ルーチンを作ることについて、音楽との関係から考える

現在、ジャグリングのパフォーマンスを見せる形式は、音楽をかけながらパフォーマンスを行うことが主流になっていると思います。

なぜそうなっているのかジャグリング全体の傾向の理由は、分析すれば色々あると思いますが、一旦置いておきます。

ここでは、僕が自分のルーチンを作る上で意識している音楽とルーチンの関係について整理します。

僕はルーチンを作る中で音楽を大切にしたいと思っていて、音楽にできるだけ寄り添いたいと思っています。
音楽への尊敬の念が強いと自分では思っています。

まずはなんでそう思っているか、いままでやってきたことを振り返りつつ整理します。

僕は高校生のときにジャグリングをはじめました。
その後、大学に入学して大道芸サークルに入り、
先輩方が依頼でやっているパフォーマンスを見て、教えてもらい、一緒に依頼などでパフォーマンスをはじめました。
当時、サークルでの依頼パフォーマンスのやり方は、音楽を掛けながらジャグリングの技を見せて拍手をもらうというやり方で、それに習ってパフォーマンスをしていました。
音楽は場の雰囲気を盛り上げるためのBGMの役割を担っていたように思います。
ある程度、自分で音楽を持ってくることになっていましたが、概ね明るく賑やかな曲でやる感じでした。
2年生後期くらいになると音楽をただのBGMにすることと明るく賑やかな曲しか使わないことに違和感を覚えてきました。
コミカルな演技が性格や見た目的に合わないなと思っていたことと、
当時ニコニコ動画で見たakatoriさんの動画が音楽と合っていてすごくかっこよかったのでこんな演技がしたいなと思った、
という理由だったと思います。
そこで、サークルで今まで使わなかったような感動させるようなメロディアスな曲を使って曲にできるだけ合わせたパフォーマンスをしてみました、そこから少しずつ洗練させようと色々試したりして今に至るという感じです。

今思うと、曲をただのBGMにすることと明るく賑やかな曲を使うことは、技術の少ないうちはほほえましく見てもらうことができるので、身の丈に合った最適解だと思います。
地域イベントの依頼や大道芸という場にも合っています。
技術の無いうちから感動させるような曲やかっこいい曲を使うことは、演技が曲に負けてしまって無理している感じになってしまったり、ひとりよがり感がでてしまいがちです。
(人によって向き不向きもあると思います。僕はコミカルな演技をすると無理してる感がどうしても出ます)
当時の僕の演技がどうだったかはわかりませんが、面と向かって否定的なことを言われたり茶化された記憶があまりなく、概ね好意的に受け取ってもらえた記憶が残っているので、この方向性でルーチンを作ることに対して捻くれずに現在に至れて良かったと思います。

また、以前までのnoteで繰り返し言っていた、
言葉で表現しきれなった感覚や感情のうち、保存して後で見返したいと思うようなものをポイのルーチンという手段で表現していきたい
という内容のうち、言葉で表現しきれない感覚や感情をなんらかの手段で保存したいという思いは、10代のころからありました。
今とは違ってはっきりと言語化できていなく、何か作りたい!くらいの気持ちでしたが。
最初は、それを音楽という手段でやりたいと思い、ギターを練習してみたりピアノを練習してみたりDTMをしてみたりなどしていましたが、どれも最初は楽しいのですが、あまり上達しなく、行き詰った状態が続いて楽しくなくなっていきました。
(DTMは何回か再開して、数曲作っては嫌になってやめ、を繰り返しています…)
このように、元々は音楽を手段にしたかったことから、音楽を大切にしたかったり尊敬の念が強いのだと思います。
その点、ジャグリングは今時点で13年も飽きずにやめずに楽しくやっています。向いているのでしょう。

ここまで、今に至るまでの経緯というか僕の昔話です。
ここから今の僕が思う、ルーチンと音楽の関係について意識していることです。

ジャグリングのルーチンでは、最終的に何を一番よく見て欲しいか・なにを表現したいか・なにを伝えたいかなどはともあれ、道具と体の動きを必ず見せることになります。
むしろ道具と体の動きを見せることがほとんどで、そこから演者の意思なり難易度の凄さなり綺麗さなりを感じることになります。
逆に言えばそれ以外の要素、音楽などは極論無くても良いですし、無しで素敵な演技もあると思います。

ではなぜ音楽を使うのかというと、
・ルーチン全体の印象を早い段階からコントロールして一貫した土台を作るため
・表現したい印象を増幅させるため
・音楽を動作で表現することで自分の意思の表現に繋がる
という理由だと思っています。

この理由について、説明します。

ルーチン全体の印象を早い段階からコントロールして一貫した土台を作るため 

無音でルーチンを作ると、ルーチン全体が与える印象は全体の見た目・動き・動きに伴って出る音や声から表わすことが中心になり、 たとえばだんだんと盛り上がってくるような内容の演技では、しばらく見続けないとどういう印象の演技と受け取ればいいのか見ている側はしばらく分からないままで混乱します。

