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わたしは弓として張る:聖書をめぐる旅 8/9

8/9(火)
 8月に入り、日の出の時間が若干遅くなってきたように思います。
昨日からの雨のせいでしょうか。今朝は明るくなるのが遅く感じます。
今日の聖書箇所に出てくるのは「弓」です。個人的に、興味のあるキーワードです。


ゼカリヤ書9章
 
8そのとき、わたしはわが家のために見張りを置いて出入りを取り締まる。もはや、圧迫する者が彼らに向かって進んで来ることはない。今や、わたしがこの目で見守っているからだ。
9娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
13わたしが引き絞るのはユダ
エフライムもわたしは弓として張る。
シオンよ、わたしはあなたの子らを奮い立たせ
あなたを勇士の剣のようにして
ヤワンよ、お前の子らに向かって攻めさせる。
16彼らの神なる主は、その日、彼らを救い
その民を羊のように養われる。
彼らは王冠の宝石のように
主の土地の上で高貴な光を放つ。


ゼカリヤ書10章

3羊飼いたちに対して、わたしの怒りは燃える。
わたしは雄山羊を罰する。
万軍の主は御自分の羊の群れ、ユダの家を顧み
彼らを輝かしい軍馬のようにされる。
4彼らから隅の石が、彼らから杭が
彼らから戦いの弓が
彼らからすべての指揮者が出る。
皆、 5勇士のようになり
戦って野の土くれを踏みつける。
主が共におられるので、彼らは戦いを挑み
馬に乗る者らを慌てさせる。
11彼らは苦しみの海を通って進み
波立つ海を打つ。
ナイルの深みはすべて干上がり
アッシリアの高ぶりは引き降ろされ
エジプトの王笏は失われる。

 神様は人間の世界に介入される方であることがわかります。
9章、神様は見張りとして民を守られます。そして、王として来られます。
象徴的なのは雌ろばの子ろばにのって、来られるというところです。
世界一の高級車にのってこられるのではなく、謙遜な軽自動車に乗ってこられるイメージでしょうか。
また、神様が介入されると、ユダもエフライムも弓として戦いの武器、
勇士として用いられます。
終末には、神様は地上に来られ、神様ご自身が羊飼いとして人の群れを治められます。

 10章、ここでも神様がユダの家に介入されることが語られています。
山羊と羊を分け、羊を軍馬のようにされるとあります。
また、この群れから隅の石、戦いの弓、指揮者が出て、皆勇士となります。

 両方の章に出てくるのは「弓」です。弓は固いところと弾力のあるところ、そして弦からできています。そもそも狩猟の道具から、武器、そして弦をはじく楽器にもなりました。ここでは、戦いの武器として表現されていますが、使う人によってそれは武器にも楽器にもなるのだなあと思わされました。神様ご自身が人間を用いられる時、堅い者、柔らかい者、細長い者が組み合わせられて、神様の目的のために用いられることをイメージしました。


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