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「ベタニアでの出来事」ヨハネによる福音書1章 2章~ちょびっと聖書  a little Bible

10/22(土)ヨハネ1章 2章
<祈り>
 ベタニアで洗礼者ヨハネがバプテスマを授けていたことから、イエス様が洗礼を受け、地上の活動を終えて、天にあげられたのもこのベタニアです。
今日は、イエス様自身は人間の心の中を見て、信用しなかったとありました。残念ながら、人間の心は神様の基準には到底およばないものであることを知りました。
聖霊様が住んでくださる器として私たちの体は作られました。この体をもって、神様の栄光を現すことができますように。今日も共に歩いてください。
 今日、ちょびっと聖書を読んでくださった方に、神様の祝福がありますように。イエス様のお名前でお祈りします。

<気づき>
・19さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、
 ヨハネは自分を荒野で叫ぶ声と聖書の言葉で語っています。私たちも聖書の言葉で自分を現すとすると何でしょう?
「地の塩」「世の光」「キリストの手紙」
そんなことがイメージされます。

・28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。
 ベタニアは、イエスキリストが昇天した場所でもあります。そしてこのベタニアでヨハネが洗礼を授けていたのは不思議な一致です。

・24しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、 25人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。
 民衆はイエスキリストの奇跡を見て信じたが、イエスキリストは民衆を信じなかった。これは、厳しいことばのようでもあるが、私たちの内側に正しいものがない、ひとつもないことが表されている。そして、神様の基準と私たちの基準があまりにもかけ離れていることを思いました。


~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/

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