苦悩の中で:聖書をめぐる旅 1/12

1/12(水)
歴代誌下15章からは、神様がいるのに人間に苦悩があるのは何故か、考えました。詩編122編は、「神様の家に行こう!」から思わされたことを書きました。

歴代誌下15章 

4しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らに御自分を示してくださった。 5そのころこの地のすべての住民は甚だしい騒乱に巻き込まれ、安心して行き来することができなかった。 6神があらゆる苦悩をもって混乱させられたので、国と国、町と町が互いに破壊し合ったのだ。 7しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。


 改革をすすめるアサ王に、預言者アザルヤが語った言葉です。
これは、現代を生きる私たちにも励ましになる言葉です。
「あなたたちは勇気をだしなさい。あなたたちの行いには、必ず報いがある」
 また、その当時の状況は、
「そのころこの地のすべての住民は甚だしい騒乱に巻き込まれ、安心して行き来することができなかった」
とあります。コロナ禍で、次々に襲ってくる変異種に振り回され、地方と地方、国と国の行き来がむずかしい今日の状態にも似ているように思います。
そして、疫病というのは、神様に立ち返るサインのようにも思わされます。神様は全地全能であられますが、人間が滅びの道を進んでいる時に、あえて介入しないこともあります。それは、苦悩の中で、真の神様に目が開かれることがあるからです。
 私個人を振り返っても、自分の力でできると思っていたころは、イエスキリストの十字架に目も向きませんでした。この世のものが何もあてにならなくなり、人生の崖っぷちに立たされた時、はじめてイエス様の招きに従うことができました。それが、イエス様につながるのであれば、苦悩もまた恵みになります。ただ、死につながるのであれば、それは命の道ではありません。
 苦悩の中で、アサ王は、イスラエルの神様と「主を求めない者はだれでも死刑に処せられる」という契約を結びました。これは、主に向き合い、退路を断つ決断だと思います。心を尽くし、魂を尽くして主を愛します!


詩編122編

主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。
3エルサレム、都として建てられた町。
そこに、すべては結び合い
4そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。
主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
8わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。
「あなたのうちに平和があるように。」


「主の家に行こう!」というフレーズが新鮮です。
友達の家に行くような雰囲気で神様の家に行くことができるでしょうか?
どうでもいい時に、「オーマイガー」などと神様を呼ぶのに、
人生に神様が介入されることを嫌う人が多いようです。
自分の欲望を叶えてくれるのが神様の仕事と誤解しているケースが多いかもしれません。
しかし、人間の命を創造された神様に、私たちが何のために作られたかを聞くことが、一番大切なことかなと思います。
「あなたのうちに平安があるように」
とは、創造主がその人に向けた目的がはっきりわかるときかな、と思いました。


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