対局日記⑤

前回の対局からあまり間を置かずして6/10に新人王戦の対局があった。相手は伊藤匠三段、17歳の新鋭だ。
こういう相手との対局は気が引き締まるし、楽しみにしていた。

ちょうどこの対局の少し前、最近多いのだがまた迷走して、とうとう矢倉をやろうという結論に行き着いた。
羽生先生の昔の本を読んだり、最近の棋譜を並べたりしていた。「じっくり囲うという点では振り飛車と同じでは?」という無理矢理な解釈をする事で、矢倉での戦いが魅力的なものに映った。
そういえば横歩取りや相掛かりに対しても「飛車角ぶん回すから実質振り飛車だよね。」とやはり無理矢理な解釈を押し付けがちだ。居飛車党の人からすればいい迷惑だろう。

色々な戦型を見てみて一つ分かった事は、居飛車党の棋士も結局は自分の型を持って戦っているという事。こちらが無関心だったから全部同じような将棋に見えたが、細かく見てみると微妙に違うし、同じ型を同じ棋士が何局も指していたりするのだ。
もっとも、型を「一つ」しか持っていないような棋士は殆ど居ない。やはり、他に何か型を身につけるべきか…

元々あまり無いが、自信を無くしていて、色々と悩んだ。

とはいえ、対局の日の朝になれば心は決まってしまうし、結局は飛車を3筋に振るのだ。自信は持てなくとも、「どうか頼みます。」と祈るように飛車を振るしかない。
そして、そういう時に限って存分に応えてくれたりするのでやめられないのだろう。

その日は結果的には会心の指し回しだった。中盤の△4六歩が絶品で、駒が綺麗に捌けた。思い付いた時、配置が偶然でツいてるなと思った。

家に帰る途中、我ながら恐ろしい事に気が付いた。思い付きの△4六歩。よくよく思い出すと前にこの辺りまで研究した事ある気がする…
研究した内容など、8割は忘れていると思うが、深層心理的に残ってくれていて、それが閃きに繋がるパターンがある。自分の場合、三間飛車の時のみそういうことがよく起こる。いわゆる「経験値が高い」という状態なのだろうか。

…偶然は、偶然では無かった。
自分を少しだけ見直した。

もし棋譜に興味を持って下さった方はしんぶん赤旗様に掲載される観戦記を是非ご一読下さい。

ともあれ強い新鋭に勝てて、息を吹き返した気がする。負けが続くと呼吸が苦しくなってしまう。

これからは自信無さげに飛車を振るのでは無く、少しだけ勢いよく飛車を振れそうである。バシッ!笑

続く


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