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今このとき怠けていてはならない:聖書をめぐる旅 1/26

1/26(水)
 ヒゼキヤの言葉から、イザヤ書の御言葉を思いめぐらしましたが、調べてみるとヒゼキヤのサポートをしていたのが預言者イザヤであることがわかり、ちょっと驚きました。詩編136篇からは、神様がなしてくださった恵みを数えるように導かれました。

歴代誌下29章

3その治世の第一年の第一の月に、ヒゼキヤは主の神殿の扉を開いて修理し、 4祭司とレビ人を連れて来て、東の広場に集め、 5言った。「レビ人よ、聞け。今、自分を聖別し、先祖の神、主の神殿を聖別せよ。聖所から汚れを取り去れ。 6わたしたちの先祖は不忠実で、わたしたちの神、主の目に悪とされることを行った。彼らは主を捨て、主の幕屋から顔を背け、これに背を向けた。 7また彼らは前廊の扉を閉じ、ともし火を消し、聖所でイスラエルの神に香をたくことも、焼き尽くす献げ物をささげることもしなかった。 8主はあなたたちがその目で見たように、ユダとエルサレムに対して怒り、彼らを人々の恐れと驚きと嘲りの的とされた。 9見よ、わたしたちの先祖はそのために剣に倒れ、息子も、娘も、妻も、捕虜にされた。 10今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである。そうすれば、主の怒りの炎がわたしたちから離れるであろう。 11わが子らよ、今このとき怠けていてはならない。主があなたたちをお選びになったのは、あなたたちが御前に出て主に仕え、主に仕える者として香をたくためである。」


ヒゼキヤの切実な祈りをここに見ることができます。
自分の祖先の悪い行いを認め、まず主の神殿を清めることからヒゼキヤはスタートしました。このとき、常夜灯は消え、神殿の入り口も絞められたままになっていたことがわかります。神殿が本来の主に礼拝をささげるところとして用いられ、民が神との関係を取り戻す。これがヒゼキヤが最初にしたことです。次の言葉は、私につよく響きます。
「 11わが子らよ、今このとき怠けていてはならない。主があなたたちをお選びになったのは、あなたたちが御前に出て主に仕え、主に仕える者として香をたくためである。」
 イザヤ書60章の「起きよ、光を放て。」という御言葉を思い出します。

27ヒゼキヤは祭壇に焼き尽くす献げ物をささげるように命じた。焼き尽くす献げ物をささげ始めると、イスラエルの王ダビデの楽器の伴奏で、主の賛歌とラッパの演奏が始まった。 28会衆は皆ひれ伏し、賛歌がうたわれ、ラッパが響き渡り、これらの事はすべて、焼き尽くす献げ物をささげ終わるまで続いた。


この箇所は、モーセの礼拝とダビデの礼拝(賛美による)の融合のように思いました。ダビデの時代に求めていた礼拝スタイルにヒゼキヤは立ち返っているように思います。今日は、イエスキリストの十字架の犠牲とクリスチャンの心からの賛美が合わさったところに、神様への礼拝があるように思いました。

詩編136編

23低くされたわたしたちを
御心に留めた方に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。
24敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。
25すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。
26天にいます神に感謝せよ。
慈しみはとこしえに。

→私は、かつて人生を踏み外し人の間にはおらず、奈落の底に落ち込み、そして自己憐憫の罠に身動きがとれない者でした。
すべてを他人のせいにして、自分は何にも悪くない、悪いのは私の好きになった相手であり、私を認めない社会であり、私など20代で人生が終わってしまえば、どんなによかったか・・・と思っていた者です。
自分で自分を責めて、もう自分ではどうにもならない状況に陥りました。
日雇いの仕事で生活を食いつなぎ、休みの日曜日は何もできず毛布を被ってずっと横になって時間が過ぎるのを待ち続けました。
頭には、知らぬ間に円形脱毛が現れ、職場で指摘され初めて気づきました。
今考えると、悪魔の思い通りです。
自分で自分を責め、自分を価値のない者にしていました。
それは、無色透明の毒ガスのように、姿が見えないのに命を奪う仕業です。
そんな最悪の時を過ごしたので、私に続けることのできる仕事が与えられ、住むところが与えられ、妻が与えられ、家族も与えられたのは神様の恵みとしか言いようがありません。神様は、私の人生に介入して大きな変化を起こしてくださる方です。そして、この奇跡は私だけでなく、イエスキリストを信じたいという方に起こるものです。
神様が私の人生にしてくださったことを数え上げると、感謝しかありません。ハレルヤ!慈しみはとこしえに!

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