あなたにとっての良い写真とは?
みなさんこんにちは。 やまきんぐです。
皆さんは写真について考えたことありますでしょうか??
僕は専門学生として写真について2年間考えてきましたが、結局のところ正解というものがわかりませんでした。
もちろん、自身にとっての正解を見つけることができるまで写真を撮り続けて考え続けますし、仮に見つかったとしてもその正解を軸に写真を撮り続けていきます。
さて、本題に戻りますが、今回は良い写真とは何か?というテーマに沿って話していこうと思います。
きっと長くなりますので、気長に暇つぶし程度にお読みください。
また、コメントで意見も聞かせていただけたらすごく嬉しいです。よろしくお願いいたします。
良い写真とは?
さて、皆さんみなさんにとって良い写真ってなんですか??
僕にとっては、命題が大きすぎてうまく答えられませんが、強いていうのであれば『インスピレーションを受ける写真』が良いものだと思っています。
ですが、ここで何個か疑問が出てくるのです。
果たして、インスピレーションを受ける写真が全て良いものなのだろうか??
例えば、彩度を極端に挙げた写真。
疑問と織り交ぜてわかりやすく説明しましょう。
三脚とレリーズを使い、ブレを確実に無くした撮影方法ですごく丁寧に撮影された風景の写真があると思います。
その景色は美しい若緑が広がり、空は透き通った綺麗なスカイブルーだとします。
その写真の彩度をあげ、若緑を深緑にした写真はインスピレーションを受けたとしても良い写真と言えるのでしょうか??
仮に僕がその写真にインスピレーションを受けて、現場に赴いて、実際にその景色を見たら下手すれば絶望してしまう可能性があります。
美しい景色を美しく表現することは、もちろん良いことですが極度に彩度を上げてしまうとイラストライクになってしまって、写真本来の良さを逆に失っているのではないか?
他にも、極度に色を変えてしまっている写真。
最近よく見かけるのは、渋谷や新宿のストリートスナップです。
否定をしているわけではないですが、あの類の写真を良い写真と言えるのか?と言われた時、僕は間違えなく悩むと思います。
その時に、キャプションやなぜその写真を撮りなぜそのレタッチをしたのか。
それを聞いて初めて答えが出る気がします。まだわかりませんがw
ただその色が変わった写真を見て、綺麗って言われたら「本当に綺麗なの?」って答えてしまうと思います。
SNS映えする写真は良い写真なのか?
上記のような写真は、良い写真なのかはさておき、やはりSNSのタイムラインに流れていると目立つのは間違いないです。
文字だけ流れていたり、白や黒などのバックグラウンドに対してカラフルな写真はどう頑張っても目立ちます。
ただ、それは目立つ写真であり、いいねがあり、リツイートもありますが、良い写真と言えるのでしょうか??
もちろん、そういった写真にインスピレーションを受ける方々は大勢いらっしゃいます。
目立つ写真を撮影しその作品をSNSにあげればきっと多くのいいねやリツイート、うまくいけば多くのフォロワーにも恵まれます。
では、ここで新たな疑問が浮かんできます。
SNS映えしない写真は良い写真ではないのか?
これの答えは僕はNoだと思っています。
例えば、SNS上には作品をあまり上げずにプリントした作品たちをギャラリーに展示して作家活動を続けている方を僕は多く知っています。
というか、僕はそう言った方々に学生生活では多くお世話になってきました。
その方々の作品を見て思ったことは、普通の写真ではないがSNSでよく見かける色や彩度の高い写真たちは一枚もなかったということです。
ここで言っておきたいのですが、彩度をあげることや色を変えることが悪いと言っているわけではありません。
あくまでSNSでウケやすい写真の一例なだけであって、写真表現は自由です。
ただ、無意識なまま色を変えた写真は良い写真なのか?というところが問題になってくると思います。
写真表現においての批評行為
写真や芸術の分野を勉強している方なら、一度は聞いたことある言葉かと思います。
批評行為というのは、自身の作品に対して良い点や悪い点を指摘して作品を評価することを指します。
そして批評行為で欠かせないと言っても過言ではないですが、似ている作品を他の写真家の作品と比べます。
例えば、僕であればネイチャーフォト・ランドスケープフォトを撮影しているので、王道で言うとアンセル・アダムスなどです。
似ているから悪いなどではなく、ここが似ているけどこの部分や思想がアンセル・アダムスと違い良いよね。と言った形で批評されます。
写真史の約100年以上で類似していない作品を作ると言ったことはほぼ不可能だと思っています。
批評行為を行うことは、写真作品を見極めることに必要だと思っていますので、写真の価値を決める為には必要な行為だと思っています。
ただそれは、作品の価値を決めるのであって写真の良し悪しを決めるものではありません。
SNSでは全くウケなさそうなスナップも、社会風刺を模している写真であればそれは作品に成り上がるのです。
作品における社会風刺もコンセプチュアルアートも、全ては作品の価値や作品に思想を載せて表現するためのものです。
その本質はインスタ映えでも、良い写真のためでもなく、あくまでアーティストとして自身の作品を作り上げることなのです。
まとめ
写真において『良い写真』と言う物も『完成した写真』と言うものもないと思っています。
このnoteを書く経緯については、あまり興味がないかと思ってあまり触れませんでしたが、SNSを覗いてふと思ったからです。
「いいねやリツイートが最近の写真の価値を決めてしまっているのではないか?」
「モニター越しだけの作品で、写真としての良し悪しを決めても良いのだろうか?」
写真にとって何が良いのか、どう言った写真が良いものなのか、僕も何が正しいのかわかりませんが、またわからなくなってしまってので記事にしてみました。
ただ、SNSでもギャラリーでも写真を見るという経験をしてきて思ったことは、いくつかあります。
フィルムが正義、JPEG撮って出しが正義、組写真が単写真が...etc
いろんな意見があると思います。
ただ、正解や写真に求める場所はそこではなくて、自分自身が写真でキャプションでタイトルで何を表現できるかだと思っています。
キャプションやタイトルがあることで、その作品は初めてアーティストの思惑通りの作品になり、アートになると思っています。
その作品をどんなレタッチをしても、どんな構図で撮影しても良いのです。
アートは自由、表現は自由だと思っています。
その作品に好きや嫌いがあるのは当たり前のことです。その好き嫌いがなければアートは成り立たないからです。
ただここでSNSが主流となっている現代のアーティストへしっかり把握しておいて欲しいことがあります。
それは、「SNSにおいて、いいねの為の表現をしないようにして欲しい。」と言うことです。
これはある種の呪縛だと思っていて、いいねと言う承認欲求を満たせるツールが現代に流行ってしまったせいで、いいねのための作品作りが主軸になっている方を見かけます。
言ってしまえば、その呪縛に囚われてしまっていては自身の作品というものを作れないと思っています。
そのアートをSNSのためではなく自身のために、自身が表現したいもののでアートを作ってください。
絵画が廃れていない現代で、芸術作品としての写真も廃れることはないと思っています。
僕も含め、いいねのためではなく自身が表現したい写真を改めて時間をかけて、突き詰めていこうと思います。
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