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人のためではなく:聖書をめぐる旅 1/16

1/16(日)
 歴代誌下19章では、ヨシャファト王が町々に裁判官を置き、その裁判官に向かって語った訓示が圧巻です。私たち、仕事で働く者にも適用できそうです。また、詩編126編は、捕らわれた人が生まれ故郷に帰るシーンを歌っています。

歴代誌下19章

6彼は裁判官に言った。「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように。 7今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」
9ヨシャファトは彼らにこう命じた。「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ。
11主に関する事柄についてはすべて、祭司長アマルヤがあなたたちの上に立って責任を負い、王に関する事柄についてはすべて、ユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤが責任を負う。レビ人が書記としてあなたたちの補佐をする。勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるように。」


 イスラエルとの連合軍で敗北を喫したユダの王ヨシャファトはエルサレムに戻ってきました。彼に、神様の言葉が届きます
「悪人を助け、主を憎む者の友になるとは何事ですか。」
彼は、主から小言も言われますが、心を曲げることなく、
その後も、お手本になる取組みをしています。

 彼はベエル・シェバからエフライムの産地まで、巡回して父祖の神を礼拝するように指導しました。
 また、国中の大きな町に裁判官を置きました。
さらに、エルサレムにも裁判所を設けて、裁判官を任命しました。
彼の裁判官に向けた訓示には、しびれます。

「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように。」

私たちが仕事をするときに、置き換えると
「人のためではなく、主のために働くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。仕事をするとき、主があなたたちと共にいてくださるように。」
となりそうです。
神様は教会堂の中だけの神様ではなく、私たちが働くところ何処にいてもでも、敬われるべきお方です。


詩編126編

主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて
わたしたちは夢を見ている人のようになった。
2そのときには、わたしたちの口に笑いが
舌に喜びの歌が満ちるであろう。
そのときには、国々も言うであろう
「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。
5涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
6種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。


この詩編は、捕虜が帰還することができる知らせを聞いて、口元がほどけ
舌に喜びの歌が満ちる様子が描かれています。
わたしには、この地で寄留者として生きていたクリスチャンが
天に戻るときの喜びのようにも受け取れます。
主が来られるまで、開拓をし続けようと思います。

涙と共に種を蒔く人のフレーズは、
賛美にもなっています。
私たちが福音の種を蒔きながら流した涙は、報われることが書かれています。
本日の歴代誌にもつながりますが、私たちが神様のために働いたことは、必ず報いがあります。GOD Businessです。

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