散歩は思い出の匂いがする方へ


大阪住みたい

タイトルは、敬愛する我が君のTwitterより引用。

昔から予定を入れまくるタイプの人間であった。
家にいるのが嫌いで、外のほうが楽しかった。
仕事が楽しい。
家にいるのはとんでもなくつらい。
はつらつとした自分はどこ?
楽しい周りの人はどこ?
外の世界にいる、頑張り屋の自分はどこ?
ひとりで、家にいるのが好きな人ってなんでだろうって思っていた。
そんな思考が拗れて、定期的に親のことを嫌いになったりしていた。

特に答えを探そうとしないまま大人になった。
学生時代と違って毎日遊んでくれる友達はいなくなり、一人で過ごさなければならない事が増えて、結婚していても、お金を稼いでいても、
生きづらさは軽減されることなく、どんどん加速していった。
ごまかしごまかし過ごして、
みんなきっと同じだ。と言い聞かせていた。

でもそれは、生活が苦手ってことらしい。

この言葉は、買った本の、とある章の中から、
突然見つかった。
見た途端、おまえ!おまえはこれだったんだよ!!!!と魂が言ってた。(大袈裟)

本は、嫌いな人気芸能人が書いたエッセイ。嫌いな人の中身には、きっと何かのヒントが隠れている。思い切って買ってみようと思って、探して、古本で買った。

著者は、劣等感の塊であると自分のことを語っていた。意外である。自信満々そうやないか、、
世の中のこと、俯瞰してそうやないか。

劣等感の塊である自分から逃げるために働き詰めの生活を送り、外の生活に全振りし、体調を崩すまでに至った。

日々の地味な生活を嫌い、そんな自分から目を背けつづけ、外の世界や漫画やアニメに没頭。
しかし片一方では、
嫌いだからと目を背けられた日常生活と同様な
幼いままないがしろにされ置き去りにされていた自分がいると。
それは、生活が苦手だから故に起きたズレなのだと。

それが見た目と中身のギャップを産んでいるのだとか。

生活から逃げている限り、劣等感の塊である自分は変わらないのだと。
変えるには、目を背け続けた日々の地味な生活。
死ぬまで続く生活を、楽しむことが一歩だと書かれていた。

星野源さん、ありがとう!!!
苦手な人のエッセイこそ読んでみようと思った自分ありがとう。
私の苦手なツボを10年以上つついてくれた星野源さんありがとう。

生活、がんばってます。
寝る前は鬱思考がぐるぐるしますが・・
これからも上手く生きていけるかはわかりませんが・・
そんなときの逃げ場は、多めに持っとこうと思いました。


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