無音でも、例えば一番はじめにコミカルな動作をして笑いをとるなどすれば混乱させることなく印象をコントロールすることはできると思いますし、しばらく見ている側を混乱させておくという考え方もあると思います。喋りで意識を誘導する方法もあります。

ここで音楽があると、土台に一貫した音楽から与えられる空気感を持つことができ、印象のコントロールがルーチンのはじめの方から最後までできます。

音楽で空気感の土台を作るために、作りたい印象に合った音楽を選ぶことが重要です。
僕は自分の作りたい空気感にできるだけ近い音楽を選ぶこともありますし、作りたい音楽が先にあって音楽の空気感に合わせて自分の動きを選ぶこともあります。
大抵、表現したいもの複数と作りたい音楽が複数あってどっちも合致してやりたいと思ったときに作っています。

ルーチンに作った自分の意思があることと同じように、音楽には作曲した人の意思があります。
例えば明るい曲調の音楽でも、明るく振舞っているけれども実は悲しいような感情が込められた曲かもしれません。それをぱっと聴いた印象で明るい曲だと解釈して明るいだけの動作のパフォーマンスをすると、どこかちぐはぐな印象になると僕は思います。
そのために、曲をよく聴いてよく感じて、解釈して背景を調べて、可能な限りその曲を理解した上で使いたいと僕は考えています。

表現したい印象を増幅させるため 

ルーチン全体のバランスを整えるために、見せたい箇所を際立たせるために余計な箇所を削る引き算の考え方と、強めたい箇所は強める足し算の考え方があり、足し算をするために訴えかける五感を増やすことはシンプルで効果的だと思います。ジャグリングは視覚がメインですが、作曲者によってしっかり作りこまれた音楽の聴覚情報をプラスすることで表現したい空気感・雰囲気を増幅できます。歌詞のある曲では、歌詞の内容を利用して思考に訴えかけることもできそうです。(歌詞ありでやったことが少ないので実感として分かりませんが…)

また別の話ですが、
音楽によって、ジャグリングのルーチンの印象を増幅させることができるならば、
逆にジャグリングの視覚効果によって音楽の印象を増幅させることもできると思います。
バックダンサーとかはそんな感じだと思います。POILABのやっているビジュアルポイなんかもそんな感じかなと思います。

自分のやり方で、音楽の印象を増幅する視覚効果になることはちょっとやってみたいです。

音楽を動作で表現することで自分の意思の表現に繋がる

ジャグリングのルーチンを作って自分の意思を表現するという観点からすると、あくまで表現するものは自分の意思で、音楽そのものを表現しようとするとやろうとしていることからずれるし、作曲者の意思を全て汲み取りきるのは難しいので、音楽をそのままジャグリングで表現することを僕はやろうとは思いません。
ですが、それを否定しようとは思いません。
音楽そのものを表現しようとする動機を考えてみますと、その曲にとても愛着があるからという動機が多いと思います。
なんでその曲に愛着があるかというと、内容に共感できるとか曲の感じが心地よいとか、その曲を聴いてなんらかの感覚や感情を抱いたからだと思います。
なんで共感できるとか心地よく感じるかは、そう感じた人それぞれの要因があります。それを自覚していないか、気恥ずかしいかなどで表現しようとしていないだけです。
音楽そのものを表現しようとする過程で、もしくは表現しようとして作り終えた後で、その要因に気づけば自分の表現したい意思を自覚することができます。

書いていて思い出しましたが、僕は音楽そのものをポイのルーチンで表現したいと思っていたことがあって、後からなんでそうしたいの?と理由を考えていったことで、今は表現したいものがわりと自覚できるという状態です。なので、体験談です。

体験談ついでですが、
音楽が土台にあってゼロから作っていないから、ルーチン形式のジャグリングの作品はまがい物では?と思ったこともありました。
でもゼロから作られているものってなんでしょうか?
音楽だって先人の作った理論や音を出す道具やそれを使う技術の蓄積がある上に、 作曲者はその人が聴いた今までの音楽やその他諸々を土台にして作っています。
じゃあその更に元は?と起源を探っていくと人が生活の中でコミュニケーションのために試行錯誤して発した音や声にたどり着くのだと思います。

たしかに文化の発展の度合いの関係で、他人にどう評価されるかは変わると思います。
ですが、手段に優劣も貴賎もないと思います。
大切なのはどう作るかとか本物なのかまがいものなのかでなく、どういう意思をどんな目的で表現したいかだと思います。

最後に

音楽にできるだけ寄り添ったルーチンに僕はこだわりが強く、書きたいことが多くてまとまっているか自信がありません…
前回、前々回とルーチンを作ることについて、いろんな視点から整理することでルーチンの作り方を考え直そうと試みていたのですが、
今回は、作りたい音楽が先にあってそれと向き合っている中で自分の表現したいものに気づくというやり方もあったなぁと書いてて思い出しました。

音楽選びについてはまだ課題もあって、ルーチンを作りやすい構成の音楽をどうしても選んでしまいます。
本当は、やりたいと思った音楽であればなんでも自由に使いたいのですが、動きの引き出しの問題なのか掛けられる時間の問題なのか、そうするのがなかなか難しいところです。

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