オンライン演劇覚書3

今日たまたまそういう場面を目撃したのだが、『未開の議場』のようにオンライン会議の画面をそのまま見せるのではなく、オンライン会議の参加者の様子をその室内に設置されたまた別のカメラから捉えた映像を使うと多少なりとも「演劇らしさ」が増して感じられるのではないだろうか。

おそらくそれは「オンライン会議に参加する」という行為を引いて捉える=その行為の全体を「やって見せる」形になるからだろう。現実と嘘の二層構造というのはつまり「メタ」であり、「引いて見る」ことが成立すると「演劇らしい」と私には感じられる。

これは俳優の演技の見せ方の問題でありつつ、観客のポジショニングの問題でもある。オンライン会議の画面をそのまま映し出す形の「オンライン演劇」では観客もまたオンライン会議の参加者のように画面を見ることになるが、しかし会議に参加しているわけではない。一見したところ自然な画面は観客を不自然な立場に置く。舞台で考えれば舞台上の会議の席に観客もついた状態で、しかしその存在は無視して会話が進んでいるようなものだ。一方、「オンライン会議の参加者の様子を(その室内に設置された)また別のカメラから捉えた映像」を見る観客のポジションはそもそも不自然なわけだが、この不自然さは演劇の客席においてはデフォルトであり「自然」である。

「オンライン会議の参加者の様子をその室内に設置されたまた別のカメラから捉えた映像」を使えば会議から離れた参加者の様子を作品に取り込めるという利点もあり、オンライン会議を映像作品にするのであればこの手法は使い勝手がよいのではないだろうか(その結果できあがるものは結局のところ単に映像作品と呼んで差し支えないものになる気もするがそれはさておき)。

まだ触れていない「演劇」の条件として考慮に入れるべきものの一つに「集まること」がある。一つの場所に複数の人間が集まって何かをすることにこそ演劇の力は宿るのだ、という考え方。もちろんこれは「生」であることに大いに関わるわけだが、オンラインでも「集まること」は(十分かどうかはさておき)可能であり、だからこそ「会議」という集まりが(技術的制約もあいまって)題材に選ばれがちなのだろう。

しかし演劇において「集まること」が重視されるとき、その主語は多くの場合、観客なのであって、オンラインで観客が「集まる」というのはなかなか難しい。コメント欄での観客同士のやりとりは可能だが、それでよいのならばニコ生でもテレビを見ながらTwitterをするのでもよいということになる(もちろんそれはそれでよい)。

ところで、「集まること」について考えることは必然的に「集まらないこと/集まれないこと/集まっていないこと」について考えることをも含む。そもそも劇場であっても俳優と観客とのあいだには「壁」があり、それは同じ場に集まりながら何かを共有していないということだ。「オンライン演劇」で共有できるのはとりあえずのところ画面しかなく、ならば共有できないこと、集まれないことの方に可能性を探るのも一つの手だろう。

2017年にSingapore International Festival of Artで観たDries Verhoeven『Guilty Landscapes III』は一人ずつ部屋に入り鑑賞する形式の映像インスタレーションだった(つまり「演劇ではない」のだが)。壁面に映し出された廃墟に一人の男が現れ、映像のなかで鏡像のように展示室の鑑賞者と同じ行動をとる。

もし私たちがニュースで見る人たちが見返してきたら?視線が反転したら?
What if the people we watch on the news can look back at us? What if the gaze is reversed?

紛争地域だと思われる映像のなかで私の行動を真似る誰かは決して私ではなく、シンガポールの冷房の効いた展示室は決して紛争地域ではない。

そのような相対的社会的立場をひっくり返すことは可能か
whether it is possible to reverse such relative social positions

そこにある「距離」を改めて認識するのに「演劇」的なものは有効な手段だ。

「集まり」の方向に可能性を探るならば共有するものを何らかの方法で増やす手もある。その方向では「「パジャマを着て布団の上で」とお客様に演出をつけさせていただきます」という演劇ユニットもちもち『ねれないだけだよ』の演出はシンプルだがなかなかクレバーである。共有するものを増やせば共感も増しやすく、物語を扱うのであればこの方向がよいのかもしれない。

多くの場合、オンラインで作品を観ることよりもオンラインで戯曲を読み合わせる方が私には好ましく感じられたのも、戯曲が「共有されるもの」としてそこにあるからかもしれない。

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