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荒れ野をさまよう:聖書をめぐる旅 9/11

9/11(土)
ダビデがさまよう様は、なんとも歯がゆい感じがします。自分の味方を助けても、王には追い回される。荒れ野での日々を彼は、どんな気持ちで過ごしたのでしょうか?
黙示録は、天のエルサレムが下ってきます。その時に、都に入るある条件とは?

サムエル記上23章

ダビデ は もう一度、 主 に 伺っ た。 すると 主 は 答え られ た。「 さあ、 ケイラ に 下っ て 行け。 わたし が ペリシテ 人 を あなた の 手 に 渡す から。」
 ダビデ と その 部下 およそ 六 百人 は 立っ て、 ケイラ から 出 て 行き、 そこ ここ と、 さまよっ た。

→ケイラとは「イスラエル人のカナン定着のとき,ユダの部族が住みついた町の一つ」ですから、ダビデの仲間の町です。サウル王から逃げているダビデが、ケイラを救うと、サウル王に居場所がばれて、再び荒れ野をさまよう生活がはじまります。これは、源頼朝に命を狙われる義経のストーリーに似ていると思いました。ただ、違うのはダビデは真の神様に、その都度祈って動いていることです。この世の状態を見、神に聞いて進んでいると、荒れ野で追われていても、神様が必ず守ってくださっています。ハレルヤ!


ヨハネの黙示録21章

私 は また、 聖なる 都、 新しい エルサレム が、 夫 の ため に 飾ら れ た 花嫁 の よう に 整え られ て、 神 のみ もと から、 天 から 降っ て 来る のを 見 た。
「見よ、 神 の 幕屋 が 人々 とともに ある。 神 は 人々 とともに 住み、 人々 は 神 の 民 と なる。 神 ご 自身 が 彼ら の 神 として、 ともに おら れる。
私 は、 この 都 の 中 に 神殿 を 見 なかっ た。 全能 の 神 で ある 主 と 子羊 が、 都 の 神殿 だ からで ある。

→地上のエルサレムに、天のエルサレム、新しい都が下りてくるシーンです。
キリストの花嫁がキリスト者であるように、天と地のエルサレムが一つになることが真理なのかもしれないと思いました。この天のエルサレムは、不思議な場所で、太陽の光も必要なく、神と子羊の栄光が光の源です。私たちも、そこに迎えられる一人であることを感謝します。そのカギは、子羊のいのちの書に名が書いてある者だちだけということです。「いのちの書」と「子羊のいのちの書」、違いはあるのでしょうか?

しかし、 すべて の 汚れ た もの、 また 忌まわしい こと や 偽り を 行う 者 は、 決して 都 に 入れ ない。 入る こと が できる のは、 子羊 の いのち の 書 に 記さ れ て いる 者 たち だけで ある。

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