見出し画像

本当に求めていたのはその、なんでもない一言だったのかもしれない。

本当に、よくある話なんだと思う。
長い間、想いを寄せていた人がいた。長い間、といっても2年ぐらい。

でもその想いを自覚したのは会ってから1年以上経ってからで、
その頃には私達の関係は固定化してしまっていた……なんて、言い訳ではあるんだけれど。


ある日、2人で飲んでいる時に言われた「最近気になってる人がいる」なんて話に焦って、
次の日にLINEで「次は女性として誘いたい」なんて言って断られて。
変な開放感と自分勝手な己への自己嫌悪と後悔で胸が一杯になって、とにかくそのもやもやを発散させたかった。


かといって友達に愚痴るのは私のちっぽけなプライドが許さなかったし、
趣味に没頭することも、その時の僕にはできそうになかった。
自分が何がしたいかもわからないまま、でも何もしないのにも耐えられなくて。そのまま家を出て、薄暗くなっていく道をただ歩くばかりの僕の頭に浮かんだのは、ちょっと前に友人に教えられた、とあるバーだった。
けっこう雰囲気のいいオーセンティック・バーで、カクテルの味はもちろん、マスターの程よい距離感がとても気に入って、教えられて以降たびたび通っているバーだ。
普段は静かに飲んでいるのだし、ちょっとくらいの愚痴なら許してくれるだろう――そんな思いを胸に、私はそのバーへと向かった。


バーには先客が2人、カウンターの両側に座っていた。カウンターの中にはいつものとおり、男性マスターと女性バーテンダーの2人。
カウンターの真ん中に通された私は、少し強めのカクテルを頼んだ。

私の愚痴でお店の雰囲気を壊すわけにもいかないし、いつもどおりお酒を楽しんで、落ち着いた頃に自然な流れで切り出そう。
そうしたら、「まだお若いんだからもっといい人がいますよ」とかそういう風に切り返されて、そうですよね、なんて笑い飛ばしてそれで終わり。
――なんて考えながら飲んでいるうちに、いつの間にか手元のお酒はもう3杯目に差し掛かろうとしていた。

それから程なくして、先客の2人が相次いで会計を済ませ、見送ったマスターが話しかけてきた。
バタバタしてすみません。どうですか、最近?

他の客もおらず、お店にはカウンターの中の2人と私だけ。愚痴をこぼす絶好のチャンスだった。
いやー、実は今日、振られちゃいまして。

努めて明るく、相手を困らせないように。大変でしたね、って慰めとか、辛いですよね、って共感とか、まだまだこれからですよ、って励ましとか、そんな言葉をもらえれば十分だった。

でも、マスターは一拍おいて言った言葉は、そのどれとも違った。

「〇〇さん、わかってましたよ」

私の目をじっと見つめて放たれたその言葉は、想像もしていなかった言葉で。気づけば私の目からは、かつてないくらいの涙が溢れていた。
その後のことは明確には覚えていない。女性バーテンダーがさっとバックヤードに行って、なんだか気を遣わせてしまったな、なんて思った覚えはある。
あとは、相手のことを如何に好きだったかとか、もっと早く自分の気持ちに気づくべきだったと後悔している、だったりとか、そういうことを泣きながら話して、聞いてもらうばかりだった。

帰り道の記憶もなく布団の上で目覚めた私は、いつの間にかしっかり目覚ましをかけていた自分に感謝しながら、シャワーを浴びて会社へ出かけた。
まだ胸は痛いけれど、なんだか今の自分なら何でもできそうな気がして。とりあえず退社後に、契約したっきり行っていなかったジムへ久しぶりに行って汗を流そうと、そう思った。


失恋すると、相手に認められなかった、という思いがどんどん膨れ上がって、自己否定に苛まれる。世界から否定されたような気分になり、孤独感は増すばかり。
「ひとりでも自分は大丈夫」そう強がってみせる自分の殻は、「私はあなたを見ていますよ」というシグナルにあっさり打ち砕かれた。
「わかってました」なんて、すごく平易で誰にも言えることばかもしれない。それに、プロのバーテンダーであるあのマスターが、飲むペースからして普段と違う私の様子に気づくのなんて簡単だっただろう。

でも、その時の私には間違いなく、この言葉は救いだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?