本に限ったスキャンダルではありません。
しかし、三菱自動車の場合、それが何度も繰り返される背景には、日本ならではのビジネス文化の弱点があるように思えるのは、私だけではないかもしれません。
2016.4.26
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?