ルーチンを作ることについて、言葉の定義から考える

ジャグリングをすることは楽しいです。

練習するとか技を考えるとか色々と楽しいポイントはありますが、
僕は、ポイでルーチンを作ることをジャグリングをする中で一番楽しく感じます。

ルーチンを作る理由は人によって色々とあると思います。

僕も色々あります。ただ、その中でも、
・自分の中だけで抱えきれず創作物の形で自分の外側に保存しておきたい感覚や感情があり、それを形にしたい
・上記の感覚や感情を形にしてゆく過程が苦しくも楽しい。それを味わいたい
という2つが僕の中では一番大きい理由だと思っています。

近頃、

・自分の中だけで抱えきれず創作物の形で自分の外側に保存しておきたい感覚や感情があり、それを形にしたい

を概ねやりきってしまったように感じていて、
これがあることが前提になっている、

・上記の感覚や感情を形にしてゆく過程が苦しくも楽しい。それを味わいたい

をしたいのになかなかできないという状況です。

視点を変えて、自分の中のものを表現して外に出すのでなく、技術を見せるとか、人を楽しませるとか、なにかを模すとか
ルーチン作りを楽しめる方法は他にもあると思うのですが、この方法をもう少しやっていきたいなという気持ちなのです。
(自分の中だけで抱えきれないものを外に出すというのは気持ちの整理や折り合いが付いていくので心理カウンセリングみたいな効果にもなり、それをやりつくして不要になってきたのはいいことでもあると思ってはいるのですが…)

そのために、
表現とは?ものをつくるとは?そもそもなんでジャグリングで、ポイでやるの?
などなど今までさんざん考えてきたけれども、最近考えていなかったなぁということをもう一度、整理して言葉にしてみて今後どうしていこうか考えようと思い、それをnoteでやろうと思います。

この内容なら人前に見える場所で書かなくてもいいのでは?とも少し思いましたが、
なんだかんだ人に見られるようにすると、やる気が出るとか続けられるとかちゃんとやろうとするから深まるとか理由はあります。

前置きが長くなりましたが、
まずは、ジャグリングのルーチンよりもっと広い観点での、ものをつくって表現すること周りで良く使う言葉について、僕の中での定義を整理しつつ、ポイのルーチンをどういう考えで作っているか整理します。

【表現】

なんらかの事象・意思をある人がなんらかの手段で再現することだと思っています。

赤子が不快感を泣くことで表現する、困ったときに無意識的に頭をかくことで困っているという意思を表現する、などなど。
お腹が空いてお腹が鳴るのは意思に関係がないので表現ではありません。

人が表現をする目的は、大きく分けて2通りだと思います。
・他の人に何かを伝えるためのコミュニケーション目的
・自分の意思を自分の外に出して自分の気持ちに影響を与える目的

よく、表現は人に伝わらないと意味がないと言われます。
前者を目的にしているのならば確かにその通りですが、後者を目的にしているのならば人に伝わる必要はないと思います。
日記なんかは後者の目的が強い表現だと思います(後に見返す自分に伝えるためと考えると前者の目的もあります)

僕がポイのルーチンで表現する目的は、後者の割合がかなり多いです。

【芸術・アート】

アートとして考えられている、文脈がある分野の中で、その文脈に沿ってその分野のものだと認められた表現物のことを指すと思っています。
美術の文脈の中で、便器を置いてサインして美術だと認められればアートです。

本来の意味にそこまで詳しいわけではありませんが、それほど外れてもいないんじゃないかと思います。

ジャグリングの文脈がアートだと考えられてはいないと思いますので、ジャグリングでアートをしたければアートとしての権威のある他の分野にジャグリングを持ち込み、その分野の文脈で認められる必要があるんじゃないかなと思います。

つまり、
・分野がアートだと考えられていること
・文脈の中のポジション
・自分以外の人からの認識
があってアートと名が付くと思っています。

この定義での、アート・芸術をやるつもりは僕はありません。

【エンターテイメント】 

人が他の人の感覚や感情に、結果的に快い刺激を与える目的で行われるなんらかの行為のことだと思います。
結果的にということが要点で、怖がらせる行為でもドキドキすることを楽しむことが着地点になっていますし、感動する快さもあると思います。

アートの中でも、見た人が快い刺激を受けるものもあると思いますが、作られる時点での目的が違うと思います。

この定義でのエンターテイメントを、意識することはあります。
ただ、僕は自分の意思を自分の外に出して自分の気持ちに影響を与えることが主目的ですので、他人に影響を与えることが目的であるエンターテイメントを意識している割合はかなり少ないです。

【感覚と感情】

五感から受け取った情報もしくは自分の中で考えたことを認識した段階のものを感覚
感覚を起点に気持ちが動いた結果、発生したものを感情
と考えています。
やかんを触って熱いと認識したものが感覚、熱いことで不快・怖い・不安みたいな気持ちが出てきます、これが感情です。

感覚も感情も、名前のついているものが多いですが、実際に感じるときは名前のついているものがいくつも複合していたり、名前のついていないものを感じることがあると思います。
できるだけ名前と言葉で詳細に説明しようとしても、説明しきれないものがあると僕は思っています。
言葉で説明しきれないものを言葉でなんとか表現しようとした分野が、詩など言葉による創作なのではないかと思っています。

感覚・感情のうち、言葉で説明しきれるものを言葉以外の手段で表現するのも良いとは思うのですが、僕は自分でやる場合は、言葉で説明しきれるものは言葉でただ説明すればいいという考えです。

そのため、僕はどうしても言葉で表現しきれなった感覚や感情のうち、保存して後で見返したいと思うようなものをポイのルーチンという手段で表現していきたいと思っています。

【世界観】

たぶん、元々の意味はその人が世の中をどう捉えているかだと思いますが、創作物に対して使われる場合はよく別の使い方をされます。
ここでは後者の使い方について考えます。
表現することで作られた創作物・作品というパッケージの中での雰囲気・設定・関係性・ルールなどなど、パッケージに含まれる要素を総合して世界観と呼ぶと思います。
雰囲気や空気感と混同される場合が多いですが、雰囲気や空気感は世界観に含まれる一要素だと考えています。

【空気感・雰囲気】

雰囲気と空気感はほとんど同じものだと思いますが、感情の割合が大きいと雰囲気、感覚の割合が大きいと空気感という言葉で僕は使っていることが多いです。(混同して使っていることも多いですが…)

雰囲気とは空気感とはどういうものかを言葉で説明することは難しいです。
また、その使われ方も、ピリピリした雰囲気、やさしい空気感など、五感のどこかで感じ取れるけれどもどこで感じ取れているのかもはっきりと分からず、曖昧な言葉でしか表現できないような、言葉にしづらい事象だと思います。

僕は言葉で表現しきれない感覚や感情を表現していきたいと思っています。
これは雰囲気・空気感のありようと似ていて、重なり得ると思っています。

そのため、言葉で表現しきれない感覚や感情を表現した結果、発生した雰囲気や空気感をとても大切にしています。

最後に

ここまで整理してみて、そういやこう考えていたなぁと思い出せました。
ぼんやりと表現していきたいものが見えそうな感も出てきました。
まぁまぁ効果ありのようです。

また、
ものを作るとは?表現するとは?については、あれこれ考えてきたのですが、
ジャグリングとはそもそもなにか?など手段のことについてあんまり考えていなかったなぁと思えてきました。
そんなに関係がある話ではないのでまた別の機会にはなりそうですが、そっちも考えを深めて行きたいなぁとも思いました。

時間が経ってみて、必要そうであれば、また別のアプローチからルーチンを作ることについて考えてみるかもしれません。

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