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「自分の十字架を背負って」ルカによる福音書13章14章~ちょびっと聖書  a little Bible


6/27(火)
 いちじくの木のたとえは、今日の教会について語られている側面もあります。
人間の伝統を重んじているが神様の御心を行っているか、神様はご覧になっておられます。また、自分の十字架を背負ってついていくとは、キリストの道とは、狭き門であるとも言えます。同時に、それだけ重要な働きなので覚悟しなさいという意味もありそうです。

<気づき>
ルカによる福音書13章
・6そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 7そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』

ルカによる福音書14章
・ 26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 27自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。


<祈り>
天のお父様、今日も聖書からの学びをありがとうございます。ぶどう園に植えられたいちじくも、実を実らせるために植えられました。私もキリストの木につながるものですから、主の実を実らせることができるように不必要なものを取り除いてください。また、主と共に歩むことは、自分の十字架を背負ってついていく必要があるとありました。私たちは十字架の尊い犠牲によって、罪から解放され主にある者とされました。喜んで、主についていきます。主の栄光が現れることを感謝します。今日も聖霊様を歓迎します。

~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/

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