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〇〇の悲劇:聖書をめぐる旅 8/5

8/5(木)
士師記11章 

1ギレアドの人エフタは、勇者であった。彼は遊女の子で、父親はギレアドである。
(中略)
30エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、 31わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」
(中略)
34エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。


→遊女の子として、本妻の子どもから虐げられたエフタが、長老たちに呼び戻され、リーダーとして国を攻めるアンモン人と戦いました。闘いの前に、彼が立てた誓いとは、勝利して帰ってきたとき、自分の家の戸口から最初に迎えに出てくる者を焼き尽くすささげものとするという内容でした。そして、勝利の後に、家から出てきて出迎えたのは、彼の一人娘でした。ここに、勝利とともに何とも言えない悲劇があります。この誓いそのものがよかったのかはわかりませんが、エフタは誓いのとおり、大切な一人娘をささげます。最も大切なものを、主にささげるという歩みは、神の独り子イエスキリストを十字架につけられた神様の姿につながると思いました。
そして、もう一つ気になる箇所が次のところです。


エフタは、ミツパで主の御前に出て自分が言った言葉をことごとく繰り返した。

→リーダーに選ばれたエフタは、とった言葉を繰り返すということです。
食べ物を咀嚼するように、言葉を繰り返すことで、言葉自身を自分のものにしたようにも思います。

ヤコブ5章

12わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。


今日の聖書箇所は不思議な連鎖を起こしております。旧約の聖書箇所であるエフタの誓いにシンクロするように、ヤコブ書には、「誓いを立ててはなりません」と書いてあります。むしろ、私たちに示されているのはつぎのことです。


13あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。 14あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。


私たちの日常のことはすべて主の御手の中にあり、祈ること、賛美する恵みの中に今あります。

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