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今日、樺太・真岡で、、、8月20日①

樺太・真岡 8/20

〇真岡港 朝
1日遅れで出港する予定の疎開船を待つ避難民、港湾労働者が港に集まっている。

〇午前5時40分 
深い霧の中、ソ連艦隊が姿を現す。
ソ連上陸部隊の第一波は北真岡駅に近い漁港(北浜町)に2隻、真岡港(本町)に3隻、その南の王子製紙の港に2隻向かった。

〇同午前5時40分 
真岡郵便局長の上田局長のもとに、緊急連絡が入る
「(真岡から)北8キロの幌泊監視哨からソ連艦隊4,5隻が、幌泊沖で変針して真岡方面に向かったという連絡を受け、直ちに関係方面に連絡した」

〇真岡一校
艀(はしけ)で真岡まで避難してきた約1,200名の婦女子を収容中。
ソ連軍侵攻の緊急連絡が入る

〇真岡港
入ってきたソ連艦艇3隻は高速で銃を乱射しながら、疎開船の列に並ぶ人めがけて銃撃。
並んでいた人々は次々と倒れ、混乱状態に陥る。

〇北浜町(真岡市街地北側)
どの家も役場の指示に従い、降伏の意を示す白旗を揚げている。

〇北真岡駅
避難列車が満員の状態で停車。
列車は本来5時5分発の豊原行であったが、船で真岡に到着した北部地域からの避難民が乗車しようとして、出発が遅れていた。
列車が動き出すと、大音響が響く。
艦砲射撃が始まる。
列車は徐行した後、停車。
ソ連軍のマンドリン銃の無差別攻撃。
ソ連軍は銃弾を避難列車に、市街地に、港に、
そして逃げ惑う住民に打ち込む。
防空壕には手榴弾を投げ込み、女性を見かけるとその場で強姦。

〇栄町2.3丁目の十字街
郵便局に向かう上田局長、弾丸が飛び交いそこを渡れない。
上田局長、十字街で動けないままソ連軍の捕虜になり、郵便局の裏の庁立病院に収容。

〇郵便局
1階にいた人々は長い棒に白いシーツを結びつけて窓の外に出す。
部屋の奥の押し入れに逃げ込む人。
防空壕に入ろうと外に飛び出した人は、撃たれる。

〇郵便局2階
12名の電話交換手が電話交換業務を遂行。

電話交換手

〇郵便局 窓の外
ソ連軍が迫る。
ソ連軍の目標は郵便局近くの警察署。

〇郵便局2階
一人の電話交換手が青酸カリを服毒。
次々と電話交換手がそれに倣う。うめき声。

〇泊居郵便局
真岡郵便局からの着信。
「銃を持ったソ連兵が、局の周りを行ったり来たりしています
やがて交換室にもソ連兵がやってきそうです」
「もうみなさん、死んでいます。わたしも乙女のまま清く死にます。泊居のみなさん、さようなら」

〇真岡郵便局(回想)
殉職したのは技師も含め19名。上田局長は、局に向かう途中に捕虜になり、後に生還。電話交換室では奇跡的に3名が命を取り留めた。

〇本泊(真岡市街地南側)
防空壕に非難した父と子。
口笛が聞こえソ連兵が近くにいることがわる。
防空壕の扉をノックする音。
ソ連兵の出てこいというジェスチャー。
親子が出ていくと、黒服を着た水兵が時計と万年筆を取り上げる。
男は倉庫、女子供は公園に集められる。

〇荒貝(北真岡駅に近い) 昼頃
防空壕に隠れていた池端氏少年。
家の前を歩くソ連兵の長靴の音や話し声が聞こえる。。
壕に突如ソ連兵の顔が現れる。
万年筆と腕時計を強奪され、拘束される。
両手を上げて、坂を下っていく
荒貝橋の袂で射殺されたばかりの生々しい血が流れている数体の日本軍・軍使の死体。
その後、真岡港に連行され、艀に載せられる。
途中、ソ連兵に意見を言っていた僧侶や警防団長は射殺された。

〇ソ連兵
捕らえた16歳以上の男子を道路上に2列に座らる。
その中から国民服、警防団服および戦闘服、カーキ色の服などを着ていた者を否応もなく一方的に抜き出す。
「あなた兵隊」
抜き出した者を真岡港岸壁に立たせ、機銃掃射を浴びせる。
射殺。

(参考文献:証言・樺太最後の17日間 藤村建雄著)

(資料出典:https://minkara.carview.co.jp/userid/1907569/blog/37210326/)


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