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「囲いに入っていないほかの羊」ヨハネ9章 10章 ~ちょびっと聖書  a little Bible

10/30(日)ヨハネ9章 10章

<祈り>
 イエスキリストがこの世に来られた目的が今日の聖書箇所には語られていました。彼はメシアとして、この世に来られました。彼は神の国の囲いの中に導く門であり、羊を導くよい羊飼いです。そして、彼の目的は昼の内に、囲いの中に入っていない羊を導くために、この世に来られました。彼の目的は、すなわち主が内在される私たちの目的でもあります。
ハレルヤ、主の目的のために生きることができるように、人生をチェンジする勇気を与えてください。ハレルヤ、神様はすべてを与えてくださる方であることを感謝します。
 今日、ちょびっと聖書をご覧に方に、神様の囲いと昼間の時代を見分けるきっかけをお与えください。イエス様のお名前でお祈りします。


<気づき>
9:3イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 4わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。 5わたしは、世にいる間、世の光である。
 ここは前半の原因論対目的論に注目しがちですが、文脈を読むと、夜の前に自分をお遣わしになった方の業をすることが語られています。10章の囲いの中に入っていない羊を導くことにつながるなあと思いました。

9:22両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。
 イエスキリストが盲人の目を開けたことは確かなのに、彼が何者であるかみんなが心に思っていても言い出せないことがこの場面の不思議なことです。部屋の中に大きな像がいるのに、まるでそれがいないようにいうことは、滑稽としかいいようがありません。宇宙は秩序ある動きをしているのに、偶然そのようになったということや、

9:28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」
 モーセの弟子が、メシアに出会っているのにそれを認められないのは、罪のせいなのかもしれません。そうすると祭司も普通の人もかわりありません。イエスを認めたのは、自分の罪を認めた遊女や徴税人であることが不思議なことです。


10: 9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。

10:14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

10:16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
 イエス様は、羊の門であると語られ、良い羊飼いであると語られています。神の国に入るための門であり、羊を導くよい羊飼いであると。そして、羊飼いの役割は、囲いの中に入っていない羊を導くこと。これが、イエス様がこの世に来られた使命であり、イエス様が住んでおられる私たちの使命と言えます。



~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/

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