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猟師と呼ばないで

ぼくは鉄砲を持っている。自衛隊でもないし、警察でもない。射撃のオリンピック選手でもない。ハンターだ。シカやイノシシ、たまにカモを獲って食べている。

「ああ、猟師さんなのね」

たぶんそう思った人が多いと思う。間違えとまでは言わないし、リアルでこう言われたときにいちいち訂正したりもしない。だけど心の中でちょっと首を傾げてしまう。それが「猟師」って言葉なのですよ。

「猟師」って言葉は特別な意味がある。


たとえば海の堤防で糸を垂らしている人を指差して「漁師だ」とは言わないでしょ。家庭菜園をやっている人を「農家」と呼んだり、家でDIYをしている人を「大工」とも言わないんじゃないかな。家計簿を管理している人を「会計士」とも言わないし、子どもの擦りむいたキズに絆創膏を貼る母親を「医師」とも言わない。

たぶん猟をやらない人からすれば猟をやる人と聞けば「プロの世界」を思い浮かべて、連鎖的に「それで生計を立てている人だろう」と想像し、「猟師」という言葉が浮かぶのだろうと思う。

「野菜を育てる」という行為の中に「ベランダ菜園」もあれば、「大規模な家庭菜園」もあれば、プロの農家もいるのと同じように、ハンターの中にも「休みになると、山に行って趣味で狩猟に取り組む人」もいるし、それでメシを食っている人もいる。その中間みたいな人もいる。

「趣味で狩猟」と書くと、「命を奪う趣味とはけしからん」と怒る人もいると思う。でも、なにも命を奪うことに喜びを感じるという嗜虐的な趣味ではなくて、自分で獲ったものをありがたく食卓に並べることを喜びに思うという意味での「趣味」の意味合いの人が多いんじゃないかな。家庭菜園で育てたトマトが食卓に並ぶのって幸せでしょ? それと似た感覚。少なくともぼくはそう。

この辺りはまた別の機会に掘り下げたいと思うけど、ひとまず狩猟をやる人の中にもいろんな人がいるんだ、ということは知ってほしいな、と思う。


猟師って言われたときに嫌な気持ちになるって話でもない。ここで言いたいのは、ハンターの中にも、ライトな週末ハンターもいれば、年中山に通い詰めて生計を立ててるプロもいるってこと。

狩猟をやるためには狩猟免許ってのが必要なんだけど、この免許を持ってもけっして「生計を立てる」って意味でのプロではない。車の免許を持ってても、運転がうまいわけじゃないのと同じ。

免許はスタート地点。免許=猟師ってわけじゃないんだ。

もちろん、免許を取って、すぐに覚悟を決めて “猟師” になる人もいる。それも含めていろいろ。

ハンターいろいろ。

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最後になりますが、自己紹介を。

ぼくは猟歴4年になるハンター。ぺーぺーです。縁あって、狩猟雑誌(ってものがあることもみんな知らないんだろうな)のライターのお仕事もしていて、自分の本も出版してます。

狩猟自体もやりがいがあるけど、ぼくが大事にしているのは「狩猟のある生活」。冬になったら山に入ってシカを獲って、冷凍保存して1年を通じて食べる。そんな生活全体が好き。肉を売って生計を立ててるわけじゃないけど、自分の獲った肉を食べる生活をしているのは間違いない。

そういう意味では準猟師みたいな感じでもあるけど、やっぱり猟師って言葉は自分にはまだ重い。

このマガジンでは、まったく狩猟なんて世界を知らない人向けに、狩猟をやるぼくの思うこと・考えることを発信してみようかな、と思っています。どうなるのかな。自分でも分からないや。

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